第88話 朝日を見て為ざるは愛なきなり

 ――時間と場所は、再び現在の朝日家へと舞い戻る。


 「深夜子さん。貴女は遅かれ早かれ寝待の家を継ぐ身です。先方も同じく由緒ある武道の家柄……ちょうど先日、縁談の話がついた。それだけのこと。すでに六宝堂の姉様あねさまと話もついております」

 「うぐ……そ、それは……」


 正論。Mapsが所属する男性保護省の長と話がついている。そう言われてしまえば、成す術が無いのが実情。口下手な深夜子には反論できる言葉は浮かばなかった。


 「よろしいですね? 深夜子さん」

 「ううーっ! あ、あたし自分で仕事辞める!」

 やけっぱちか、かんしゃく気味に深夜子が弾ける。

 「ええ、ですから家に戻って貰います」

 「家にも帰らない! あたし寝待もやめる!」


 ドラマなどでよく見るパターン。とは言え、それを目の前で見せられてはたまらない。朝日のみならず、五月と梅も心配そうに側に寄り添う。


 「いいえ。やめられません」

 それでも朝焼子は冷たく淡々とした返事を返す。

 「やめる!」

 「やめられません」

 駄々をこねる子供と母親のように、同じやり取りが繰り返される。数往復かしたのち、仕方なくといった風に、ため息を朝焼子が漏らした。


 「ふぅ、聞けないのなら仕方ありません。ならば貴女も寝待の者。母にその力で示してみなさい」

 「おいおい、おばさん。そりゃ無茶苦茶だろ?」

 朝焼子の力を知っているのか、梅が驚きの表情で口を挟む。

 「梅ちゃん黙ってて。わかった。じゃあ、あたしが勝ったら仕事続けていいの?」

 「未熟な貴女には無理なこと、答える必要はありません。さあ、かかっておいでなさい」

 「ちょっと二人とも止め――」


 朝日が止めに入ろうとするも、深夜子が即座に座卓を飛び越え、朝焼子へ蹴りを放った。だが、朝焼子は正座姿のまま微動だにしない。


 日頃、梅とのじゃれ合いで見せる蹴りとは明らかに違う。殺気すら纏っている深夜子の飛び蹴り。

 だが――。

 「ぎゃふうっ!」

 次の瞬間には深夜子が宙を舞い。客間の畳へと叩きつけられた。


 それから何度も同じ光景が繰り返された。違うのは深夜子の攻撃方法のみ、拳、抜き手、肘打ち、膝蹴り、全てが正座したままの朝焼子の手のひらに吸い込まれていく。


 深夜子が本気なのは梅も五月も、朝日ですらわかる。そう思えるほどの攻撃を繰り出している。しかし、朝焼子の手であらゆる攻撃はピタリと止まり、軽くその手を捻るだけで、攻撃をした勢いがそのまま深夜子に返るが如し。宙を舞っては畳に叩きつけられた。


 朝焼子の座る座布団も、座卓に出されている湯飲みすらも微動だにすることはない。ただ、凄まじいまでの技量差がそこにあった。


 「もうやめて! 深夜子さん。もういいから、僕のことはいいから!」

 ついにいたたまれず朝日は畳に転がる深夜子を抱き止めた。

 「違う朝日君。これはあたしの――」

 「そうじゃない! 深夜子さん……もうやめようよ……。僕が、やっぱり、僕といたら……ダメだよ……」

 「え? 朝日君……なに……を……」

 

 口惜しい、悔しい、悲しい。それ以上に朝日は自信がない。自分は、何もできない護られてだけの自分は、深夜子を幸せにできる自信が無い。


 あげく、自分の為にまた深夜子が傷ついている。好きになったが故に、好きな女性を護れない自分が情けなかった。深夜子の背中に顔を押しつけ、朝日はこぼれる涙をごまかして続ける。


