萬福博吉(農業)【4】

 この歳になっての初孫はかわいくて仕方ないでしょう、などと、公民館の集まりではよく言われるものだ。孫のためならなんでもできる、なんでも買ってあげちゃいたくなる、孫が生き甲斐だ、などという話も。しかし、あいにく博吉はそう思うことができないでいた。みのりが産まれるまえ――実際に接するまえは、もしかしたら自分もそうなるのかもしれないと考えたことはあった。この子のためならなんでもできるという存在があらわれること、新しい世代の誕生と成長に寄り添うこと。自分の人生の主役が自分ではなくなること。それがひとつの人生の区切りになるのかもしれないと。

 だがいくつになっても、いつまでたっても、自分の主役は自分でしかなかった。

 社会にとってはそうではなくなっている。高齢化問題や非生産人口、年金や介護、孤独死――いつのまにか、博吉たちの世代はいつだって問題視され、解決をめぐって頭のうえで侃々諤々されるばかりだ。「老いても生き生きと」「老後も輝ける社会へ」――そう語られるだけ、問題に取り組まれるだけの対象であるという印象は、自分の人生を生きている感覚と嚙み合わないことが多くなっている。

 それでも、まぎれもなく死が近づいていることは意識せざるを得なかった。血圧が高い。さいわい透析のお世話になるほどではないが、血糖値の数値もまた黄色信号だ。友人や知人も毎年のように先立ってゆく。人生の終わりが迫っているのに、博吉は自分の七十五年間に納得のいく意味を与えることがいまだできず、靄のような不安を抱いたまま毎日をやり過ごしている。その胸のざわつきを、孫の誕生がすこしなりと変えてくれるのではないかと期待したのだけれど――。

 十五分も相手をすればもう、この元気のかたまりの女の子を疎ましく思うような自分への失望は、消えない不安と混ざり合って、ときおり博吉を無口にさせた。だがそもそも由実の――我が子の――ときに抱くことができなかった感情を、いまさら孫の誕生に期待するのが間違っていたのかもしれなかった。

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