7 リア充破砕男が童貞なら非童貞は免罪されるか

 リア充破砕男はあまりにも自明なことに童貞である。これが解消される見込みは万にひとつも無いと言ってよいだろう。


 もちろん、リア充破砕男はありがちなことに、男は中身で勝負するんだよ、という言葉が頭の中で旋回している。しかし中身が外見に劣らず、というかそれを凌駕して駄目という周囲の評価のために、旋回したところで全く意味をなさなかった。


 そして、リア充破砕男の不満は、世の中は外見だけで判断する、ということと内面を評価しないというセット思想により強化された。実際の内面に関する自己評価は行われなかった。


 リア充破砕男は童貞を神化した。そして非童貞は極悪人になった。非童貞になる過程で快楽があるので、これは麻薬中毒などと同列にみなすのに都合のよい事実だった。極悪人は破砕されなくてはならかった。それは平和のために当然であった。非童貞が極悪人であり、極悪人を全て滅ぼすと人類が滅んでも、世界の存在より世界平和のほうが優先事項であった。


 存在しない世界が平和であるというのはどういう状態を指すか、それは哲学的思考、もしくは禅問答であったが、学校で優等生にしばしば人権が与えられないのと同様な理由で、難しければ考える必要のない不要な問いであった。リア充破砕男自身が周囲から人権を付与されていない問題は関係がないと判断された。


 周囲から見ると、状況は全く逆である。リア充破砕男は極悪人であった。しかし、非童貞は善人であるかというと善人も悪人も居るというのが真っ当な判断であった。ただ、極悪人という扱いも、周囲に知られている情報から考えれば、誇張した表現であった。それは近づかない、という立場のあり方を盤石にするための誇張が行われていた。

 飽くまでも公開情報から見た立場であれば、それは不当な扱いであったが、人権は付与されていなかったので不当であっても問題はなかった。スタンガンを振り回すようなことをしている、という情報がもし知られれば、ますます正当な評価となるので全体最適の立場からは全くもって問題なかった。


 しかしながら、逆の立場をもってしても非童貞は免罪されないという部分的真実は、リア充破砕男の内部で都合良く情報処理されて、非童貞はまったくの悪になった。いくら誤魔化しても誤魔化しきれないのだほうら見ろ、という確信に変幻した。

 かつてリア充破砕男の周囲にいて、リア充たちを揶揄していた友人たちは、彼がそうやって確信してゆく様を見て、リア充に関する話題を一切口にしなくなるか、あるいは故意に話題にしてリア充破砕男を玩具にするようになるかのどちらかとなった。友人たちは、元友人になるか偽友人になるかのどちらかになった。


 あるいは、さらに悪い例でいくと、元友人は非童貞になった。童貞が非童貞になるのは、一般には時間がもたらす自然現象であった。人類も生物である以上、放置すれば交尾する性質があった。しかしその本能やら習性やらは、リア充破砕男にだけは適用されなかった。生物学的な、ダーウィニズム的視点によれば、リア充破砕男は淘汰の対象であった。


 しかし、人類は知性を持ち、社会性という本能から逸脱し超越した特殊な生物種であるので、淘汰からは救済されるべきであるとリア充破砕男は考えた。だが一方で、生活保護を余儀なくされている世帯は救済されるべきではないことも主張した。その根拠として、生活保護世帯がパチンコを行ったという散発的な事例と、「一事が万事」という成句を組み合わせることで一般性を獲得させた。


 リア充破砕男にしてみれば、脱童とは小早川秀秋級の裏切りであった。このような裏切りを行ったあげく、カラオケなどで「青い鳥」理論に基づく、何でもない日常にこそ真の幸せがぁ、的な歌を歌い上げる人間は本当に犯罪こそしていないが犯罪級であった。リア充破砕男の中で、非童貞は皆、子供の頃は悪ガキであって陰湿ないじめを首謀もしくは加担していて、学校の窓ガラスを叩き割り無免許でバイクを乗り回す陰惨な青春時代を送った後、もしくはその最中に、早すぎる体験と結婚をしたあげくにようやく、今までわからなかった日常という幸せに気がついたことになっていた。それを裏付ける統計は存在しなかったし探しもしなかった。


 リア充破砕男の中で、何度かおこなったスタンガンでカップルの手繋ぎを分断する行為、それだけでは生ぬるいという感情が芽生え始めていた。それは次へのステップへの原動力であり、これが業務か何かであればカイゼンということで大変生産的な考え方であったが、残念にも犯罪行為であったので破滅的な考え方であった。


 そこまで考えたあたりで、リア充破砕男の頭に浮かんだ言葉は、狩り、というものであった。秋葉原などでの「オタク狩り」はとんでもない卑劣な行為であるが、それがとんでもない行為であるなら、それと逆の行為は善であるというのがリア充破砕男の理屈だった。


 つまり、「オタク狩り」が悪であるなら「リア充狩り」は善である、という理屈だったが、「リア充のオタク」の集合という数学的な存在は無視された。本来、リア充とオタクは相容れないものではないので、当然そういう集合はあるはずなのだが、リア充破砕男の中ではこれは対義語と決定された。


 それは例外があるという事実を認めないのではなく、むしろあらゆる命題には例外があるのが普通なので、社会をとらえるには数学的証明ではなく、傾向をとらえる必要があるという言い分であったが、その傾向を分析できるはずのツールである確率・統計は一切使用されなかった。というか、リア充破砕男は高校のその授業の時は、数学教師の声が念仏級であることを理由に机に突っ伏して寝ていた。


 なので、リア充破砕男は、今までの手つなぎ破砕よりも進化した、新次元の破砕を計画し始めた。「リア充狩り」という用語を与えると、与えない場合よりも計画が具体化するスピードが早くなった。


 お題目は必要なのだった。だからリア充破砕男が、自らをリア充破砕男と命名したことは、その点だけはメリットがあった。

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