第8話「私、水着はやらないって決めてるんで」
「おお、おつかれー」
現れたのは紺色のスーツを着た、40代半ばといった年齢の男性だった。シャツは胸元までボタンが空いており、髪はワックスで固められた濡れたような質感の黒髪のツーブロック。格闘技でもやっていそうなガタイのいい体つきをしている。その威厳のある見た目と釣り合いのとれた低音ボイス。
「あ、社長おつかれさまです」
美子はとりあえず、といった感じでやる気なさそうにぺこっと頭をさげる。美子に続き、ゆうゆとじゅんも「おつかれさまでーす」と小声でだるそうに呟いた。俺も慌てて「おつかれさまです!」と頭をさげる。ほう、この人が社長なのか。往年のホストか意識高い実業家かと思ったわ。
「うわー相変わらずテンション低いなー」
社長は呆れた様子でメンバーを見渡した。
「テンション低いっていうか、テンション上がることがないだけですけどぉ……なんかパッとした仕事ないんですか」
独り言でも言っているかのように、嫌味ったらしく呟いたのはじゅんだった。
「その営業に行ってきたんだよ。ほーら!これに出れば一気に全国区だろ!」
社長は重たそうな革のバッグからA4ファイルを取り出すと、一枚の紙をこちらに差し出した。そこにはさまざまなアイドルグループごとに水着グラビアを撮影し、人気投票によって一位になったグループの撮り下ろしを行う、という企画が書かれていた。
「……グラビア」
「うん、グラビアだね」
美子とゆうゆは、グラビア企画であることを確認すると、特になんのリアクションも示さずに黙り込んだ。
「……やっぱりダメだったか」
二人のリアクションをみて社長も肩を落とす。なにが起きているのか俺にはいまいちよくわからない。すると美子が口を開く。
「社長が言ってることもわかるんですけど、私水着はやらないって決めてるんで」
「いや、けどさ今回は規模がデカいわけじゃん! エントリーした時点で雑誌に載れるんだからチャンスだよ! 全国誌だし!」
「じゃあ余計に困ります」
「どうして!?」
「何度も言ってるじゃないですか。これが全国に出回ったら困るでしょ。水着だけはやらないって決めてるんで」
「いや、けどさ……」
「けどじゃないです。それは事務所に入った時から言ってます」
「そうだけど、ちゃんとした雑誌だよ? エロ本とかじゃないよ」
「どういう雑誌だろうが一緒です。私は水着は絶対やりません。ていうか私いまから個人ボイトレがあるんで、先に失礼します」
そういうと、美子はバッグを肩にかけて立ち上がり、社長と目を合わすことなく
「おつかれさまです」と小さくつぶやき部屋を出て行った。玄関のドアは美子の怒りをそのまま表したようにガチャン!と立てて閉まる。
「あーあ、水着の話するから美子怒っちゃった」
美子が帰ったことを確認すると、じゅんはドカッとソファーにもたれかかり社長に追い打ちをかける。俺は美子を追いかけてフォローしたほうがいいんじゃないか? といらぬお世話かもしれないが焦っていた。
「あの、美子さんを追いかけなくていいのかな?」
「いつものことでしょ、美子はセクシー担当になるのが絶対いやなんでしょ。お嬢だから」
ふたたび訪れた険悪なムードに、俺は気を使ってみるがみんな水着の話題を出すと美子が怒るという一連の流れに随分慣れているようだった。
「はぁ、絶対人気でると思うんだけどなぁ美子はスタイルもいいし。けど本人があそこまで嫌がるなら今回はしょうがないか……」
各所に営業に回り、やっと手に入れたであろう企画を瞬速で拒否されたことに、社長はがっくり肩を落としていた。全くの初対面であるが、俺は社長に共感せざるをえなかった。
俺もさんざん営業にまわり乗り気なクライアントを見つけても、結局、社内審議で折り合いがつかなくなる辛さを知っているからだ。といっても俺の場合は学生街に設置されているフリーペーパーの広告営業だった。
近隣のラーメン屋や居酒屋に広告掲載を掛け合ってみるものの、たいがい「そんなフリーペーパー知らないよ」と一蹴され、さんざん広告料を値切られ、言われたままの金額で、社内に持ち帰っても結局身を結ばずといった徒労の繰り返しであった。
俺も正直、フリーペーパーなんかどうでもよかった。地元でもない地域を、盛り上げたい! と高い志をもつほどピュアな人間でもなく、ただ昼食によく利用するつけ麺屋で、フリーペーパーについてる味玉無料クーポン券を個人的に利用する程度の愛着しかなかった。
けれども、そのクーポン券をつけるか否かの交渉に駆け回るのが俺の会社でも役目であり、俺と社会との接点でもある、という自覚はもっていた。
