8 変態撲殺女が蓄積したストレスとその解放の正当性について
変態撲殺女は常に鬱屈していたが、それは彼女に限った話ではなく、リア充破砕男や、電車に揺られる悲哀溢れるサラリーマン、あるいはブラック企業の黒色部分を供給する側の人々、聖職性を理由に、無償で授業の質を落としてでも部活指導させられる教師、クレーマーや万引きに対応する小売店と従業員、正義の意思をもってクレームをつける側となる人々、悪徳企業に突撃するネットユーザーなどといった様々な鬱屈が、日本国に普遍的な平凡な現象として広まっていた。
それは自己で制御可能な鬱屈と、外から強制される鬱屈とがあり、制御可能な鬱屈であっても、その脳の性質により、麻薬を求めるがごとく鬱屈の種を自動的に求めるために、事実上は制御不能な鬱屈があった。
これら、日本中に黴のようにはびこる鬱屈は、ひとつひとつの鬱屈の重要度を極限まで下げ、鬱屈など存在しないし、あるとすればそれは耐えることこそ成熟であり大人の態度である、と指導するようなマウンティングの形態がひとつあった。
それに対する逆マウンティングとして、貴様は馬鹿かこのような自分もしくは我々もしくは世界もしくは森羅万象の抱える問題が見えないのかちっとはモノ考えろよ、というレベル的にさほど変わらないものがあって、変態撲殺女は後者だった。
どちらかが上に乗り、下にされたものがさらに上になるべく土足であることを心がけつつ、足跡がつくように登ってゆく。
早い話が、編隊撲殺女は意識高い系であった。その敵もまた意識高い系であった。意識高い系、というのは揶揄の言葉でしかなかったので、お互い自分自身は意識高い系ではなく、当然のことを当然に最低限感じている常識的な人間でしかなかった。
実際に意識が高くても、意識高い系と呼ばれることは侮辱であった。それは金を持っていても金持ちと呼ばれることが侮辱であるという流儀の人と似ていた。それらの流儀の人々を賞賛することは、最大限の警戒をもって行う、リスクの高い行動であった。
変態撲殺女は生物学的に女性であったため、「嘘でもいいから賞賛される」機会は、生物学的に男性である者よりは多かった。しかし、それは平均的な話であって、イケメンと呼ばれる人種よりは少なく、しかもそのイケメン人種がなされる賞賛は、「嘘でもいいから」という範疇のものではなかった。
外見にとらわれることをはっきりと悪と定義づける方法をとると、その賞賛を嘘の側にがぶり寄らせることはできた。それは、外見を契機とした好意は嘘の行為であって、内面を契機とした好意だけが真実の好意であるという、外見の魅力要素を無効化する二分法だった。
しかしながら、変態撲殺女の内面に着目したところで、内面はさらに最悪であるというのが周囲の定評であった。このような定評を変態撲殺女は、それは周囲が互いに連絡を取り伝達し合い、常にまず先入観のある状態から評価を開始しているせいである、という判断をした。そのような判断を周囲に伝えると、大抵周囲は怒りだしたので、怒り出すというのは図星を突かれたせいである、という判断を加えることができた。
周囲が怒り出すことで変態撲殺女はなお怒ることができた。そしてその怒りが通じないことで鬱屈の貯金が行われた。その貯金は、いつか使われなければならなかった。つまりは鬱屈の解放である。爆発である。それは、変態撲殺女という存在の根本に立ち返れば撲殺であった。
貯金された鬱屈は、バブル崩壊前のレートで複利運用された結果、入力量を遙かに上回る増殖を果たした。これは栄養豊富なシャーレの中の繁殖力高い雑菌であった。雑菌という言葉にふさわしく、変態撲殺女の思考は粗雑であった。シャーレの容積は脳の容積に相当するだけにに留まらず、脳の皺によって折り畳まれて、高次元フラクタルを形成していた。脳の皺ということで、より高度な思索によりもたらされた怒りである、という意識が持たれたが、これを顔の皺、という方向に連想を向けた者もまた撲されることとなった。
変態撲殺女はこれらの理由で、というかあらかじめ決められた結論に導かねばならぬという謎の使命感によって、頻繁に撲することとなった。
変態撲殺女は、怒りだけではなく悲しみに満ちていた。
「わかる? あなたも痛いかもしれないけど、殴るほうの拳がどれほど痛いか、わかる?」
そう言って変態撲殺女は涙まで流した。撲される側は、変態撲殺女の拳や心の痛みなどどうでも良く、自分が殴られて痛いかどうかだけが問題であった。
しかし、撲される側も、上司からは「こんな厳しいことを言わなきゃならない俺の気持ちがわかるか?」と反論があるのに聞き入れられずに、悲しい顔を演じられたり、あるいはその文化を下の世代に伝えて仕事とはまず辛いものであるという伝統的な空気を日本中に守ってゆく使命を感じている場合があった。
感じていない場合でも、無意識のうちに連綿と受け継いでいることもあった。
仕事は厳しく、人生は辛く、それゆえ享楽的に富を得るものがいたらそれは人の道に反する行いであるから引きずり下ろさなくてはならないという空気を作り出していた人々は、変態撲殺女のことを悪く言えないはずであった。が、自分を棚に上げるのは変態撲殺女の専売特許ではないという点が彼らを救っていた。
しかし自分を棚に上げてもなお、変態撲殺女の被害者は、殴られると痛いという、圧倒的に生物学的で物理的な事実に縛り付けられていた。変態撲殺女の話を聞こうとすると、聞き終わるのを待たずにパラレルで撲されるため、早期に逃亡するのが上策であった。だが、その逃亡を見て変態撲殺女は一切相手が話を聞こうとしない、と飽くまで淡々と述べた。淡々としているのは冷静さを偽装するためであった。もし、相手だけが冷静であり、変態撲殺女のほうが感情的であることが第三者が傍から見ればわかるような場合でも、自論を受け入れない→話を聞こうとしない→感情的である、という謎の三段論法で事実と逆の結論を見いだすことができた。
そうやって、変態撲殺女は撲し続けていた。撲された相手は常に定義上は変態であった。
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