第9話「長束……もっと奥につめて」
「ほら、長束ついたよ……」
事務所から徒歩2分。細い裏道を2度ほど左折した場所に建った古びた薄灰色団地マンション。その6階がどうやら俺の家らしい。
「はぁ、ただいまー」
ゆうゆは荷物を玄関に置くと、こげ茶色のフローリングの廊下へ上がる。
玄関を開けた瞬間から、部屋にはアロマの香りが立ち込めていた。
ファッションビルに入っている小洒落た雑貨屋の前を通った時に香る、あのメンタルに良い効果がありそうなリラックスする香りだ。
嗅覚で、俺は女の子の部屋に来たことを実感する。
玄関から続く廊下を進むと、廊下沿いに小さなステンレス製の台所がある。廊下の奥のドアを開けると、そこには6畳ほどの和室があり、その右側には7畳ほどの洋室があった。洋室にはシンプルな白い枠組みのシングルベッドが置かれている。
ふたつの部屋は薄い引き戸によって仕切ることができるようだが、引き戸は開いた状態で、和室と洋室が混在するワンルームのようになっていた。
和室からはベランダに出ることができるようで、パステルピンクの柔らかなカーテン、ところどころに紙袋や封筒が散らかり生々しい生活感がある。間取りは2Kといったところだろうか。
「ほら、長束寝てたら? 冷蔵庫になんかあるかな……」
「え? ああ、ありがとう」
「じゃ、いまのうちにお風呂も沸かしとくか……」
ゆうゆはそういうと、脱衣所に向かい、浴槽の蛇口をひねった。
感情がつかめず、一見冷たそうに見えるけど以外と面倒見がいい子なのかな……。俺はそんなことを思いながらも、とりあえず寝たふりをして、ゆうゆが出て行くのを待つ作戦に出ることにした。
寝床のありかを確保するところまで出来たが、まだ俺の身に何が起こっているかを完全には確認できていない。
とにかくいまは今日起こったことをゆっくり振り返って、一人になって、タバコでも吸って一服してからでないと頭をリフレッシュできなそうだ。
確か事務所の近くにコンビニもあったから、そこでハイボールとビーフジャーキーでも買って晩酌しながら今起こっていることを、ひとつひとつ振り返ってみるか……。
ひとまず俺は寝たふりをすべく洋室にぽつんと置かれたベッドに潜り込んだ。ひんやりしたシーツが肌にしっとり触れる。蛇口が開き、湯船にたっぷりお湯が溜まっていく音を聞きながら、俺は目を閉じた。だが、リラックスしたのも束の間、蛍光灯のうるさい明かりに起こされる。
「長束、具合はどう……」
目を開けると蛍光灯から垂れ下がった紐を握ったゆうゆがこちらを見下していた。
「ごめん、今日はもう休もうかな。ぐうぇっぐうぇ」
ゴホゴホと咳をするはずがいつもの癖で、思わずえずいてしまった。見た目が変わってもえずき癖は治っていないようだった。あゝ、悲しきおっさんの性。
「……そう」
ゆうゆは手でしっしっと犬でも追い払うような動作をこちらに見せたと思えば、ベッドに腰をかけた。
「長束……もっと奥につめて」
「ご、ごめん!」
そういうとゆうゆは、俺の隣にごろんと寝転がった。
「ふぅ……」
俺に背を向けると、ゆうゆはそのままスマホをいじりだす。
ゆうゆのサラサラのショートカットが鼻先に触れる。細く柔らかな毛質で、髪からはかすかにバニラのような甘い匂いがする。
鼓動が早くなるほど罪悪感が混じった緊張感がこみ上げてくる。俺は、自分の気がおかしくならないように、ギリギリまで壁に身を寄せ壁側を向いた。小さく体勢を変えるたびベッドは意味深にギシっと音を立てきしむ。
この状況、一体どういうことなのだろうか。
……仮に俺が男だったらこの状況はOKサインなのだ、と受け取って次のアクションを起こしていただろう。いや、まぁ男なんだけどな。
しかし、いまは一応女の子同士だ。女子という生き物は意味なく友達同士で手を繋いだりすることもある。つまり友達同士でもやたらとスキンシップを取りたがる節があるのだ。
男同士で意味なく手を繋ぐ……ということは俺の青春時代の思い出にはない。
けれどもただなんの意味もなく、隣に寝るという行為は女の子同士ではコミュニケーションの一つとして存在しているのかもしれない。
これは女の子同士のコミュニケーションあるあるを知らない男がたてた一つの仮説にしかすぎないけれども。
けれども、よく考えてもみろ。普通に考えてわざわざシングルベッドに二人で寝ることもないだろう。だって狭いじゃん、カーペットに大の字に寝転がって「あーつかれたぁー!」とか言ってマイクロビーズクッション抱きながら意味なくごろごろしてくつろぐとういう方法もあるじゃないか。
しかし、ゆうゆはベッド以外の敷地という広大な面積を捨てて、わざわざ俺のベッドに潜り込んできたのだ。これがどういうことかわかるか? いやわからないから考えているのだが、ベッド以外のその他の敷地を捨ててわざわざ俺の隣に寝転んだというのは、目的はくつろぐことではなく、かの「俺」である、という方程式が成り立つのではないだろうか?
しかも、わざわざ寄ってきたのは相手の方からだ。さんざん能書きを垂れてみたが、この状況を的確に説明できる動機がなかなかみつからない。俺に近づきたくてここに寝転んできたという以外に、信ぴょう性の高い仮説がみつからないのだ。
……ということはもしかして。
俺はここで「ハッ」と閃いた。
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