第20話「泣いているのだ、ということは容易に想像できた」

先生から言われたアドバイスを熱心にノートにまとめるゆうゆの姿勢に感激していた俺であったが、美子とじゅんも、水を飲み終えるとすぐに立ち上がり再び鏡の前に立った。


「あのさ、ここの部分って左、右で踏み出すんだっけ?」

「うん、そこは左足が先であってるよ」

「じゃあさ、このサビのとこは、4で手を出すのか5で出すのかどっちだっけ?」

「そこは5だね。一回やってみるね。1.2.3.4.5!」


休憩中ではあるが、二人も熱心に振りのタイミングの確認をしているようだ。練習熱心な姿勢は、もはや俺が想像していたアイドル像とは違い、アスリートに似たストイックさを感じる。

 俺はその熱心な姿に焦りというか劣等感のようなものを感じた。

 ミーティングの時こそ、適当にこなしていたが、お客さんのいない見えないところで気を抜かずに熱心に努力をしているその姿に、ああ俺の人生でこんなになにかに打ち込んだことはあったかな……と、みんなのことを羨ましくも感じた。


 熱意とか熱狂とか、言葉こそ気軽なものだが、俺はこの熱狂という言葉に一種の嫉妬心を覚えることがあった。

 自分が支配されるほどになにかに熱狂したような経験に覚えがないからだ。

 10代や20代頃は、スポーツにしろ趣味にしろ、なにかに熱狂している奴をあざ笑うようなことも多かったが、30代に差し掛かったあたりから俺はそんな自分が、虚しい人間のように思えてきた。


 なにかひとつのことに熱狂することも出来ず、ただ熱狂している、戦っている人間の不恰好さを笑うような自分の内面は空っぽなんじゃないか? という影が心に忍び寄ってからだ。

 そんな虚無感に襲われるたび俺は、深く考えないようにして、また必死になっているやつのことを笑うのだけれども、そんな自分に対して嫌悪感のようなものはどんどん心に影を落としていった。

 熱狂。それは俺がいくら欲しがっても自分には縁がないものであり、ある一定数の人にしか巡ってこない一種の才覚のように感じるようになった俺は、熱狂できる人間に対する嫉妬心やコンプレックスのような負の感情を、隠すようにバカにするのだったが、影はしっかりと心深くに根を伸ばしていくのだった。


 10分の休憩時間はあっという間に終わり、俺たちは再びダンスを再開した。ペットボトルの中身も空になり、4時間にわたるレッスもそろそろ終盤にさしかかろうとしていた。


「じゃあそろそろ終わりだから、最後に次のライブでやる曲を全部通しで! 頭から全部」

「はい!」


 次の対バンライブで俺たちは30分時間を与えられているようで、曲数は5曲であった。だいたい一曲5分前後プラスMCを挟むので、30分の尺だと5曲くらい楽曲をできるようだ。


「じゃあ、最初は板付で始まるから」


 美子がみんなに話しかける。板付、というのは暗転中にステージにスタンバイし、ポーズをとった状態で待機し、曲をスタートさせることらしい。


「あっ! 先生あとスマホお願いします!」


 美子はそういうとスマホを取り出し、先生に渡した。

先生はスマホを横にむけるとこちら側を向いて、鏡の前に体育すわりをする。


「えーと、そうだな。みんなもうちょっと後ろ下がって。うん、よしこれで入る」


 ピコンと動画撮影がスタートした音がする。

 俺たちは一曲目の立ち位置につき、曲が始まるのを待った。




「……はい、おつかれ!」


 5曲踊りきった俺たちは、先生の声がけに言葉を返す余裕がないほどに息切れしていた。


「あ、ありがとうございます……」


美子はぜぇぜぇと息切れしながら、先生からスマホを受け取った。


「みんなもうちょっと基礎体力つけないとな。えーと今日気になったことを言うぞ。まず美子」

「はい!」

「全体的に上手くできてるけど、ステージで後ろに下がりすぎるときがあるからもっとバミリを見て立ち位置をしっかり。美子がセンターにいるときは特に気をつけて」

「はい、気をつけます」

「で、じゅん。じゅんは、後半になると手の動きが雑になりがち。最後までしっかり意識してやりきるように」

「はいっ最後までちゃんと頑張ります」

「次、長束。長束は表情をもっと意識するように。おどおどしすぎだ。特にソロパートの部分では注目されているんだから、もっとお客さんを魅せるように、表情を研究しろ」

「は、はい!」


 表情を研究……確かにダンスはみんなに食らいついてなんとか頑張ったが、表情も気にしないと! と思いつつそんな余裕を持てずにいたな……むぅ、なかなか難題だ。


「最後、ゆうゆ。ゆうゆは……」


 先生はそこまで言うと、急に口ごもった。


「多少きつい言い方になるが、みんなよりテンポが遅れすぎだ。正直、ゆうゆがステージの完成度を下げてる。みんなより課題が多いからしっかり自主練をするなりしないと、ゆうゆのせいでグループの質が下がる。そのあたり自覚してるか?」


「はい……」


 スタジオの空気が急にずんと重くなる。俺はその重い空気に、ゆうゆの顔を見ることも出来ずただじっと俯いていた。美子とじゅんがどんな表情をしていたかわからなかったが、二人もなにも言葉を発することはなかった。そしてそのすぐ後で、鼻を小刻みにすするような音が聞こえてきた。

 

 顔を上げることはなかったが、ゆうゆが泣いているのだ、ということは容易に想像できた。



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