第3話 道化の男

 怪物は、荒野こうやからやって来る。


 ノドと呼ばれるその土地は、我々の住む所の東に広がる。神から見放された地――アダムとイヴの最初の子であり、弟殺しの殺人者、カインが流刑となった土地だ。

 そしてその入り口には、南北に走る二つの山脈がある。北のものをアテロア山脈、南をラマニ山脈と言う。ノドに向かって立てば、左手にアテロア、右手にラマニが見えるだろう。

 山脈の間には、幅広く、闇がぽっかりと口を開けている。その奥に広がる荒野こそが、怪物と悪霊、そして堕落した人間達の温床、ノドなのである。




 ノドと、我々の土地との間は、原野である。そこには20の砦が存在していて、グリゴリと戦士達が住んでいる。

 砦は、二つの山脈に、遠く対面していて、南北に並んでいる。砦同士の距離は約21,000キュビト(9.4km)であり、これをもって、全長420,000キュビト(190km)の防衛線を築いている。我らがシェミハザの砦は、その中ほどにあった。




 今、俺はエラと別れ、その原野に立っていた。同じ隊の戦士達と共に、前線の見張りに出たのだ。

 砦一つにつき、毎夜300人の戦士が見張りに出る。今はそれぞれが10の部隊に分かれ、南北に散開していた。

 俺の隊は、シェミハザの砦から、南に4,000キュビト(1.8km)ほどの位置にいた。荒涼とした大地の向こうに、敵の影は見えない。




「奴ら、今日は攻めて来るかね」


 隣でさっきから、小さなナイフをいじくっていた男が、声をかけてきた。

 軽薄な口調に、俺は不愉快なものを感じた。そちらを見ると、細身で長身、ぎょろりとした目をした男の姿が、目に入った。影が薄いと思っていたが、見れば中々主張が激しい。


「さあな」


 短く答える。あまり話す気分でもなかったので、視線を原野に戻した。

 しかし、男はお構いなしに続ける。


「なあ、兄弟。賭けをしないか?奴らがどう攻めて来るか」


 賭けだと?何を言っているんだこいつは。

 仕方なしにそちらを向くと、男は薄ら笑いを浮かべていた。返事もしないのに、勝手に進める。


「まずは俺だな。ううんと……よし、決めた!奴らは今日、明け方近くになってから攻めて来る。それに賭けるぜ」


 ポン、と手を打ち、ニヤッと歯を見せて言った。


「こっそりやって来て、俺らが安心したところを狙うのさ。今日はもう来ねえ、とを括っていたやつらを、何人か殺す。そんでもって、日が昇る前に、速やかに去って行く。今日はそんな作戦さ」


 したり顔で、あごに手を当て、うんうんと頷く。本当に、何を言っているのだろうこいつは。あきれて返事をする気も失せる。


「なあ兄弟、兄弟はどう思う?」


 黙っていると、男は話を振ってきた。俺は顔をしかめ、答えず鼻を鳴らした。そのまままた、視線を原野に戻す。


「おいなんだ、ビビってんのか?」


 男は大げさに肩をすくめ、煽ってきた。


「口が動かなけりゃ手も動かないぜ。そんなんじゃ、奴らに真っ先に食われちまうぞ」


 軽薄な口調で、適当な事を続ける。


「おい何だよ、つれねぇなあ。せっかく新顔の緊張をとってやろうって言うのによぉ」


 新顔?またおかしな事を言う。俺はもう、20年はここにいる。全体から見れば新しい方だが、新顔ということは無い。

 むしろ見ないのは、こいつの顔の方だ。こいつこそ、最近入ってきたのでは無いだろうか。


 それでも答えずにいると、男はまだ喋っていた。しかし、最終的には面白くなさそうに、鼻を鳴らして黙った。そうして今度こそ、静寂が戻って来た。


 寒々とした原野を、男を隣にして眺める。早く夜が明けて、エラと再び顔を合わせたい。そう望んでいる自分に、俺は気付かないふりをした。

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