第65話 見送りとおしおき
「えええっ!? み、深夜子さん。どうしてここに?」
「ふへへ、いっしょに帰ろ。あっさひくん!」
朝日の眼前で深夜子は薄桃色に頬を染め、もじもじくねくね。それでいてあっけらかんと言い放つ。
しかし、そんな器用なアピールに反応している余裕は朝日にない。軽いパニック状態だ。
「ちょっと!? ちょっと待って、深夜子さん。いっしょに帰ろって……いや、それよりもなんで、どうやって、ここまで?」
単純な疑問。深夜子は日頃、バイクで通勤していたはずだ。
いっしょに帰るのならば、別の交通手段でないと――いや、それよりも時間的に? 何に乗って? もしやタクシー?
額に手をあて、混乱を収めながら朝日は考える。
「チャリで来た」
「あっ、そうか自転車かぁ…………自転車っ!? そ、そうなの――って、んん? …………あれ? さっきの電話から、まだ三十分くらいしか
「余裕。本日のチャリ通記録二十六分ジャスト!」
フンスカと鼻息荒く深夜子が胸を張る。
「えええええ!?」
おかしい。明らかにタイムがおかしい。
自宅からここまで、少なくとも車で三十分以上かかる距離である。
これは、昨日の
などと、戸惑う朝日におかまいなし。今度は一転。悲しげな表情を見せて深夜子が接近してくる。
実にせわしない。
「朝日君。君があたしの元を去って二日……悲しみと絶望で禁断症状がやばかった」
「いや、深夜子さん。二日で禁断症状って……」
なんだそれ? いや、それより何より。
深夜子は家を出発する時に、やたらはりきって五月ごと書類作業に向かった気がする。
何がどうなったらそうなるのか?
だが、目の前ではその禁断症状アピールとやらがまだ続く。
「最初は軽い頭痛と微熱が――」
「うーん。それって普通の風邪とかじゃないかな?」
「続いて、激しい嘔吐と下痢に襲われ――」
「急に悪化しちゃった? ……うん。まあ……重症だよね……色々な意味で」
「――最後は昏睡して死に至る」
「死んじゃうの!?」
「かも知れなかった」
これはウザイ。
しかし、深夜子は何かの期待を込めた眼差しを向けてくる。
その顔には『そっ、そこまで僕のことを! ああっ、もう深夜子さん無しでは生きていけないっ――と感極まりながら
さすがの朝日も軽い頭痛を覚えて、こめかみを押さえる。
「えーと。ふ、ふーん。大変……だっだね。まあ、とにかく部屋に入ってよ」
当然スルー案件。
「うえっ? あれっ? あ、朝日君。そ、その……あたし禁断症状が……それで、あの――」
あれ? なんか予定と違うよ。とでも言わんばかりの深夜子。どうしてそう思えるのか?
追求する気も起きないので、朝日は別の手段に訴えることにした。
「まあまあ、深夜子さん。外、寒かったでしょ?」
少し甘口の声色を使いながら、深夜子の腕に絡みつく。
「はうううっ? あ、朝日君?」
「さ、部屋に入って。温かいお茶があるから、ね」
むぎゅっと少し腕に力を入れる。
「あっ、えっ、へっ、うへっ、うへへへへへ。うん、うんお茶、お茶。だよね! ふひひっ」
これはちょろだらしない。
それでは、ちょっと落ち着け精神的に。の意味合いも込めて温かい緑茶を準備。深夜子に一息つかせる。
そんなやりとりを二人がしている間に、部屋のデジタル時計は午前七時五十一分を表示する。
同時に、再び部屋の
『朝日ー。準備できてるかー? そろそろ出るぜ』
今度こそ梅であった。
「あっ、梅ちゃん! そっか、もう出発の時間だ。深夜子さん出ないと」
「らじゃ、朝日君。荷物はあたしが持つ」
部屋の扉を開けに向かう朝日の後ろを深夜子が追う。
「おう! 朝日、おはよう。荷物があったらこっちに出しな。持ってってやっからよ」
「おはよ、梅ちゃん。うん、ありがと。でも荷物は……」
「梅ちゃん無問題。朝日君の荷物はあたしが持ってる」
しれっと朝日の背後から、深夜子が荷物を掲げて姿を見せた。
「おっ、そっか。悪いな深夜子、頼むぜ」
そうですか。荷物持ってくれてますか。
さも当たり前な空気に、つい
「な、ん、で、てめえが
思わず絶叫の梅。
ここは全力で深夜子を問い詰めたい……ところだが、時間もない。
朝日の見送りをかねた出発時刻が迫っている。仕方がないので、移動しながら梅は質問を飛ばす。
