第84話 何やら朝日家が騒がしい

 ――寝待深夜子対影嶋一家の闘いから七日間が経過した。


 本日、退院した深夜子が朝日家に帰宅。お昼前の現在、深夜子の自室で朝日と二人である。退院済みにしては、深夜子のベッド周りに点滴スタンドや食事台などが準備されている。どうやら、療養にまだ多少の時間が必要な模様だ。


 「はい、深夜子さん。あーん」

 「ふへっ、はへっ、あ、あーん。むひゅうひゅふふふふふ、はぐっ」


 早速ベッドに食事台が設置され、横で朝日がリンゴをむいている。一口大にカットして、優しく口に運んで貰うまでがワンセット。だらしない笑顔で、だらしない声を漏らしながら、深夜子はリンゴを咀嚼そしゃくする。


 部屋で朝日と二人きり。窓ガラス越しに冬の日差しが入り込み、透明感ある明るさ――のはずだが、深夜子の周りだけはピンク色の光に包まれ、カラフルなハートマークが宙をただよっている空気感。まさに二人の世界。……とはいかないのが世のつねである。


 どかどかと足音が廊下から聞こえ、部屋の扉が雑にノックされる。そして明るくのんきな、朝日家で日頃は聞かない声が響いた。


 「おぃーっス! 深夜子みーちゃん、お昼ご飯持って来たっスよー。入るっスよー。つか、入ったっスよー」

 そう言って、ガラリと扉を開けて入って来たのは、身長170センチ程度で茶髪のおだんごショートヘアーの女性。柴犬のように愛嬌ある可愛い系の顔。スーツ姿のCランクMaps。”激運ラッキーワンコ”こと望月もちづき餡子あんこ、深夜子の同期生だ。


 「あああああっ! な、何してるんスか!? うえっ!? みーちゃん、昼ご飯前に果物とか、しかもあーんってヤツっスか? 伝説のあれを、自分の部屋に朝日さんを連れ込んでやってるっスか? なんたる羨ま、じゃなくてハレンチなっス!!」

 「むう。餡子あっちゃん騒がしい。あたしと朝日君には普通。ふっ」

 「んなっ!? ふんぬぬぬぬぬ。なんっスか、その余裕あり気な言い方。勝ち組のつもりっスか? だっ、だいたいみーちゃんはズルいっス! 朝日さんの担当になった後、極端に連絡回数減ったっス。メールの内容だって『いそがしい』の五文字になったっス。はっ、そうっスね! 女の友情なんて――」


 どうも思うところがあるらしく。あれやこれやと、私怨込みでわめき散らす餡子。そこに朝日が申し訳なさそうに声をかける。


 「あ、あの、餡子ちゃん。深夜子さんのお昼ご飯、受けとるね。僕が食べさせ――」

 「無くて大丈夫っスよ朝日さん。自分がしっかりとみーちゃんにご飯食べさせるっス! これぞ女の友情っス!」

 そう言ってキラリと輝く視線を深夜子へ送る。

 「ふぁっ!? あっちゃん何言ってるの? 邪魔しないで。ね、朝日君。ご飯食べさせてくれるって言ったよね。あっ、それとできれば今日はお風呂もぐへへへへ」

 一方の深夜子は、朝日へとエロ――甘えた視線を送る。

 「な、ななななななにワケわかんないこと言ってるっスか? それもう性犯罪者の思考っスよ! ハッ!? みーちゃん、まさか優しい朝日さんにつけ込んで無理矢理……ひ、ひどいっス!」

 「ちょ、ちょっと二人とも。さすがにお風呂は無いから……あ、あはは……」


 深夜子にとって、五月や梅とはまた違う関係性のようだ。朝日もどこまで本気のやり取りか掴めず、苦笑いが漏れる。とりあえずは無難に間へ入ろうとした時。開けっ放しの扉から、またしても朝日家に馴染みのない、凛とした声が響いた。


 「さっきから騒がしいわね先輩方。はぁ、寝待先輩も……帰って早々そんなざまでは、朝日お兄様も落ち着けないわ。Sランクともあろう者が情けないわね。少しは自重したらどうかしら?」


 先輩、と言ったわりに容赦のないセリフ。声の主は、腰に手を当てすらりとした立ち姿の少女だ。


 身長160センチ程度で細身だが、梅よりは起伏のある身体つき。ショートウルフで白金色の髪、ルビーのような濃紅こいくれない色の瞳と乳白色の肌。せっかくの美形だが、ぼーっとした半目と、無表情さがなんとも言えない。


