第19話「実際にやってみるとマルチタスクをこなしているようなものだ」

 体が覚えている、とはこういうことを言うのだろう。

 

俺の体にはダンスの振り付けがきっちり叩き込まれていたようで、自転車をなんなく運転できるように、一曲を踊りきることができた。鏡に映った自分の姿をじっと見ながら踊るような経験は普段なかったので、ずっと自分の姿を見つめながら踊るという経験に気恥ずかしさを覚えたものの、周囲の真剣な姿勢に啓発されて、真面目に踊りきった。

 たった5分ほどの曲であったが、動きっぱなしでいるとじんわり汗をかいてくるものだ。


音楽が止まるのと同時に、先生がパンパンと手を叩く。


「えーと気になったことを1つづつ言っていくな。まずイントロのターンの部分、みんな合ってない。特にゆうゆがちょっと遅い」

「すいません……」

「もういっかいみんなで確認しよう。6部分で右足をかけて、7で回って8で正面を向く。はい、1.2.3.4.5.6.7.8」


 先生は手拍子を叩きながら拍数を刻む。みんなそれに合わせて綺麗にターンする。


「こら、長束。長束もボーッとしないでちゃんとやる!」

「あっはい!」

「じゃあもう一回、1.2.3.4.5.6.7.8……まぁさっきより良くなったな。じゃあ次。Aメロで手をのばすとこ。その時の角度が合ってない。みんなそこどうやって手を挙げてる? やってみて」


 再びスピーカーから音楽が流れ、それに合わせてみんなはまた踊りだす。そして先生が気になったというAメロの途中で音楽がぴたっと止まる。


「はい、手はそのまま止めて。えーと美子と長束は45度くらいだな。で、じゅんは70度くらいになってるな。高く手を挙げすぎだからもっと美子くらいに合わせて」

「はい!」

「で、ゆうゆは手を下げすぎ。美子に合わせて」

「はい……」

「で、みんな全体的に部分でも指先がへにゃってなってるから、指先まで見られてるってちゃんと意識して。薬指に力を入れるように意識してピンと!」

「はい!」

「じゃ、もう一回イントロとAメロやってみよ」


 俺たちは、先生に言われたことを頭に叩き込み、再度振りを確認する。そして、それを何度も何度も繰り返した。

 1時間半も踊りっぱなしだと少しバテてくるのだが、誰一人「休憩したい〜」とは言わないし、息切れはしているものの、眼差しは真剣なままだった。

 すげぇ。なんというかプロ意識的なものを、メンバーたちの目の奥に感じた瞬間であった。昨日のミーティングの時は皆帰りたいオーラが全開であったが、今日のダンスレッスンに関しては誰一人弱音を吐くやつも、やる気のないやつもいない。正直、俺がみんなのことを舐めすぎていたのかもしれない。人とは一瞬では判断できないものだ。


「じゃあ頭から一曲通して、そのあとに一旦休憩いれるか。さっきいったこと全部忘れないように」

「はい!」


 先生に喝をいれられ、俺はさっき受けた指摘をうっかり忘れないよう意識しながら、再度踊りだす。

 アイドルのダンス映像は端から見ると、みんなただ楽しく踊っているようにしか見えないが、実際にやってみるとマルチタスクをこなしているようなものだ、ということを初めて知った。


 歌詞を間違えないよう歌いながら踊る、だけでなく立ち姿や指先など細部まで神経を張り巡らせ、なおかつ表情が崩れないように常にキメ顔をして踊っているので、頭をめちゃくちゃ使うのだ。

 これをさらっと自然にこなせるようになるまでは、まだまだ時間がかかりそうである。振り付けだけでなく振る舞いそのものを体に覚えさせなくてはいけない。ただ楽しそうにダンスしているだけではなく「楽しそうに魅せる」ということの難しさを初めて思い知る経験となった。


「はい、じゃあ10分休憩! 終わったあとはフォーメーション確認と、次のライブでやる曲を予習しよう」


 先生はコンビニ袋からカフェオレを取り出して飲む。メンバーたちは「暑〜」と言いながらハンドタオルで汗を拭き、1リットルサイズの水をがぶ飲みする。

 ここに来て俺はスポーツドリンクを買ってきたことに後悔する。口の中が乾ききっているので、スポーツドリンクでは甘ったる過ぎるのだ。次回からは、きちんと水を買おう。


 そんなことを考えながら、ちびちびスポーツドリンクを飲んでいると、ゆうゆがガサゴソとバッグから一冊の黒いノートを取り出した。

 ゆうゆは、ペンを持った右手を時折口元にあて、何かを思いだすような仕草をとっては、熱心にノートになにかを書き込んでいた。


「?」


 真っ黒なノートの表紙には銀色でなにやら英文字が書かれている。あれ、このデザインなんか既視感あるぞ……どっかで見かけたような……!! まさか! 死神の……!! 

 俺は目を凝らし、ノートに書かれた英文字を読む。「DEATH NOTE」と空目したが、よくみると普通に「DIARY NOTE」と書かれていただけであった。……そらそうか。

 けれども短い休憩時間を削ってまで、そんな熱心になにを書いているんだろうか、と気になった。


「ゆうゆ、なにしてるの?」

「メモとってる……」

「メモ?」

「うん、さっき先生が言ってたこと……書かないとまた忘れちゃうから……」

「‼︎」


 なんと出来た子なのだろう。俺はその穢れのない純粋さに、ウユニ塩湖の透明度を思った。ネットでしか見たことないけれども。

そう、社畜時代にさんざん上司から「出来ひんのやったら、ちゃんとメモとりや!! すぐ忘れるやろ!」と怒られていた記憶がフラッシュバックした。


 俺は何度怒られても、ポーズでメモとるだけだったから後で読み返しても何のこと書いたか全然わからない雑字であったが、ゆうゆ、君は自主的にメモをとるのかい。君が営業だったら優秀者表彰されていたであろう、社長に表彰されているスーツ姿の君、というパラレルワールドがフッと頭に思い浮かんだよ。

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