第21話「もしかして……タバコ吸ってるの?」

「じゃあお疲れ〜また来週」


 先生は飲みかけのカフェオレを片手に颯爽とスタジオをあとにした。

美子もじゅんも、ゆうゆに特別な言葉をかけることもなく、帰り仕度をしている。

 俺はというと、ただ静かに泣いている女の子を目の前にただオロオロしていた。

 ゆうゆに「大丈夫だよ」とか「先生も言い過ぎだよな!」と慰めの言葉をかけても良かったのだが、中途半端に慰めるべきかどうするべきなのか、正直この場での距離感を掴めずにいた。そして、泣いているゆうゆを特に気にもとめず、我関せずといった感じでバッグに着替えを詰める美子とじゅんの様子も若干怖かった。


 女同士の付き合いはもっとベタベタしたものだと思っていたが、この三人の様子をみると意外にもビジネスライクなものなのかもしれない。

 そして、ゆうゆが泣いている件は気になるが、俺には美子にグラビアをやるように諭すというミッションも課されているのだった。

 正直このイレギュラーな場でなにを優先することが大切なのかわからないでいたが、仕事と考えるといまは予定通り美子を説得することもおろそかしすべきではない。ゆうゆのことは家に帰ってから励ますことにしよう。

 俺は、意を決して美子に話しかけてみることにした。


「美子……さん、あのさこのあとちょっと時間あったりする?」

「このあと? うん、夜までなら時間あるけど。どしたの?」

「いや、ちょっと話したいことがあってそのよかったらお茶でもしない?」

「別にいいけど……」


 美子はそういうと、ゆうゆとじゅんの方をちらっと見た。ゆうゆは相変わらずうつむいて美子と目を合わせることはなく、じゅんはじゅんで忙しそうにスマホを触りながら「ごめん、私このあと予定あるんだよねっ」とだけ言い残し、足早にレッスン場を出て行った。


「じゃあ、どうする? 二人でお茶する?」


 美子はゆうゆに声をかけることなく、俺に問いただしてきた。


「そ、そうだね、このへんなんかあったかな……」

「まぁ適当に駅の近くいけばあるでしょ」

「じゃあ、いこっか。ああ、ゆうゆも来る?」


 俺は一応、ゆうゆに気をつかってみたものの、ゆうゆは俯いたまま

首を横に振るだけで、誘いにのってくることはなかった。俺と美子はゆうゆを残して、駅へと向かった。


「長束どっかあてはある?」


 レッスン場から駅まで喫茶店を探しながら歩いてきたものの、意外とカフェは見当たらなかった。美子とゆっくり話さなくてはいけないので、居心地がよくゆったりできる喫茶店はないものか……と周りを見渡していると、ふと見慣れた看板が目に入る。

 白い看板に茶色い文字で「喫茶ルノアール」と書かれたサラリーマンのオアシスである。よく営業回りに疲れた際に立ち寄った記憶が蘇る。ルノアールは、ドリンクこそ他のチェーン店と比べて割高だが、分厚いおしぼりも出てくるし、最後に暖かいお茶も出てくるし、そのホスピタリティを考えると決してコスパは悪くない。

 しかも、隣の席との間隔もゆったりめにとってあるので商談など込み入った話をするには最適の場所だ。そして、なんといってもタバコが吸える。それらの理由すべてを合算するとルノアールは居心地のいい喫茶店の最高峰ともいえるのではないか。よし、ここはルノアールに立ち寄ろう。


「美子さん、ルノアールにしよ。ほら、ルノアールだったらタバコも吸えるし」

「え……? タバコ?」

「あ、美子さんは吸わないよね……」


しまった!! そこまで口走ってから俺は、サラリーマンのオアシス・ルノアールを目の前にして気が緩みきっていた自分の醜態に気がつく。タバコ吸わないよね……じゃねぇよ!! なに非喫煙者に対して気遣いを忘れないのが大人のマナーみたいな口ぶりで言ってんだ! 吸うわけねぇだろ! ていうか未成年の女子じゃねえか! 俺もな!