スケールの小さい仕事内容に、働くとか、人生とは一体なんなのか? を自問自答することもあったが、それが俺の人生の一片を担っている仕事であったことは確かなのだ。
世の中にはやりたくないことはやらずに、自分の好きなことだけをうやって成功を収めたり、飯を食っている奴もいるだろう。
けれども俺にはそんな才能も商才もなければ明確な夢もない。それならば与えられた業務をしっかりとやりきる、ということで自分は社会人であるという自信をつけようと思ったのだ。
スタバでMACを忙しそうに叩いている奴や、六本木で飲み歩いている起業家連中からみれば「意識低っ」と鼻で笑われてしまう人生かもしれないが、どんな小さな仕事でも責任感をもってやり遂げる日々に、俺の一生懸命は詰まっていたのだ。
そう思うと、俺には美子の勝気な態度が、納得出来なかった。
「じゃあ、残念だけど今回うちのグループはエントリーしないって方向で先方に連絡いれとくわ……」
そういうと社長は、はぁ、とため息をつき立ち上がる。
「社長、ちょっと待ってください」
「え?」
「ちなみに確認だけど、じゅんとゆうゆは別に水着になるのは大丈夫なんだよね?」
「私は全然やりたいかんじだけどっ」
「私は……みんながやるなら合わせる……」
「社長、先方に連絡を入れるのはちょっとまってもらえませんか、一度、美子に直接掛け合ってみます」
「長束……お前……」
「無理かもしれないですが、一回美子とじっくり話してみますよ」
万年係長という、中間管理職につく人間の性かもしれないが、俺は社長の姿をみていたたまれない気持ちになってしまった。実際に美子を説得することが出来るかはわからないが一度、美子に掛け合ってみようという責任感に似たなにかが湧き上がってきたのだ。
「長束、お前ボーッとしたやつだと思ってたけど、なんかプロ意識というか社会人らしさが増したな、日々成長していて俺は嬉しいよ……」
社長は、俺の一言に相当感極まったようで「俺の教育は間違ってなかったんだ」と自分に言い聞かすように、呟いては何度もうんうんと頷いた。
「まぁ、美子OKがでたら全国の人に私たちを知ってもらえるチャンスだもんね。いまからダイエット頑張ろっかなっ」
じゅんは今回のグラビア企画にわりと乗り気なのようで、いまからスタイル作りに意気込むようだ。
「社長、ちなみに先方に連絡するデッドラインはいつになりますか?」
「撮影は一ヶ月後だから、いまから一週間後には最終ジャッジを連絡すれば、大丈夫かな」
「じゃあ、一週間かけて美子を説得してみます」
「ありがとう。お前いつのまにかすげぇ中間管理職っぽくなったな……ホント嬉しいよ」
「じゃあ、話がまとまったとこで、そろそろ解散しますかっ」
「だね……行こっか……」
みんな床に置いたバッグを持ち上げ、おのおのに立ち上がる。
ひと段落したので、もう解散するという和やかな雰囲気だが……そういえば俺はどこに帰ればいいんだ? というかそもそも家は存在しているのか? 根本的ん疑問にいまになって気がつく。
しかしここで「そういえばさ、なつかの家ってどこだっけ?」と聞くのも謎すぎる。というか痛すぎる。一体どうすれば……ああ、そうだ。人は行き詰まったときほど良い感じのアイデアが降ってくるものなのかもしれない。
「うっ!!みんなごめん……なつか、ちょっと体調悪いみたい……。めまいがする……誰かおうちまで送ってくれないかな……」
俺は、立ち上がった途端、千鳥足でふらつき、壁にもたれかかる演技をしてみた。家の場所どこだっけ?と聞くのは怪しいが、体調悪くなったから家まで送ってくれ、という算段で家の場所を聞くのは不自然ではないはずだ。
俺は、体調が悪そうなふりをしながら、薄目でみんなをちらっとみた。が、誰も大して動揺している様子はなかった。
「家まで我慢できないレベル……? 歩ける……?」
「うん、歩けるんだけど……家の前までは付いてきてほしいかんじかも……」
「家の前……?」
「と、遠いかな?」
すると、ゆうゆが急に心配そうな眼差しをこちらに向けてきた。
「……長束、本当にしんどいんだね。わかった、荷物もってあげるよ。ほら、つかまって」
ゆうゆは俺が右手にもっていた大きなトートバックを自分の左肩にかけると、右手で俺の左手を握った。
「!」
しっとり柔らかいけれど冷たい手のひらと、関節の細さがはっきりわかる指。指先は冷えた陶器のカップの持ち手を思わす冷たさだ。普段触れたことのない感触に、俺は手の平から、自分が男であることを意識しだす。
女の子とこんな風に手を繋いだのはいつぶりだろうか。俺は、手汗に気づかれないように弱々しくゆうゆの手を握ることにした。
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