14 痴漢が抹殺する女子高生の輝ける未来ほどには男子は輝いていない説
変態撲殺女もまた新たな戦場を求めていた。多くの正義の味方がそうであるように、変態撲殺女もまた血に飢えていた。
そして多くの正義の味方がそうであるように、変態撲殺女もまたその事実を否認した。
リア充破砕男と同様に、それは象徴的な場所でなければならなかった。女性の敵といえば痴漢であり、痴漢といえば電車内であった。しかし、電車内の痴漢は混雑時でないと発生率が低い。だからといって、混雑時に撲した場合、撲す最初のアクションすら威力は大きく低下し、ましてや撲した後に逃げるとなると、全くもって不可能と言えた。
つまり、遭遇率と威力と逃亡成功率との釣り合いを考え、ベストなところを考えなくてはいけない。威力やら逃亡成功率を数値化するために実験はできず、直感に頼る他なかった。
変態撲殺女は直感は得意だった。何かが極論かどうか、暴論かどうかを判断するのに、変態撲殺女はしばしば直感を用いた。それが受け入れられない者は、たとえ主張があろうともそれは言い訳であって、何も考えていないことが指摘できた。
変態撲殺女は、結局ほどほどに空いていてほどほどに混んでいる時間帯を選んだ。まさに、その「ほどほど」が直感であって、そんなものに根拠を求める思考は鬱陶しいだけであった。ほぼ大半の女性が何らかの痴漢を経験するという説に従えば、その容姿にかかわらず変態撲殺女自身が囮となって、痴漢を呼び寄せることができるはずだった。
しかし、変態撲殺女の持つ宮本武蔵レベルの殺気のため、いかに痴漢といえど、いかに変態といえど寄りつかなかった。
この寄りつかない原因について、この明らかに変態撲殺女側に由来する理由を、痴漢側に再配置する手法として、「殺気に溢れた人間には寄りつかない」ではなくて、「絶対に抵抗しそうにない人間を狙う」という説明にしてやるというものがあった。
そもそも痴漢はあってはならない犯罪なので、痴漢がいったんなされた場合は、反論を受ける心配はない。論理としては、「痴漢を罵倒する」という最低限の要件を満たしたあらゆる論理が、当事者からの反論があろうはずがないのである。撲殺もあってはならない犯罪であるが、そのところを恥じることは全くなかった。
恥じるべきは痴漢であり、自分を引き合いに出すのは痴漢側に恥じる心がないからだ、と断言した。つまり、自分に言及されようととすると、「今は痴漢の話をしてるんだ」と言うことで解決をはかった。痴漢が悪であるということを否定する者は、よほど異常な思想の持ち主以外は日本に存在しないというのは、変態撲殺女だけではなく、日本人全体で大勢を占める考えであった。
その考えを利用し、拡張し、痴漢の話をした者に向かって痴漢以外の話をすることは、痴漢を擁護する目的であると判断した。痴漢の話しかしていない者に痴漢の話のみを強制することは妥当であるが、それ以外の話をする者にそれ以外の話を強制されるのは不当であるとされた。
そうやって思考するうちに、ついに何らかの動きがあった。
何らかの、というか、あからさまな動きだった。
「この人、痴漢です!」
男の手をボクシングの勝者のように掲げる者がいた。痴漢撲殺女ではなかった。しかし美しい女性だった。この行動だけを見て、過去の行動や行状を全く知らない変態撲殺女は、この美女が、普段は大変におとなしくたおやかであり、しかし、ここで持てる限りの勇気を振り絞って決死の行動に出たところまで、彼女の生涯を全て見てきたかのような判断を瞬時に交わすことができた。
周囲は凍り付いていた。男も凍り付いていた。口を利いているのは美女だけであった。
「ああ? テメェやったんだろ?」
大変にドスの利いた声の出る美女であった。しかし、声質というのは持って生まれた性質のものであり、普段内気であるという揺るぎのない事実が確信により確定しているため、人を身体的特徴で判断するような人間は悪人であり痴漢の味方であり変態であった。
「や、やってない……」
「やった奴はみんなそう言う!」
ここで有用なのは「酔っ払いは必ず『酔ってない』と言う」という法則である。これを、直感に基づき、ほどほどに論理性を持ち出し、その論理性をほどほどなところで打ち切ることによって、「『やってない』と言った痴漢は全員やっている」という結論を導き出すことができた。
論理性は打ち切ったのだが、動かぬ証拠であった。なぜならば、突きつけた者が決して動かす意思がないからである。
電車に他に発言する者はいなかった。ただし、SNSに投稿する者はいた。
(なんかおっさん右手にスマホ持ってて左手に鞄持ってるけど姉ちゃん怖いし予断を許さないコワス)
といった投稿が世に静かに放たれた。物音ひとつ立てずに皆発信したかったので、タッチパネルが既に完全に普及していたことは、乗客にとって大変な幸運であった。
しかし、投稿者をボウリングのピンのようになぎ倒し、その痴漢(確定)おっさんのところに突進したボールがあった。変態撲殺女であった。さすがに、わざわざ、マット運動のように前転をしたわけではなかった。それでは、身体が裏返る際に周囲の妨害に遭う確率が高くなるので、ボウリングというのはイメージであり、むしろ陸上選手のような短距離走であった。
だが、そこで、完璧なアッパーカットが短距離走の停止と同時に、というか、短距離走の運動エネルギーを見事に取り込み、一点集中パンチの様相で繰り出されて、見事に決まった。
男は、背後のドアに打ち付けられた。さらに一発、もう一発変態撲殺女は殴った。
「え、やだ、……死んじゃうよ? ねぇ、やめて?」
さっきの美女が変態撲殺女を止める声は、ドスが利いておらず、完全な乙女ヴォイスに変幻していた。この声で、冤罪を疑っていた乗客のうち、一部の心が寝返った。
電車が到着し、ドアが開いた。
殴られた男は外側に倒れた。
変態撲殺女は、超絶ダッシュを再び発揮して、近づく駅員を勧善懲悪時代劇風に退け、まんまと駅外に逃亡を果たした。
(変態撲殺女だ)
(あれが変態撲殺女か)
誰一人口を利かなかった。美女すらも利かなかった。
実は、殴られた男が痴漢をしたかどうかを目撃していたたった一人の男が電車にはいた。その男は、リア充を憎んでいたが、美女を観察するのは普通に好きであったために見ていたこととなった。だが、その事実を語ったところで、男には何の得にもならないということで、他の乗客よりも一層、黙っていた。男の得になるとは、つまり破砕の役に立つかどうかが基準だった。
殴られた男の生死は、相変わらず確認されていない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます