第31話「シンプルに辞めろってことだよ!!」
鼻先に触れる半渇きの髪とシャンプーの香りが、さらに俺を戸惑わせる。
ゆうゆは俺をふんわり抱きしめたまま特になにも語らない。この場合、俺も抱きしめ返すべきなのではないかと、使命感のような「べき論」が浮かんだのだが、ゆうゆに抱きしめられていることに、なにか予兆があったわけでもなく、別に二人のムードが最高潮に達してというわけでもなかったので、俺はゆうゆの肩に手を回すことが出来なかった。
「ハハ、長束ちょっと冷たいね……」
「そ、そうかな。ゆうゆは温かいけど」
「ごめんね、いきなり抱きついて……」
「い、いや別に謝らなくても大丈夫だよ」
「人肌恋しいとはちがうけど、ちょっと甘えたくなってね……」
「そっか、それはなんか不安なことでもあった?」
「うーん、そうだね。あるかもね……」
聞くのならばいまだ、というタイミングはリズムゲームのように明確に見えていたのだが、俺は次の一歩を踏み出せなかった。
いま核心に迫ってもそれはそれで人として人の弱みにつけ込んでいるようでなんとなく嫌であったし、ここで気まずくなってしまっても俺はその後の空気に耐えられる自信が無い。
「あっ、けどなんかあったらなんでも相談乗るから」
「そっか……長束は優しいね。同い年なのにお姉さんみたい」
「お姉さんみたい、かぁ」
ゆうゆと俺は同い年なのか。何歳なのか知らないけど、おそらくまだ繊細なティーンエイジャーなのだろうか。
そして、お姉さんみたいと言われるのも新鮮すぎてどう受け取っていいのかわからない。俺の兄弟構成は弟が一人いる兄、なのだが自分の中にお姉さんみがあるというのはいままで思ったことがなかったし、そもそも何を指してお姉さんみというのだろうか。
頼れる、という意味なのか母性的という意味なのか、よくわからないが、俺のいままで知らなかった一面を発掘してもらったのような気恥ずかしさがあった。
いままで他人から注目を集めたり、他人に深く興味を持たれたようなことがなかったというのも関係しているかもしれないが、他人に観察され自分の内面に関する指摘を受けるというのは、ネガティブなものでない限り少し嬉しいものである、ということを初めて知った。
「けど、もう大丈夫。ちょっと元気出た……」
ゆうゆは首の後ろにまわした両手をほどくと、俺の肩に手を置き目をみて頷いた。まだ不安げな表情は完全には消えさっていなかったが、少し心が落ち着いたようであった。
「そっか、ならよかった」
「うん、ありがとう……あってゆうかあれだね。ちゃんと動画チェックしなきゃだね。忘れてた……」
「えっ!!」
「うん、だってちゃんと動きを確認しないと上達しないじゃん……」
「じょっ、上達ってなんのために?」
「なんのためって、本番のために決まってるじゃん……」
「本番!?」
「うん、来週本番じゃん……」
「!!!」
まさかのゆうゆは、隠す気がないようであった。
こんなあっさりとカミングアウトしてしまうのかよ。ていうか本番って……一体どんな店で働くつもりなんだよ。
まさか、あれか? いま話題のパパ活的なことを斡旋するような店で働くつもりなのか? いやいまそれを俺に打ち明けられても一体どうすればいいんだ。
俺がいうのもおかしいかもしれんが、俺はそんな汚らしいおっさんの毒牙にかかって欲しくないし、傷ついて欲しくないから絶対にゆうゆをそんな目に合わせないように何が何でも止めるつもりだがゆうゆの中ではもうとっくに覚悟は決まってしまっているということかーーーーーー。
「いやゆうゆ、そんな確認することないよ。ていうかもう働くのやめなよ!」
「え……それってどういう意味?」
「シンプルに辞めろってことだよ!! どう考えてもゆうゆに向いてないからさ!」
「向いてない……?」
「いやどう考えても向いてないだろ!」
「え、なんでそんな酷いこと言うの……?」
「酷くないよ! ゆうゆのためを思って言ってるんだよ!」
俺は真心を込めて言ったつもりだったのだが、ゆうゆは俺の言葉を聞くとそのまま目に涙を溜めた。溜まった涙が頬をつたうまで、時間はかからなかった。ゆうゆは鼻をぐずぐず鳴らし、か細い指で涙を拭き取る。
「ご、ごめん」
「長束……私のこと、そんな風に思ってたんだね」
「いや、傷つけようとおもったわけじゃなくてさ」
「酷いよ……私みんなについていけてなかったから一生懸命自主練しなきゃって思ってただけなのに……」
「えっ」
「長束だって見てたでしょ。今日私だけ出来てなかったから、だから動画みてちゃんと確認しなきゃって……来週のライブまでにはみんなの足を引っ張らないようにしなきゃって……」
「あ、本番って……」
そっちの本番だったかー!! ライブのこと本番って呼ぶなんて業界用語が俺のボキャブラリーに無かったから早とちりしてたけど、そっちの本番か!! 俺の辞書の本番意味はライブのことではなくだな、うん全くライブのことでは無かったのだがこんな言い訳が通じるはずもない。
動画も、さっきまでみてた動画のことだと思っちゃったんだよ、流れ的に。まさかレッスン風景の動画だとは思いつかないよ。そう考えたら俺、とんでもない暴言をゆうゆに吐いてしまっているではないか。辞めろ。ゆうゆには向いてない。わぁぁぁこれ会社だったら普通にパワハラ案件じゃんか。せっかく心を通い合わせかけていたというのに、挽回不可能。
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