第87話 見合いは異なもの味なもの

 「「「えええええええっ!?」」」


 朝焼子の口から放たれた『お見合い』の一言。それとほぼ同時に、部屋の中に押しかけんばかりの勢いで滑り込んで来る朝日ら三人。廊下で盗み聞きをしていた事など、すっかり頭から飛んでいる


 五月、朝日、梅。それぞれがほうほうのていで深夜子の側へと向かう。

 「あっ、その……深夜子さん。とにかく、おめでたい・・・・・お話ですわね!」

 「えっ?」

 深夜子に向けて祝い・・の言葉を口にする五月。その想定外のセリフに朝日は驚き、凍りつく。

 「おいおい、すげえな深夜子。リアルにお見合い話とか初めて聞いたぜ!」

 「えっ? えっ?」

 こちらは興奮気味な梅。もう朝日は会話について行けず呆然である。


 渦中の深夜子は、周りで五月たちが騒ぎ立てるも微動だにしていない。その猛禽類のような目を見開き、思考停止中だ。かたや朝焼子は姿勢を正したまま、座卓ざたくを挟んで静かに深夜子たちを見つめている。


 この五月たちの反応。朝日が困惑するのもやむ無し。男性比率が人口の五%未満であるこの世界。貴重で大切な男性とのお見合い。それは、朝日が知っている『お見合い』とは全くの別物なのだ。

 

 この風習は、古くから良家の家柄同士で稀に行われていた。ほとんどの場合は、対象となる女性と男性。それぞれの家長同士が協議し、婚姻させる事・・・・・・を合意した上で行われた儀式。つまりは、婚約成立の顔合わせをする意味合いに近い。


 そして今回。朝焼子がここにお見合い話を持って来たと言うことは、深夜子の結婚相手は事実上決定済みである事を意味している。


 言うまでもないが、この世界の女性にとってお見合いの重要度は人生で最優先。


 ”我が子の見合いは、棺桶の親も送り出す”とは、このヒノワ国のことわざ。我が子がお見合いをするとあらば、自分が死んで葬式の最中であろうと、棺桶から這い出て『行って来なさい』と後押しするのが親と言うものだ。という意味である。これはもう察するしかない。


 「え……? ちょっと待ってよ……じゃあ、じゃあ、深夜子さんは……!?」

 五月から説明を受けた朝日が、困惑の表情を深夜子へと向ける。

 「…………っ!? 朝日君! ちょ、ちょちょちょっと待って!」

 その視線に反応して、深夜子もフリーズ状態から回復。

 「母さん! お見合いって、いきなり、なんで?」

 「深夜子さん。貴女の幸せのためです」

 正座姿のまま、毅然きぜんと朝焼子は言い切った。


 「待ってください!」

 深夜子が反応するよりも早く、朝日が座卓に身を乗り出すようにして声を上げた。

 「深夜子さんのお母さん。あのっ、今、深夜子さんは僕の身辺警護の担当をして貰ってます。だから、その――」

 「朝日様。それは……」


 申し訳なさそうに側で五月が言葉に詰まる。朝日もそれだけで察していた。わかっている。今聞いた『お見合い』の重要性を考えれば、仕事などは二の次だろう。


 「僕は……その、深夜子さんが……あ……」


 朝日を見据える朝焼子の目が語る。切れ長で光のない虚空の瞳から『貴方と居れば深夜子が不幸になる』と、さらには得体の知れない深い哀しみが胸をえぐるように伝わってきた。


 そして脳裏に浮かぶ、温泉旅行で深夜子が自分を護る為に負った怪我。あの時の病室で見た姿がフラッシュバックする。


 「――いきなり、そんなこと言われても……困り……ます」


 弱る語尾。動揺と混乱。今、精一杯の言葉だった。朝日は口に出せなかった。深夜子を好きだと、結婚するのは自分だと、ここで口に出せなかったのだ。


 「母さん。朝日君が困ってるから、だから、お見合い……は……」


 朝日に同調しようとした深夜子だが、お見合いという重たい事実の前に言葉尻が頼りない。対して、朝焼子の態度には微塵みじんの変化もなかった。


 「そうですね……深夜子さん。母は貴女のことを思って、これまではできる限り自由にさせて来ました」

 「じゃあ――」

 どうして? しばらく母娘二人の押し問答が続く……。


 そのやり取りを、ただ黙って聞くしかない朝日ら三人。話の内容はだんだんとエスカレートする。ついには深夜子が普段語ることも、朝日たちが聞くこともない、踏み込んだものとなった。



 ――深夜子は朝焼子に、寝待家にとっての一人娘だ。


 この国で一人の女性が産む子供の平均は約三.五人。少数派の独りっ子にして、古くから続く武道の家系。当然、深夜子は跡を継ぐのが当たり前の立場である。


 それでも朝焼子自身。自分が壮健である内は、深夜子にできるだけ自由をさせてやるつもりだった。その理由は深夜子が産まれた事情にある。


 二十五年前。朝焼子は麻昼まひると深く愛し合い、彼を失った後も忘れることができなかった。しかし、朝焼子は寝待家の次期当主。寝待家を存続させる為、跡取りを残さねばならない。


