2話 「鬼と龍」

 


 今日の空も私の好きな色でした。

 雲一つなく、目に沁みるほどの空色です。

 気分は上々、

 道端に咲く萎れた花も、ロングスカートを貫通して吹き付ける冷たい風も、今だけは優雅に花弁を開かせた花や、暖かい南風のように感じます。


 お気に入りのドアを焼かれたことで微かに目覚めていた殺害衝動も、もうすっかり収まりました。

 えぇ、冗談ですよ。

 そんなもの目覚めていませんから。


「空ーとわーたしの間にはー、赤ーい小鬼の火矢が降るー……」


 自作の曲(歌詞だけ)をまた歌い出せるくらいに気分も盛り上がって参りました。

 石畳みの地面をたたん、とリズミカルに叩き、無音のキャンバスに自分だけの色を塗りつけていきます。


 他の色は混ざってきません。

 私だけの空間で私だけの芸術を描いていきます。

 さながら私は芸術家アーティスト作曲家コンポーザー吟遊詩人ジョングルールといったところでしょうか。

 どれも素晴らしいジョブですね。女王なんかより、よっぽど夢も名誉もありそうです。


 それにしても今日は本当に静かで良い日です。思わず叫びたくなってきました。

 さすがに外で大声を出す度胸はないので、喉の中で息を吸い込んで口の中で思いっ切り叫んでみます。

 すぅ、

 ふぅぅーーーっ!