 『笠霧かさぎり寧々音ねねね』。十四歳にして、国立男性保護特務警護官養成学校(通称M校)の一回生首席。こちらは餡子と違ってブレザーにスカート、M校の制服姿だ。左胸の校章ワッペン下に”研修中”と札がついている。


 「朝日お兄様。もう、リビングで五月雨先輩が全員のお昼を準備されてます。それから、男性であるお兄様に食事の世話をさせるなど、Mapsの規約違反すれすれ――以前に女性ひととして論外だわ。で、す、よ、ね、寝待先輩!」

 ジトッとした目をさらにジトッとさせた寧々音の視線が深夜子に突き刺さる。

 「ぐぬぬ。聞いてはいたけど、このぷち五月さっきー。マジ五月さっきー

 「あはは。寧々音ちゃんは厳しいなぁ……」

 「さ、お兄様行きましょう。あ、寝待先輩と望月先輩はどうぞココで・・・ごゆっくり」

 私は一歩も引きません、お兄様のために。そんな気合が寧々音から伝わってくる。

 「うええええっ!? 冗談じゃないっス。朝日さんと食事なら自分も行くに決まってるっス。あっ、みーちゃん。ご飯ここに置いておくっス。適当に食べるがいいっス」

 女の友情とは?

 「んなあっ!? なら、あたしもリビングで食べる!」

 昼食を乗せたプレートを持って、深夜子がベッドから飛び起きた。


 「ちょ、ちょっと!? 深夜子さん。まだ安静にしてなきゃなんでしょ? 寝てないとまずいよ」

 「ん? 朝日君、無問題。お昼くらい全然余裕」

 朝日に向け、にこやかにサムズアップしているが、深夜子の顔には脂汗がにじみ出ている。

 「いや、みーちゃん……お腹の手術して、全治三ヶ月の重傷っスよね? そもそも一週間経たずに退院してる時点でどうかと思うっス」


 餡子の想像通り、本来なら病院で絶対安静中である。もっとも深夜子が退院する際、担当医師の一言が『ありえん。何故動けるんだ?』だったので、その回復力たるや恐るべし。それでも普通の生活に戻るには『絶対に一ヶ月はかかるはずだ。頼む、かかってくれ』と悔しそうに宣言されていた。


 深夜子を引きとめる朝日に、餡子と寧々音も援護に加わる。騒がしさが増す一方、今度は朝日家で聞き慣れた、可愛らしくも乱暴な口調の声が廊下から響いた。


 「おいこら! さっきからうるせえぞ! 傷に響くっつーの、静かにしろってんだ」

 お馴染み朝日家のロリ猫娘(二十一歳)、梅である。今日はパジャマ姿だが、こちらはこちらで頭に包帯が巻かれて痛々しい。さらに胴体にも怪我をしているらしく、胸元から巻かれた包帯がのぞいていた。


 「ちょっと!? 梅ちゃんまで! もう起きても平気なの?」

 「ん? 何言ってんだ朝日。このくらい三日もありゃ動けんだろ、普通」

 「いや、あねさん。全治一ヶ月の重傷が三日で動けたら大問題っスけど……普通」

 度合いはともかく、梅の怪我もそれなりのようだ。

 「寝待先輩、大和先輩、二人とも重傷のカテゴリーよね。そもそも、今ここにいること自体がおかしいわ」

 「ふっ、全治三ヶ月は一週間あればなんとかなる」

 「ま、そんなもんだろうな」

 深夜子と梅が目と目で通じ合う。全治の意味を一回辞書で引くべきだろう。

 「それもう絶対何かがおかしいっスからね!」

 「二人とも……一度、病院で診察して貰うことをお勧めするわ。特に頭ね」

 「うるせえっ! 余計なお世話だ笠霧。つか、てめえなんかをヘルプに寄越よこすとか、ババアも何考えてやがんだ?」

 「心外ね、私の実力よ。謹慎中の脳筋平面体やまと先輩」

 寧々音の含みある呼び方に、梅の顔がピキピキと引きつる。

 「だ、か、ら、てめえはその口の利き方をだな――」

 「はいはい。梅ちゃんも寧々音ちゃんもここまで。ね、ご飯、食べに行こうよ」


 腕まくりを始める包帯だらけの梅の前に、朝日がさらりと割り込む。しつこくいがみ・・・合う二人だったが、朝日が寧々音の頭を撫でながらさとすと「はひっ、しょ、しょの……お、お兄しゃまが、しょう言われるなら……しっ、しきゃたないわにぇっ!」と両手の人差し指を胸の前で絡みあわせ、おとなしくなる。――梅と餡子の視線が実に生暖かい。