 「深夜子さん。せっかくの機会を、お見合いを、僕なんかの為に無駄にしちゃいけないよ。すごい……ことなんでしょ……僕にもわかるよ」

 「何を、何言ってるの朝日君? そうだけど、そうじゃない! あたしは、あたしは――」

 「僕のことはいいから、深夜子さんは、ちゃんと、普通に……幸せになって、ね」

 「そんな……ヤダ……。そんな……言わない……で……朝日……君」

 深夜子の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


 「これで充分にわかったでしょう。貴女はもう婿を取ることが決まっている身」

 「母さん!?」

 「さあ、深夜子さん。ご挨拶さない。すでに家の者には迎えを準備させています。荷物は後日に別の便を向かわせます故」

 「うううううううっ! かあさああああああ――――あぐうっ」

 雄叫びを上げ、掴みかかろうとした深夜子の首に、朝焼子の恐ろしく早い手刀が放たれた。


 「ああっ、深夜子さん!」

 気を失い倒れ込む深夜子に、朝日は反射的に駆けよろうとする。そこに朝焼子がさりげなく間へ入って制止し、深夜子を担ぎ上げた。

 「あ…………」

 「朝日様……」「朝日……」

 がっくりとうなだれる朝日に、五月と梅が寄り添う。二人はなんとも言えない表情で朝焼子を見上げる。


 「すでにわたしからあね様に頼んであります。男性保護省に申し入れをすれば、すぐにでも新規の担当が手配されるでしょう」

 変わらず淡々とした口調のまま、朝焼子は朝日にも話かけた。

 「神崎さん。貴方の感覚からすれば理不尽と思われるやも知れませぬがこれも親心。別の世界の男女は、本来相いれぬが良いのです。どうぞご容赦を」

 「……えっ!?」

 「寝待様……なぜそれを?」

 「おばさん、そりゃどういう意味だ?」

 「貴女方にお話できるのはここまで。それでは深夜子さんが長い間お世話になりました」


 混乱に疑問が重なる。結局はただ何も言えずに、深夜子たちを見送るのみとなった三人であった。



 ――その晩。最も暗く沈んだ一日が終わろうとしていた頃。


 「五月。なんとか朝日は寝ついたぜ」

 「そうですか……お痛わしい。あれから何も口になさってませんわ」

 「一晩寝て少しでも良くなりゃいいんだけどよ」

 「単純に考えればただの担当外れ……それであんな反応をされる殿方は普通おられませんわ。どう対処したものか……」


 常識が揺らぐ。朝日の担当をして、共に過ごし、色々とわかってきたつもり・・・だった。しかし、結局のところ”つもり”は”つもり”でしか無かったと言うことだ。


 「いえ、その前に。大和さん、わたくし少々調べものを思いつきましたわ。一旦、今日はこれで」

 「ああ、それじゃあ俺は寝るわ。ま、明日のことは明日考えりゃいいさ」

 「ええ、それでは……」

 「それじゃな……」


 自分の部屋へと向かう二人。あえて口には出さないが、仮に自分たちが深夜子と同じ立場になったら? お見合いと朝日、果たしてどちらを選ぶだろうか? 朝日は自分たちにも深夜子同様の執着を見せてくれるのだろうか? 朝日を思うと五月も梅も、胸のどこかがチクリと痛んだ。


 ――五月は部屋に戻るとスマホを取り出し電話を始める。連絡先は母である五月雨新月だ。


 『おう五月。そろそろじゃと思っとったぞ』

 出だしからの口調。どうやら五月の予想通りであった。

 「お母様。その口ぶりですと――」

 『朝焼子の件じゃろう。そっちもその口ぶりだと、ボンと一悶着あって朝焼子が娘を連れて帰ったってところか?』

 「ええ、その通りですわ。それで教えて欲しいことがありますの」

 『……特殊保護事例X案件』

 「ですわ」

 『……まあ、ここまでくりゃ知っといてええか。五月、国の極秘案件じゃ、心して聞けよ』


 しばらくの間、五月は二十五年前の悲劇にまつわる話を新月から説明された。



 「――そう……ですの。それで深夜子さんのお母様は……これで、全てが納得できましたわ」

 それと同時に、大きな葛藤が心に産まれる。

 『それで五月。お前はどうしたいんじゃ?』

 「それは……」


 言葉に詰まる。深夜子を取り戻す。きっと朝日が最も望んでいることであろうと五月は思う。しかし他人ひとのお見合い話に口を出す権利はない。


 「やはり、我々が口を出すことでは……」

 『ほう? そうか……なら簡単な話じゃろうが、目の上のタンコブは取れた。愛しのボンは弱っとる。チャンスじゃのう五月』

 「そう……ですけれども……お母様」


 言葉を濁したが、五月の心の中にはその想いもあった。常識・・で考えれば男性を手に入れる絶好チャンス。何を躊躇ためらう必要があるのか? だが、それを許せない自分もいる。


