日置善文(インストラクター)【5】
日置は遠く錦江湾を臨むほうの窓に近づいてみた。黄砂なのかPM2.5なのか、いずれにせよ東シナ海を越えて大陸からやってくる物質で景色がかすんでいるためによく見えないが、桜島の煙はあがっていないようだった。では噴火でもない。まさか新燃岳? いや、さすがに鹿児島市内まで空震が届くようでは火山周辺は壊滅しているだろう。そんな噴火が今日起こったとは思えない。根拠はないけれど。
日置はしばし考えると、事務室の電話に手を伸ばした。警備員の詰め所につながる内線番号を押す。念のため、と思いながら応答を待った。いちおう今の時間、ジムで最年長の社員は自分になるのだった。客とほかのインストラクターに対する責任がある。念のため、いつもと変わりないことだけを確認して、それからすぐに忘れればいい。
「はいはい、警備室」
そう言って応えたのは、日置の知った声だった。藺牟田徹。会社を定年退職して、昨年警備会社に再就職した年配の男だ。お互い顔を見れば笑顔を交わし、二言三言の世間話をするぐらいには親しくしていた。
「藺牟田さん、お疲れさまです、日置です」
「おー、ヨシちゃん。お疲れ、お疲れ!」
藺牟田は日置善文のことをヨシちゃんと呼ぶ。
「さっきのすごい音だったな! 様子がどうかって電話してきたんだろ?」
「え? すごい音?」
「いやあ、なんかたぶんすごい事故が――いま、他の連中、五反田と川上が様子見にいっちょっとこいよ」
五反田と川上というのは、藺牟田と同じ、このビルの施設警備員の名前だ。様子を見に行っているという。
「こっちも音は聞こえましたけど、そんなに大きなやつでは……」
「あ、そう? こっちは爆発みたいな音して、すごい揺れたよ!」
「え、なんかあったんですか?」
「わかんないんだけど。五反田らが様子見に走ってて、俺はここにおらなぁならんから」
日置の受話器を握る手に、知らず力が入った。にわかに緊張が高まる。
「ビルの――店の中ですか?」
「それもはっきりは……でもすごく近かったよ。もしかしたらビルの中かも。どっか爆発したとか、そんな感じかな」
「わかりました。何かわかったら連絡もらえます?」
「おう!」
威勢のいい返事を聞き終えることなく、日置は受話器を架台に下ろした。
事務室のドアを開け、あたりを見回した。フロアの角で客と会話している浦和純一――日置と同輩のインストラクターだ――を大声で呼ばわる。日置はさらにぐるりと室内を探した。探していた羽島と目が合うと、彼は隣にいた――やはりインストラクターの――白川冬美をともなって、こちらに走り寄ってきた。
先に事務室に戻ってきた浦和を相手に、日置は声を低めた。
「さっきの揺れ、お前も感じたか?」
「はい、けっこう大きかったですよね。地震ですかね」
「いや、それがな、どうも何かあったらしい」
「何か?」
浦和が首をかしげる背後から、羽島と白川が遅れて入ってきた。硬い表情の日置と浦和を見てか、羽島の顔もすこし険しくなっている。
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