第26話「源氏名はミナミちゃんでいいかな?」


「なにしてんの?」

「あ、いや模様替え……ではないけど」


 ゆうゆは蔑むような目つきでこちらをじっと見つめる。

 陽が落ちかかったうす暗い部屋でゆうゆが右手にもったスマホの画面だけが、明るく灯っている。俺は必死に言い訳を考えるのだが、咄嗟に上手い嘘で切り抜けられるほど器用な人間ではない。ここでうまく切り抜けられるくらい口が達者であったならもっと出世していたはずだ。

 えーっと、ここで一番疑われてはいけないのはなにかを盗もうとしていた、という誤解である。なにかを盗もうとしていたわけではないという主張をするためには、なにかを探していたという言い訳がぴったりである。あぁ、そうだ。


「ご、ごめんね、勝手に開けちゃって。実はちょっと探し物をしてて」

「探し物? なに?」

「……パンツ! 最近買ったパンツが見当たらなくてもしかしてゆうゆのとこに紛れてるかな〜とか思って!」

「えっ、それってどんなやつ?」

「あ、赤いやつ! わりとセクシーめな! レースの!」


 ……どんなやつか。そこまで俺シナリオ練ってねぇよ! なので咄嗟に好きな下着の色を答えてしまう俺であった。うう、これはなんの告白なのだろうか。


「赤いやつ?」

「うん、そうそうそれが無くなっちゃって」

「あ……」


 するとゆうゆは、なにを思ったのかプリーツスカートの裾を指先でつまんだと思えば、ゆっくりと捲り上げた。


「!!!!」

「……うん、これは私が買ったやつだ」


 言霊を信じるか? と言われれば俺はこの瞬間までそんなスピリチュアルめいたもの信じていなかった。

 けれども確かに言霊というものは存在した。思考は現実になる、俺は一瞬で引き寄せの法則の存在、肯定派へと寝返りそうになった。

 なぜならゆうゆが捲し上げたスカートの先には、俺好みのパキッとした赤色のレースのパンツが顔をのぞかせたからだ。信じるか信じないかは、あなた次第です……が。

 いやいやいや、けどゆうゆ、そんな簡単に大人にパンツを見せちゃいけないよ。ほら世の中いい大人ばかりじゃないし、別にこうなることを期待して口車に乗せたわけではないけれども、そんな俺の咄嗟の嘘に引っかかってパンツを見せちゃいけないよ! うん、いや責めてるわけじゃないんだけどね……むしろありがとうございます。


「で、そのパンツを探してたから、ひっくり返したの?」

「あ、いや! これはちゃんと片付けるので」

「そう……けど人のクローゼット勝手に見たりするのはよくないよ」

「そうですよね、すみません」

「……今後は勝手に見たりしないでね」

「はい……気をつけます」

「はぁ」


 ゆうゆはため息をつくと、俺から顔をそらし天井から垂れ下がった紐を引っ張り、部屋の明かりをつける。

 そして昨日と同じようにそのままベッドに横たわると、枕元の充電コードをスマホに差してから、いつものように画面をいじり出した。


「長束……」

「はい、なんでしょう」

「片付けあとでいいから、お風呂のボタン押してほしい」

「はい」


 おそらく多少気分が悪いであろうが、表情にはっきりとはでないゆうゆの機嫌をこれ以上損ねないために、俺は言われた通り風呂場へ直行し、お湯はりのボタンを押す。こういう時の無言のプレッシャーは本当に堪える。「もう!クローゼット開けるとか絶対やめてよね!」と面と向かってはっきり叱られる方が楽なものである。相手が無言だと怒りのボルテージがどこまであがっているのかを測りきれないし、なんといっても場の雰囲気が重い。この重圧は何度体験しても慣れないものである。

 俺は、心ばかりの誠意として風呂場の床を備え付けのブラシで磨き、シャンプーやコンディショナーのボトルをなんとなく揃える。正解の並びはわからないので、なんとなく大きさを並べみるという程度の気遣いだが。

 

一通り気づいた程度のことはやりきったタイミングで、軽やかなメロディーと共に《お風呂が沸きました》というアナウンスが聞こえる。湯船に手をつけると、少し熱めではあるがいい湯加減となっていた。

 俺は濡れた手を念入りにタオルで拭き、再び片付けを再開するために、ゆうゆの部屋に戻る。


 お湯が沸いたことを知らせるアナウンスを聞いたゆうゆは、俺と目を合わせることもなく、片手にタオルと下着を持ち、風呂場へとさっと立ち去った。むぅ、やっぱりまだ機嫌を損ねてしまっているようだ。まぁ、けどこういったものは時間が解決するしかないし……。

 と、床に広がったセーターを畳もうとした時、ピコピコとゆうゆのベッドの方から音がした。俺が使っているスマホと同じメッセージの着信音に反応して、ちらっと覗くと、鳴ったのはゆうゆのスマホのようだ。


 どうやら、充電を差しっぱなしにして風呂にいったようだ。……が、画面に表示されたメッセージが俺の背中の体温を奪う。ヒヤリ、としたのは冬の夜の隙間風のせいではない。


《じゃあ、出勤する日は次の火曜日で。源氏名はミナミちゃんでいいかな? うちのお客さんはみんな紳士だけど、なにか不安なことがあったら言ってね!》


 源氏名……。その明確な一言に俺は、さっきまで「まさかなー」と半信半疑であった自分をなんと危機感のない発想なんだ、と悔やむ以外に後悔の方法が見当たらなかった。言霊、というものはないだろうとあくまでリアリストな俺であったが、思考は、こうも現実になってしまうというのか。てゆうかゆうゆ、マジ、ですか……!!!???


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る