「んだから俺が最強だっつてんだろ! 西洋のトカゲの分際でしゃしゃってんじゃねぇぞコラ!」

「ふん、愚かなり。類人猿如きが最強をかたるとは。その無意味な双角が脳天に達しているせいで、かような戯言が口に出せるのだ。歯医者に行って虫歯感覚で抜かれてしまえ」

「んだとクソトカゲがぁっ!」


 ふぅーー……

 心の叫びも収斂しゅうれんして参ります。

 静かな日常は泡沫うたかたの夢となりました。いつも通りの雑多な喧騒に包まれていきます。


 巨大な黒鬼さんとドラゴンさんの口喧嘩でした。

 激しく怒鳴り散らす黒鬼さんと、静かですが明確な怒りを孕んだ表情を浮かべます錆色のドラゴンさん。

 両者ともこの世界ではそれなりに力を持つ実力者と言えましょう。

 ですが、それ故に見せる傲慢さから、彼らの小物ぶりもひしひしと伝わってきます。


 そんな事より、綺麗な空色一色に染まっていた私のキャンバスが、彼らの汚い罵り合いでドドメ色になってしまいました。

 むぅ、これは酷い。せっかく静かな一日を過ごせると思っていたのに。

 ちくしょう、と少年っぽく心の中で咆哮してみます。


 まだ彼らはギャーギャー騒ぎ立てています。

 いい加減に耳障りですし、女王としても民の下らない紛擾ふんじょうで秩序が乱れるのを見過ごす訳にはいきません。

 不安そうに彼らの様子を伺う周りの物の怪たちも憐れです。


 ので、

 そろそろ仲裁に向かうことにしましょう。

 口争いから思わぬ紛争に発展することもあり得るのですから。

 むむっ、今の私はかなり様になっていて格好いいかも。


「テメェいい加減にしろや爬虫類がぁっ! 鬼のパンツ馬鹿にすんじゃねぇぞっ!」

「えぇい触れるでないっ! 吾輩の怜悧れいりなる鱗が穢れるでは――あぁっ! 剥がすな剥がすな!」


 えへん、えへん。

 発声のメンテナンスは重要。

 念入りに咳払いをします。そして、


「――そこまでにしなさい愚民たち。私の支配するこの世界で争いは許しません。えぇ、許しませんとも」


 言ってやりました。

 揺るぎない正義の言葉の余情に浸りながら、自身の倍の倍の、そのまた倍はありそうな体躯の間に立って、女王たらしく振る舞います。


 鬼さんの黄色と、ドラゴンさんの碧の瞳が同時に私に向けられ、しばしの沈黙。――からの無視。

 彼らは再び鱗剥がしやパンツ争奪を開始しました。


 多分、ガーン! という擬音語が頭の中に響いたと思います。

 こんなあからさまなシカトは初めてです。

 女王としてのスタンス以前に、存在として認めてもらえなかったようで、目頭が熱くなるのを必死に堪えます、堪えます。


 彼らとて、私を知らないはずがないのです。

 この世界の支配者もとい創造者・・・たる私は彼らの母親のようなものであり、神同然なのですから。

 いや、もう神です神。神を無視するなんて許しません! 絶許です。


「こらあなたたち! 神に向かって何ですかその態度! なんで興味持たないんですか。なんで一瞥して終わるんですか」


 女王から飛躍して神と名乗ってしまいました。なんだか私が一番小物っぽく思われてそうで恥ずかしい。

 反射的に肩をすぼませます。


「神……か」


 鱗を掴む手を黒鬼さんが離します。


「ふん、これは好都合」


 鬼さんのパンツを咥えていたドラゴンさんもユラリと体を起こしました。

 ……その牙で噛みつかないことを切に願います。


「何ですかあなたたち。ようやく私に気付きましたか」


 なぜかちょっと嬉しくて頬が緩んでしまいます。

 この程度で喜ぶなんて小物どころか子供なのに。

 これはいけない。威厳が崩れる。

 上がった口角を手動で戻し、彼らに再び視線を戻し――


「グルァッ!」


 ――たところで黒鬼さんの地響きを起こすほどの強烈な殴打が私の居た・・地面に叩き付けられました。

 舞い上がる砂けむり。

 百鬼夜行の足々を支えていた石畳みは小麦粉みたいに粉々に散って、風に乗りながら天高く飛翔していきます。


 小さな隕石のような威力と衝撃をまだ横から感じながら、「いきなり何をするのですか」の形に口を開きかけます。と、


「ガアォァォッ!」


 今度はドラゴンさんの攻撃が始まりました。

 巨大な翼で浮遊し、大きく口を開いているようです。

 その口内には、徐々に攻撃的で禍々しい紅の弾丸が、螺旋を描きながら大きさを増して充填されていき――気付けば私の目の前には、いえ、正確には私が立っていた・・・・・・・場所に、彼の放った火球弾の破壊力を物語る広大なクレーターが広がっていました。


「……いきなり何をするのですか」


 ようやく言いたかった文章を口にできましたが、今さらって感じで若干言い淀んでしまいます。

 もうとっくにいきなりは過ぎてますから。


「女王さん……うんにゃ、神さまよぉ。俺ぁ常にてっぺん目指してんだ。その夢のためなら幾らだって悪になるし、幾らだって恨まれる覚悟もあんのよ。だからよぉ……その肥やしとしては最高の獲物のオメェを狩るのも分からぁな?」

「それはそれは」


 何ですか。格好いいじゃないですか。

 黒鬼さんが手の甲についた埃を払いながら、女の私でも熱くなる台詞を冷徹に吐き捨てます。

 彼は別の世界なら主人公クラスも狙える人材かもしれません。


 空中からも通った声が聞こえてきます。


「そこな黒猿と一緒なのは不本意だが、吾輩も頂点を目指す者だ。ならばこの世界の頂点に位置する其方を殺め、頂点の座を奪還するのもやぶさかではない」

「えぇえぇ、承知しました」


 すぅ、と息を吸い込んで頷きを作ります。

 どうやらそういう事らしいです。

 要は下克上。

 私を倒して特大のEXPを稼ぎ、自分のレベルを爆上げする算段なのでしょう。


 むぅっ、私はレアモンスターじゃないのに。確かに銀髪なのでカラーリングはそれっぽいですけども。

 というかさっきから私、軽視されすぎてませんかね。


 考えれば考えるほど、憤慨していく私ですが。

 彼らは、私の頷きを見た瞬間ときからすでに攻撃体勢に入り出していました。

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