「こら深夜子! てめえ、ここのセキュリティをどうやって抜けてきやがった?」
「えっ? ちゃんとキー発行して貰った。梅ちゃんのIDカードで」
「人の予備を勝手に持ち出してんじゃねえええええ!」
不測の事態に備えて、家には深夜子ら三人の予備IDカードが共有保管されている。
餡子から事前に情報収集済みの深夜子、ちゃっかり持ち出して段取りバッチリであった。
こういう時だけ五月並の手際である。
「くそっ、むちゃくちゃしやがって。セキュリティ係にばれたら俺まで巻き添えじゃねーか。またインテリ連中からの評判が悪くなるっつーの!」
「むう! それは心外。あたしも梅ちゃんに色々巻き込まれてる。お互い様!」
――すでに曙区所属Mapsの問題児ツートップなのでご安心を。
「はぁ……で、お前。矢地に見つかったらどうするつもりだよ?」
「ふっ……梅ちゃん。本気のあたしは見つからない」
ご存知の通り、追跡から潜伏などの技術は深夜子の十八番。
ただし、披露する場面としては明らかに間違っていることに気づいて欲しい。
――と、無駄な会話をしてる間にエレベーターは一階に到着。
本日、男性保護省の正面玄関がお見送り会場となっていた。
朝日たちが近くまで来た時には、すでに矢地を始めとした各課の役職者、主要な職員たちによって見送りの列が作られていた。
一方で深夜子は、玄関ロビーまで来たところで姿を消す。
「よっし、んじゃあ行くぜ朝日。それにしても派手な見送りしやがって……」
梅が出迎えを無駄にした結果でもある。
「うわ、凄いなぁ。あの行列の間を通るのって、ちょっと恥ずかしいかも……」
大人数での見送りに、ロビーの陰でおずおずとする朝日。
その姿に気づいた矢地が迎えにくる。
「おはよう神崎君。出発の準備は問題無いかな?」
「あっ、はい。大丈夫です。三日間色々とありがとうございました」
「それは我々もだよ。今回の男性保護省への親善訪問感謝する。それから閣下のスケジュール調整が間にあった。見送りに参加をされることになったので――――ん? 閣下!?」
矢地が周りを見渡すも、今まで近くにいた弥生の姿が無い。
すぐに部下の一人を呼ぶも、おろおろとしながら近づいてくる。
「矢地課長。そ、それが……つい今しがた目を離した隙に、どちらかへ……」
「なんだと? この時間が押している時に閣下は何を――――むっ!?」
他の職員たちにも動揺が広がり始めたその時。玄関口の外から、何やら騒がしい音が聞こえてきた。
一体何事か? 駆け出す矢地について、朝日たちも小走りで玄関の外へと向かう。
音の出所は、玄関口から少し離れた建物の裏手側であった。
ちょうど木陰道が作られている場所で、木々の枝が激しく揺れる音。そして、何かがぶつかり合う音が聞こえてくる。
事態が把握できない朝日たちは、立ち止まり静かにその音へ耳を傾ける。
すると一際大きな激突音が響き、続けて人の声が聞こえて来た。
『むぎゃああああああ!?』
『ありゃ、なんだい? こりゃあ寝待の娘っ子じゃないか? 気配の消し方が中々だったから、坊やを狙ってるのかと思って来てみりゃ……ほっほ、腕をあげたもんだねぇ』
「「「「「!?」」」」」
矢地たちの聞きなれた声が二つ。見送りの職員たちもろとも、その場の空気が凍りつく。
『んなあ!? なんで
『ふぉほっほっ、そりゃあ坊やの見送りをするために、朝の閣議をすっぽかして来たからねぇ』
『あっ、ふ、ふぅーん……ま、まあ。その、ばあちゃ。あたしはこれで。もう帰るから――――うげえっ!』
『ほっ! まあ、せっかくだからゆっくりしておいき。ルール違反に
『ちょお!? ば、ばあちゃ!? ンノオオオオオオオオーーーッ!!』
「「「「「………………」」」」」
しんと静まり返る見送り会場。誰もが呆然としている中、梅がゆっくりと矢地に顔を向け、沈黙を破った。
「おい……矢地……」
「き、聞こえん! 私には何も聞こえんぞ!」
地面が揺れるような轟音と深夜子の絶叫が響く。
しかしながら、誰もが聞こえないふりをする。
淡々と、粛々と、見送りの準備は進められた。
それから満足そうに戻ってきた弥生を加え、見送りは無事完了。
朝日たちは帰路へと着いたのだった。
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