 『なぁに簡単じゃ、お前が一言”うん”といやあを送ってやるわ。男性保護省にも根回しはしとく。後はボンをたっぷりと可愛がって、己のもんじゃと言えば――』

 「ふざけないでっっ!!」


 カッ、と頭の中で何かが弾ける。五月の絶叫が部屋に響いた。


 「それの、それのどこに朝日様の幸せがありますの!? そんなものは違いますわ! その後でどうしようと、何をしようと、決して朝日様は幸せになりませんわ! お優しいあの方の側にっ、深夜子さんがいて、五月が、大和さんがいるから、だから朝日様はっ!」

 『なんじゃい。わかっとるやないけ?』

 「へ?」

 『じゃから、最初っから答えはわかっとったんじゃろ? 情けないのう』

 「んなっ!? おかっ、お母様」


 スマホの向こう側で、ニヤニヤしている母の姿が思い浮かぶ。


 『それでええんじゃ。前にも言うたが、ボンを普通の男と同じに考えるな。それにワシらはついつい男を物扱いし過ぎる。そんな常識にしばられとったら、ボンの一番・・にはなれんぞ?』

 「はうっ」


 やはりスマホの向こう側で、ニヤニヤしている母の姿が思い浮かぶ。


 「……コホン。そう、ですわね……わかりましたわお母様。もう五月は迷いません。常識なんてクソっくらえ! ですわっ!!」

 『よう言った! それでこそワシの娘じゃ! ほいじゃあよう聞けよ五月。確かにワシら女は見合いを盾に取られたら動きは取れん。じゃがの――』



 すでに時間は深夜午前二時を回っていた。が、バタバタとMaps側の廊下を走る音が響き、その音はとある部屋へと近づいて行く。

 「大和さん!! 大和さん!! 大和さん!!」

 「ふごっ……はへ? うひゃあああああっ!? てっ、敵襲かっ、賊かあああああっ!?」

 問答無用。ノックなし、容赦なしで梅の部屋に五月が突撃してきた。


 「なんだっ!? 五月? び、びびらせんじゃねえよ! ノックくらいしろっつーの。こんな時間にどうしたよおおおおおおお?」

 勢い余って梅のベッド上に飛び込んで来た五月が、興奮気味に捲し立てる。ちょうど梅を押し倒し、五月が覆い被さるような形で四つん這いになっている。あら~。


 「大和さん。聞いてくださいませ! 名案ですわっ!」

 「おいっ、わかった、わかったから。五月、とりあえずその体勢はやめ――顔を近づけてくるなああああああ!」

 「大和さん! 聞いて、聞いてくださいますかっ!?」

 「聞く! 聞くから顔を離せ、いや、ここから離れろおおおおおお? ひ、膝を股下に入れるなあああああ! とりあえず聞くから落ち着けえええ、ヤ、ヤメロォーーッ!!」

 落ち着いてベッドから机に移動するまで、しばし五月をなだめ続ける梅であった。



 「――はああああああっ? 男事不介入案件(※第23話参照)に持っていくだぁ!?」

 「そうですわ! お見合いに対して、殿方・・が物言いをつける。過去に前例が無いからこそですの。これならばお見合い相手側への体裁上、深夜子さんのお母様が示談に応じざるを得ませんわ」

 「そりゃいいとして、どうやっておばさんを納得させんだよ。それに万一やり合うことになっちまったら、ヤバいなんてもんじゃねえぞ? おばさんに勝てる奴なんざ……ぶっちゃけババアでも怪しいぜ。わかってんのか?」


 五月の突拍子もない提案に、梅も眠気がふっ飛ぶ。かたや五月はひたすらハイテンション。時には腕を振り上げ、時にはビシリとどこかを指さし、まるで演説である。


 「ふっ、権謀術数けんぼうじゅっすう。情報戦こそ五月雨五月の真骨頂ですわ! きっちり深夜子さんを取り戻し、朝日様には五月に惚れ直していただきますことよ! これで朝日様の一番は五月のものですわ。オーホッホッホッホ!!」

 「おい……俺ですらクソやべえ計画だってわかんぞ。五月、マジかてめえ?」


 これぞミッションインポッシブル。

 果たして、この計画やいかに!?

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