6 変態撲殺女の最初の撲と殺未遂
変態撲殺女はまだ撲殺はしていない。撲殺的なこともまだしていない。従って今のところ犯罪者ではなかった。非犯罪性と罪がないことは異なるものだが、そこは変態撲殺女の結論に合わせて、時と場合により区別されたり混同されたりした。
なので、非犯罪者である頃から、彼女の罪が深いことは衆目の一致するところであった。「が」という格助詞は是非とも必要であった。「罪深い」という表現になると、それはモテる男女にも使われがちな実際には罪ではない表現になるから、避けられなくてはならなかった。
早い話が、変態撲殺女は「性格の悪い女」ということで片付けられていた。そのように広まった情報は、一般には改めて検証されることはなく、むしろ教科書的に無批判に受け入れられた。
検証がないことは、変態撲殺女にとって自分が迫害を受けている証明になった。しかし、なんにせよイチから先人の思考を辿り直すことは、数学で言えばゼロの発見からやり直すことであり、科学の発展を妨げる態度であった。ゼロの存在に疑問を差し挟むより、より先端的な問題を解明するほうが科学発展的であった。ここで「科学的」という用語は用いない。基礎を何度も再検証することもまた科学的である。世の中には科学的であるが科学発展的でない活動があった。
ともかく変態撲殺女の周囲は、変態撲殺女に関する考察を最小限にする方向で活動した。つまりは、関わる価値がないと判断された。周囲が関わりたがらないという点において、リア充破砕男と多分に共通していた。
だが、結局は変態撲殺女は罪が深い状態から、本来の意味での犯罪を犯すようにフェイズ・シフトしてゆく。リア充破砕男がまずスタンガンから開始したように、変態撲殺女はいきなり撲殺したわけではなく、撲から開始した。それは殺人鬼がいきなり人間に手をつけるのではなく、動物から始めるのに似ていた。
変態撲殺女の被迫害意識は、彼女のすでによじれた精神を一層こじらせるのに効果的であった。こじらせる、という単語自体、彼女にしてみれば迫害し揶揄する者が挑発のために好んで使用する用語であった。
とはいえ、変態撲殺女の最初の犯罪は、リア充破砕男のスタンガンと異なりその犯罪性が明確ではなかった。たとえば、女が男に張り手を食らわせる、程度のことは、男が女に張り手を食らわせることと違って、容認する人が多くいた。分母を大きくすれば、それは現代日本全体のコンセンサスであった。
ただ、変態撲殺女はそれをパーでなくグーでおこなった。それはジャンケンの文脈で理解すべきではなかったが、勝敗は被害者と加害者があらかじめ決まっていたため、被害を断じた時点で被害側が勝者ということになった。加害とされた側の同意は不要だった。変態撲殺女にしてみれば被害側にだけは許される防衛であった。だが、グーはパーよりもより撲という字に近かった。パーは叩という字で表現される可能性があったが、グーは紛うことなき撲であった。
殴ったのは密室であった。密なることをすべき場所である密室であった。証人はいなかったので悪かどうかは証言によってしか解明できなかった。しかし彼女の証言は結論に即して選択されていた。
殴られた、というか撲された、という表現を使うと、撲された者は自分が悪である説明が嘘であることを説明するというより、部分的事実をかいつまんだものであることを指摘し続けなくてはならなかった。その指摘は、撲された者がその部分的真実を否定したという解釈になった。
かくして両者は互いを嘘つきと認識した。男は女を、部分的真実によって結論を操作していると判断した。女は男を、結論を理解――これは受諾とか認めるとかと等価な言葉だった――しないことを根拠に、帰納的に提示した事実を偽っていることとなった。
友人たちは、という言い方はまるで共通の友人であったが、変態撲殺女には友人がいなかったので男の側の友人しか第三者的な判断ができなかった。
変態撲殺女は、女側の友人を供出できないにもかかわらず、ひとつにはその偏りを理由として、もうひとつにはその男の友人たちが、裁判所的な公正さで両者の言い分から判断するのではなく、既に定まった女の評判から判断したために、たいへんに不当だという考えが脳内で育っていった。しかし友人たちは、単に精神をすり減らしたくなくて、こころの省力化を図ったに過ぎなかった。
それらの経緯で、変態撲殺女はその男の友人たちをも撲した。彼らはみな変態と定義された。男は直接的に変態で変態の擁護をする者もまた変態であった。定義を積み重ねると論理は途轍もなく複雑化し、まずいプログラムコードのように手出しができなくなる。
ただ、変態撲殺女は、そのような時に発揮する飛躍、もしくは御破算を勇猛ととらえることで合理化をはかった。それによりデバッグは不要となりバグは仕様になった。
変態撲殺女は、こうして殴る女になった。まだ撲殺女ではなかったが、少なくとも撲する女であった。それは主観だけの話であり、周囲から見れば単に殴る女であった。粗暴な女であった。
今までは興味がないから近づかれなかった女だったが、身を守るために近づかない、という風に理由が変わって結果が変わらなかった。理由を教えてくれる者などいなかったので、これはインプットとアウトプットのみを世界として認識する考え方によれば、何一つ変化はないのだった。
変態撲殺女のパンチ力は、日々高められていった。それゆえ、一歩間違えば死ぬようなパワーになっていった。本当に殺すことになれば、名実ともに変態撲殺女である。なぜなら変態の定義は彼女が決めるので、彼女が撲した相手は全て変態であった。
しかし、今のところまだ相手を殺害してはいない。つまり撲殺未遂ということになる――かどうかは殺意の有無に依存した。彼女の意思はしばしば、結論や結果によって変更された。だから、撲殺未遂であることにするためには、最大限の労苦を必要とする状態であった。
それゆえ、ますます変態撲殺女には人は近づかない。好都合なことに、なのか、変態撲殺女はますます被害者意識を募らせた。しかし、今のところはまだ殺してはいない
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