「え? もしかして……長束ってタバコ吸ってるの?」


 美子は、困惑した表情で俺の目をじっと見てきた。いや、この体になってからは吸ってないよ、以前は確かに吸ってたけど、電子タバコに切り替えたからほぼ吸ってないようなものかもしれないよ……と苦しい言い訳は浮かんだものの、当然そんな屁理屈を美子にぶつけることもなく俺は、生徒指導部の先生に喫煙を疑われた男子高校生みたいに真面目な態度に出た。


「いえ、吸っていません」

「じゃあなんでいきなりタバコとか言い出したの?」

「いや、ほらルノアールは喫煙席と禁煙席できっちり分煙されてるし! 吸わない美子さんも煙たくないよ!」

「え? ああ、ありがと……」


どんな逃げ方やねん、と自分でも言っていて苦しかったが俺はなんとか会話を繋げ、入口へ続く階段をあがった。

 途中、前を歩く美子のグレーのミニスカートから覗く、薄手の黒タイツをまとったスラッとした脚の艶かしさに心臓を射抜かれそうになったが、俺は頭を真っ白にし、さきほど見かけた高収入求人の宣伝カーから流れるテーマソングを頭の中でリピートすることで煩悩を消し去ることに成功した。ありがとう、助かったよバニラ……。


「で、どうしたの? いきなり」


 注文したゆずスカッシュを一口飲むと、美子はいきなり核心に迫ってきた。俺はコーヒーをすすり、ティーソーサーの上に置く。


「えっと、仕事の話をいろいろ美子としたくてね」

「そっか、私もどうしたものかと思ってたんだ……」


 美子は意外にもすんなり、俺が振った話題にのっかってきた。昨日のトークルームの流れだと、「水着とかありえない」とお怒りの様子であったが、ひと晩寝て考え直したんだろうか。昨日までの苛立ちはすっかりなくなり、余裕ある受け答えだった。


「美子も考え直してくれたってこと?」

「まぁ、そうだね。考え直したっていうかこのままじゃいけないなってのはずっと思ってたよ」

「そっか、じゃあ社長にちゃんと伝えるの!?」

「うーん、社長に伝えるのはまだ早いかなぁ? 思ってたけど、そろそろ時期かもしれないね」

「それ絶対、社長も喜ぶよ!! 良かったぁ」

「ホント? 長束もそう言ってくれるとなんか安心するなぁ。ほら、私一応最年長じゃん、だから大人げないことはしたくないなぁっていろいろ考えてて」

「うんうん、けどそう思えるのはすごくいいことだと思う!」


 なんということだろうか! 俺が説得するまでもなく、美子は昨日の自分の行動を大人げなかった、と反省してくれていたようであった。

 ゆうゆから美子は一番マイペースな奴だ、と聞いていたこともあってきちんと説得できるのか不安だったものの、意外とすんなりいきそうだ。

 こうも素直な反応を見せられたら、美子のことが、とても可愛いらしく愛おしい存在に思えてくるから不思議だ。

 もちろん美しい顔立ちをしているのだが、それとは別にこう胸の奥から暖かな想いが湧いてくる。なんだ、見た目は一見、気がキツそうで高飛車な印象だが、話してみると素直でいい子じゃないか。


「せっかくだしさ、今うちに社長に伝えたらどうかな? きっと喜んでくれると思うよ」


 俺は、美子の気が変わらないうちに早速社長に連絡をするよう、促すことにした。

 これは営業経験から得た知恵であるが、クライアントの気分がのっているうちに一気に契約まで推し進めることは、基本中の基本である。時間をおいてしまうとテンションが下がったり、他の人から余計なことを言われて結局契約まで辿り着かないなんてこともあるので、気分がのっているうちに言質をとることが必要なのだ。


「え? いま社長に話したほうがいいの?」

「うん、いま電話して伝えるのがいいと思うよ」

「でも……いきなりすぎないかなぁ?」

「大丈夫だよ! いま電話しちゃお!」

「そっかぁ、うん! わかった」


 美子は、まだ少し戸惑っているようであったが、俺の後押しを受けて社長に電話する決心をしたようだった。長い脚を組み、スマホを耳に当てる美子の姿を見て俺は、安心してすこし冷めたコーヒーをすする。


「あ、もしもし社長ですか? はい……ちょっとお話があって電話しました」


 美子は周囲に気を使うように、口元を手で隠しながら社長と話す。


「はい、はい。そうです、仕事のことで……いま長束と一緒にいまして」


 美子はこちらにアイコンタクトを送りながら通話を続ける。俺は、美子の目を見て、「ファイト!」という意を込めて大きく頷いてみた。すると次の瞬間、口元で笑顔を作った美子から衝撃的な言葉が飛び出たのだった。


「あの、二人で話し合って社長に伝えようってなったんですが……えーと……ゆうゆを辞めさせてください!」

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