9 風俗に行った男はリア充破砕男の敵か味方か

 リア充破砕男は現在、およびおそらく未来永劫童貞であることは先に述べた。そしてこの世の全ての童貞は、童貞で当然の子供を除き味方と考えていた。


 ちなみに子供は敵であった。もちろん、父性が欠ける人間的な問題点のせいもあるが、コミュ障を押してやってみた塾講師のアルバイトで悪化させた人間不信が根底にあった。


 しかし子供への不信は、彼の総合的な自信の喪失のひとつの要因であるに過ぎず、今回の話の本質ではなかった。


 リア充破砕男の友人は日々減ってゆき、昨日まで友人だった者が今日から友人でなくなるというのは日常的な出来事であった。それは例えば非リア充がリア充に変化するような裏切りであった。


 だがこれはどうなのか。


「いっやー先輩がさぁ、一度体験しとけって言うからさぁ、結局イヤイヤなんだけど、行っちゃったわけさ、その、風俗ってやつ」


 知識として、非リア充が風俗に行った場合、リア充になって帰ってくる確率は極めて低い。量子力学的に何かありうるのかもしれないけど、まあ、ない。


 しかし、これが裏切りでないかどうかは全く別の問題であった。リア充は悪である、という原則を貫きながらも、リア充でないからといって悪でないとは限らない、などと逆のことについて言ってみると、論理を自在に操っている錯覚が生まれた。しかし、それはリア充破砕男自身も悪でないとは限らない、という論理でもあることは気づかれなかった。実際にはリア充破砕男は悪そのものであった。


 直感的統計から言うと、善人よりも悪人のほうが他者を悪人と評する確率は高い。その意味で、悪そのもののリア充破砕男が風俗行きを悪人と断罪するのは理の当然といえた。直感的統計とは二文字で短く表現すれば偏見のことであるが、リア充破砕男が偏見にまみれている以上、作者が偏見を持っていてもそれは取るに足らない問題であった。


 リア充破砕男は、先刻まで友人であった者の身体にスタンガンを押し当てた。悲鳴が上がり男がくずおれる。


 くずおれた男が背中を丸め、手と手を身体の前で組んだ形になったのは幸いした。リア充破砕男は、あらゆる元凶が身体の中心にあることを見い出し、そこに当てようと試みたのだった。確かに、そこには全く本質的な原因があった。しかし責任は一切なく、それは「いじめられる奴だって問題がある」と主張する人間のような、原因と責任を混同する手法だった。


「やめろ、馬鹿!」


 被害者の男は、いまだにリア充破砕男を友達として扱っていた。しかしリア充破砕男にしてみれば、ついさっき不連続に状況は変わっていた。リア充破砕男は怒れる男であった。怒っている時点でその怒りは全面的に怒りによって解決されるべきであった。


 相手が行ったことは不可逆な変化である。実際には特に心の内面になんの変化もなく、性行為の前後で人格というか人の格が変わるのは神話でしかない。その点では、リア充破砕男はその敵と極めて親和性の高い思想を抱いていた。まさしく行為の前後において、人の格が成熟した方向に変わると信じるのが敵であり、悪人の方向に変わると信じるのがリア充破砕男であるという、全くベクトルの方向の違いでしかなかった。


 リア充破砕男は執拗に身体の中心に電撃を撃ち込もうとした。しかしますます両手で護るべきものを包んだため、その男の能力は失われなかった。いわゆる「ヒトトシテタイセツナモノ」という呪文を失わなかったために失わずに済んだのだった。リア充破砕男は失っていたので、人ではない道を歩むことになったが、人間扱いされないのは不満だった。そこは変態撲殺女も同じことであった。


「お前、どうしちゃったの……?」

「みんなで魔法使いになろうって約束したよな」


 世の中には魔法使い、という言葉が通じる人と通じない人がいた。

 通じない人は証明する必要すらなく非童貞であり敵であり悪人であった。

 しかしこれは小説であるから、通じない読者のために説明をすると、男にせよ女にせよ三十歳まで性行為が未経験であると魔法使いになれる、という伝説のことである。


 しかし通じる人の中にもそれを冗談として扱う人と本気に扱う人がおり、リア充破砕男は後者であった。目の前の男は前者であった。後者のような人間はいつも、何かを信じすぎてそれに固執して人生に悲劇を繰り返していた。本当に魔法使いが魔法を使えると考えたわけでは無論なかった。しかし魔法使いのような魂の純化が訪れると信じてやまなかった。その信じ方はまさに、魔法にかけられたようだったのだ。


 だから、今ここで飛び散っている火花は魔法だった。魔法が使えなくなった者にまだ魔法使いになれる者が下すサンダーの魔法。しかし天誅はそんなものではまだ、足りなかった。


 腹立ちまぎれにポケットに手を突っ込むと、リア充破砕男の中でずっと逡巡していた、ある道具が指先に触れた。体温で、怒りに満ちた体温で、むしろ通常よりずっと温まっているはずのそれはリア充破砕男にはひんやりと冷たく感じられた。


 スタンガンごときではいけないと、結局通販サイトを迷って迷って、マウスカーソルをぐるぐると無意味に走らせて八の字やら六芒星やら謎の図形やらを軌跡で描いた後、ようやくポチって手に入れた、スタンガンよりさらに原始的なその道具。


 ナイフだった。


 ナイフとは、およそリア充破砕男とは相容れない道具だった。それこそ、盗んだバイクに乗って窓ガラスを叩き割らない限り決して所持できないものであった。


 それは蛮勇の象徴であった。リア充破砕男が勇気のない者とみなされるような時、周囲が勇気と呼ぶものはみな蛮勇と見なすという防衛の仕方があった。しかし、相手と同等の武器を持たなければ決して抑止などできないのだ、という思いもあった。


 リア充破砕男はネトウヨでもあった。ネトウヨは現代日本において他者を批判する簡便な方法のひとつであった。しかしそれはネトサヨも同じであると考えたリア充破砕男は、売れ線の参考書を選ぶ感覚で右側を選んだ。


 そんなわけで、均衡した武力による抑止を得るというのは、個人レベルでも為されなければ矛盾であった。


 矛盾など超理論で蹴り飛ばすリア充破砕男にしては妙に生真面目な態度だったが、それはリア充破砕男の気まぐれであった。


 そして初めて、銀色のものが振り回された。魔術師より剣士のほうが一般に主役であった。


 視界の中にほんのわずか、赤いものが舞うのが見えた。


 相手が何か叫んだのか、それとも黙って逃げたのかはわからない。


 はっきりしているのは、リア充破砕男はまた友達であったものを回復不能なレベルで失くしたことだけだった。

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