第5話 呪詛
と、その時。
俺の中に一瞬だけ、冷静さが戻ってきた。エラの鎖。それが何か引っ掛かった。そう……そうだ。何もかもがおかしいこの状況だが、中でも
喉から漏れ出ていた悲鳴が止む。同時に、男の手も止まった。互いが、互いの目を凝視する。
エラ。彼女と共に祈った時の、あの太陽を思い出す。例え夜であろうとも、信仰ある限り、心に浮かんでくるはずの光。俺達戦士は、それを力の源として戦う。それが無いことに、今まで違和感を覚えなかった。
あるはずのものが無く、無いはずの状況がある。そしてそれに気付くまで、違和感を覚えない。状況も認識も目まぐるしく変わり、そこに因果の脈絡が無い。
夢だ。この呪いは、夢を模している。
「どうした。叫べ。お前は死ぬのだ!」
男は再び、呪いの言葉をかけてきた。思考が揺さぶられ、意識が霧散しそうになる。
俺はとっさに、神と世界を想った。照らし、育んでくれる太陽。そしてその下に集う、
すると、虚構のベールを抜け、心に光が入ってきた。光は思考を包み、呪詛から遠ざけてくれる。そう、幻だ、この男は。今俺は、起きながらにして夢を見させられているのだ!
どれだけの時間が経っただろう。男はひたすら呪詛を続けていた。しかしもう、俺が揺さぶられることはなかった。
幻の男の指が、俺の体に届くことはない。これ以上、力と存在が膨れ上がっていくこともない。しかし俺も、無言で神に祈る以外に、何かをする余力はなかった。
原野に夜露が降りていく。大きく息を吸い、吐く。それを繰り返し、心を落ち着ける。冷たい空気が肺を焼き、気つけとなる。呪詛は止まないが、もはや事態が動くこともない。このまま、朝を待つのだ。
再び長い時間が経った。アテロアとラマニ、二つの山脈の間から、淡い光が差してくる。もうすぐだ。分厚い雲を抜け、神の光は確実に近づいてくる。目の前の男は疲れを知らず、大きな声で俺を呪うが、その顔には諦めが差してきている。
ついに、最初の光の一筋が、俺たちの元に届いた。男は最後に、ふうと息を吐き出し、黙った。そして言った。
「まいったねぇ。まったく、強情なこった。あんまり、俺を泣かせるなよエノク。俺があいつに、どんな目に合されると思う」
しかめ面をして、肩をすくめる。そしてわざとらしく、ふと思い出したような顔をして、手に持った彫刻を差し出した。
「これをやるよ、兄弟。また会おう」
男はにやりと笑うと、その格好のまま、すすけて消えていった。空中で支えを失った彫刻が、ぽとりと地に落ちた。
緊張が解け、全身が震えた。寒いのだ。身も心も。俺は東を向いた。朝日が見える。雲を抜け届いた、太陽の現視が、凍えそうな俺の心を溶かしてくれる。
エラ。その名が頭に浮かんだ。これでやっと会える。生きて、会うことが出来る。俺は一つ、大きな息を吐き出して……意識を失った。
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