 「ぬわああああっ、みんな待って! あたし放置。ダメ、絶対」

 あわや話題終了から解散寸前の空気に、深夜子が危機感を覚えて再度アピール。すると、梅が廊下から顔だけのぞかせ、眉間にしわを寄せてジロリと視線を送った。

 「おい、深夜子。これ以上朝日を心配させんじゃねえよ。何日かすりゃ動けるようになんだろ? 飯食べる時くらい我慢しな。んじゃ、俺は先に行くぞ」

 そう言い放ってパタパタとスリッパを鳴らし、梅は先に行ってしまった。

 「……むう。梅ちゃんのクセに正論」

 

 ぶつぶつと言いながらも思い当たるふしがあるのか、深夜子はプレートを持ってしぶしぶベットへと戻っていく。それを見た朝日がそばに付き添う。餡子と寧々音は部屋の入り口で待機中だ。

 

 「ごめんね深夜子さん。でも、お昼終わったらまた戻ってくるから」

 「むううううう。あっ、そ、そだ! じゃ、じゃあ、あたし、そそそそその寂しいから。あ、あああ朝日君がキ、キキキキキキキシュしてくれたら我慢できるかも。う、うひ、うひひ」

 「「はあああああっ!?」」

 

 こいつ何言ってやがる。頭おかしいのか? 深夜子の一言に餡子と寧々音が絶叫し、表情も固まる。もちろん、深夜子は軽い冗談・・・・のつもりである。


 ここのところ、朝日との距離感が非常に良かったこと。約六日間の入院生活で、お見舞い程度でしか朝日と時間を共有できていなかったこと。そんな背景もあって、つい軽はずみで出てしまった言葉だ。


 本来であれば餡子、寧々音がいる前では自重すべき表現であった。警護対象である男性相手に『キスをしろ』など冗談では済まない。即訴訟、いや逮捕、そこから社会的退場までまっしぐらだ。餡子と寧々音の顔色は真っ青になっている。


 しかし、深夜子最大の誤算は別にあった。なんと朝日が、餡子と寧々音とは別の意味で冗談と・・・受け取らなかった・・・・・・・・のだ。


 「もう、深夜子さんってば……今日は退院した日だから特別だよ」

 「ふえっ!?」

 

 ベットに寝転がる深夜子の頭横に朝日が片手をついた。すっともう片方の手が頬に優しく添えられる。


 ――そして、二人の唇が数秒間重なり合った。


 「ぷあっ!? ちょ、あ……え……あ、ああああああ朝日……君?」

 「はい。それじゃあ深夜子さんは先にご飯食べてね。僕もこれから――って!?」

 「ぴぎぃいいいいいいいいいいいいいいいい!?」

 「ふわあああああああああああああああっス!?」

  朝日が振り返ると、そこには絶叫による酸欠で顔色が紫になっている二人。

 「ちょ、ちょっと!? ふ、二人とも、ど、どうしたの?」

 「み、みみみ、みーちゃんが朝日さんとっ、キ、キキキキキスっスっスっス――――きゅう」

 餡子、撃沈。

 「ふ、不潔っ! ね、ねねね寝待先輩、不潔だわっ。こ、ここここここんな些細なことで、ちょ、ちょっと付け入る隙を見つけたからって、お、おおおお兄様を脅迫して、に、に、肉体関係を強要するなんてっ!!」

 「脅迫!? に、肉体関係!? えええええ? ね、寧々音ちゃん!?」

 「あああああっ!? し、しかもく、くくくくくくちとくちで……いやあ、えっちぃ……はっ!! じゃ、じゃあ、赤ちゃんが、赤ちゃんがあああああ――」

 「いや、できないから!? ほ、ほら、寧々音ちゃん落ち着いて――あっ、ちょっ!」

 「うっ、うわああああああん! 五月雨せんぱーーいっ!!」


 この後、五月にめちゃくちゃ怒られた。深夜子が。

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