萬福博吉(農業)【5】

 地階のたいやき屋に行くには、オクタホテルをまえを通り過ぎた先にあるエスカレーターで降りるのがよい。みのりの小さな歩幅に合わせてゆっくり歩きながら、娘がいるであろう喫茶店を指で示した。

「あそこのまえを通ろうね。お母さんいるかな?」

「いるかな~?」

「見えたらいいねえ」

「いいねえ~」

 きゃあきゃあ笑いながら繰り返すみのりのかわいらしさに、彼は目尻を下げる。

「お母さん見えたら、手をふろうね。たい焼き食べてくるねーって言お――」

 続くはずだった言葉は、突然の轟音と衝撃にもぎ去られて消えた。

 横から突き飛ばされるような揺れと同時に、耳を聾する爆発音が建物中に響き渡る。なんだ、と思う間もなく、目の前で店の一角が内側から弾けた――そうとしか博吉には表現のしようがなかった。店のなかから、粗く砕かれた棚やガラスや金属が噴き出し、バッグやタオルなどの商品が廊下に散乱した。煙が床を這って押し寄せ、天井では割れた電球が火花を散らす。

 咄嗟になにが起こったのか頭を働かせることができず、博吉は孫娘の手を握ったまま硬直した。爆発――事故――事件――テロ――頭のなかを断片的な単語がひらひらと踊るばかりで、筋道をたてて考えることができない。これが年齢のせいなのか、あまりに唐突な状況に対応しきれていないせいなのか、それすら、にわかにはわからなかった。

 買い物客たちが一様に凍りついたのは一瞬のことだった。泡を喰って逃げだす人、なにやら叫び交わす人たちで廊下は騒然とし、野次馬が遠巻きに様子をうかがう。なんだ、どうした、事故か? 爆発? え、なになに、なに? すごい音だったけどあれ大丈夫なのか? 救急車とか呼んだほうがいいんじゃない? いや警察かも。え、だれか怪我してるの? 車が突っ込んだって。車? なんで? なにがあった?――どよめきは次第に大きくなり、怒声と悲鳴を交えながら、騒然とした様相となる。

 博吉はみのりの手を引き、その場から離れようとした。

 頭のなかにぽっかりと穴が開いて、考える力そのものが猛烈な勢いで吸い込まれてしまうようだった。あるいは、気づきたくなかったのかもしれない。あの店には娘がいたはずだということに。

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