 苦悩の末に朝焼子は人工受精を選んだ。あの悲劇から約五年後、それでも麻昼への想いはわずかも枯れず、夫を取ることを良しとできなかったのだ。深夜子が産まれるも、そんな我が子に対してなんの感情もわかない。ただ”機械的に跡継ぎを産んだ”それだけにしか感じなかった。


 それ故、朝焼子は幼い深夜子にほとんど愛情を注ぐことができず。跡継ぎとしての教育だけを施した。深夜子が対人的欠陥を抱えている根本的原因がこれである。それでも深夜子がある程度健全に育ったのは、ひとえに寝待家に永く仕えている使用人たちのフォローあってのものだ。


 朝焼子も時間と共に少しづつ落ち着きを取り戻す。そんな矢先。十二歳になった深夜子が早くから家を出ることを望んだ。そこで朝焼子は罪滅ぼしも兼ねて、当分の間は愛情を注ぎ損ねた娘の好きにさせてやろうと考えた。


 ところがなんの運命のイタズラか。Mapsとなった娘が担当した男性は、よりにもよって特殊保護男性。最初は信じられなかったが、新月と何度目かの手紙のやり取りで確信した。麻昼と同じ、別世界の、日本人男性であると。



 ――時は一月下旬に遡り、場所は曙区男性保護省の本庁。最上階である二十階の応接室に朝焼子は来ていた。

 

 『……のう、朝焼子。そんな早まらずに、しばし見守ってやることはできんのか?』

 豪華な革張りのソファーに腰掛け、高級そうな応接テーブルを挟んで巨体の老婆が困り顔を見せている。

 『できませぬ。いかに法が整備されようとも、彼らは男性としての根本が違うのです。いつか必ずや破綻しましょう。深夜子は連れ帰らせていただきます』

 そう、朝焼子は朝日についての確認。あわせて深夜子を寝待家に連れ戻すため、六宝堂りくほうどう弥生やよいに面会を希望していたのだ。


 『ちょっと待てえや朝焼子、弥生ねえさんの言うとおりやぞ。今は時代が違う。そがいに急がんでもええじゃろうが』


 弥生の隣に座り、同意見だと口を揃えているのは五月の母、五月雨さみだれ新月わかつき。本日はいつものゴスロリ系衣装ではなく、落ち着いた着物姿である。面会を希望する手紙を受け、弥生が朝焼子の考えに気づき、説得手伝いの為に呼び寄せていた。


 本来の縁故えんこを考えるなら、五月の祖母である五月雨さみだれ秋月しゅうげつが来るべきなのだが、高齢で体調が優れないこともあって新月が代理を務めている。


 『新月殿。神崎さんは麻昼さんと同じ、日本の男性。結局のところどんなに取り繕おうとも、国は我らの常識で彼らを縛ろうとするのみ。されば、いずれたどる道は同じでしょう。このわたしのように――』


 一瞬。声に詰まり朝焼子は胸元で手を握る仕草を見せる。


 『朝焼子、お前の言いたいことはワシにもわかる。確かに国は”男”としか考えておらんかも知れん。じゃけど今回は五月雨の家も、ワシもついとる。何より弥生ねえさんも最初からしっかり見てくれとるがな』

 『うむ、同じてつは踏まんでの。それに坊やとお主の娘はうまくやっておるぞ』

 『あね様。それが深夜子さんである必要はありません。五月雨のご息女や、大和さん……深夜子さんの友人も側におられるのでしょう? 充分では?』

 取りつく島もないとはこのこと。朝焼子は一切の歩み寄りを見せない。


 『朝焼子……お主……』

 『失礼。ならば言い方を変えましょうや。この国は、女子たるものが見合いの場にて男子を夫として迎え入れるのを妨げるや否や!?』

 『むむ……』

 『やれやれじゃのう。こりゃあ完全に先手をいかれてしもうたぞ、ねえさん』

 いかに関係良好と言えど、特殊保護男性である朝日と担当Mapsの深夜子。今はそれ以上でも以下のでもない。お見合いを盾に出された時点で、弥生たちに対抗できる手段はほぼ無くなってしまったのである。



 ――男性保護省から帰りの道中。朝焼子は深夜子のお見合い先へ申し入れに行くため、電車に揺られていた。だんだん田舎風景へと変わる車窓をながめながら、うっすらとその窓に映る。光を失ってしまった虚空の瞳を、自分の姿を見つめ物思いにふける。


 【お前も何かしら理由をつけて、あの男と楽しんでいたんだろう? 結局、彼はお前からも逃げたかったのではないのか?】 


 頭の中に木霊こだまするすべての元凶の声。遺伝子研究学会の最高責任者だったあの医学研究者。麻昼の身体をもてあそんだ化生けしょう。あの女が最後に残した言葉が、今なおくさびとして胸の中に突き刺さっている。


 助けることができなかった。間に合わなかった。きっと最後に麻昼は自分をも恨み、呪い、逝ったのであろう。いや、気づかれたのだ。自分が男欲しさに、弱っていた麻昼に付け込んで我が物としたことを。


 そして彼ら・・は男女としての愛し方も違う。一度深入りしてしまえば、二度と抜けることのできない甘美にして魔性の魅惑。深夜子もこのまま深入りすれば、自分と同じ道を歩むに違いない。


 朝焼子の心の傷は呪いとして、未だにその精神を蝕み続けていた。

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