第66話 帰宅とご褒美

「はうううう……お尻が……お尻ががががが」

 梅が運転するミニバンの後部座席で、深夜子がうずくまってうめいている。

「はは……あれって、お尻叩かれてる音だったんだ……」

 岩盤工事と言われても違和感はなかった。

「朝日君。あたしもうダメかも……最後は、最後はせめてその胸の中で……」

「おい深夜子! どさくさまぎれで朝日に抱きついてんじゃねーぞ! 助手席に座れ、助手席に!」

「これは朝日君の安全のため。後部同席は男性警護の基本」

「嘘つけっ! 朝日にぴったりくっついて何言ってやがんだよ!」

「それはともかく朝日君」

「俺の話を聞けええええええ!」


 転んでもタダでは起きぬ。朝日に甘えつつ、運転で自由の効かない梅を尻目に、やりたい放題の深夜子である。


「えと……深夜子さん。それで……どうしてこうなっちゃったのかな?」

 うやむやになりかけていた部分を朝日が掘り返す。

「そう、朝日君。あたし書類作業ちゃんと終わった!」

 待ってましたとばかりの深夜子。

 真剣に話しているつもりらしいが、その表情はやたらとにやけている。

「……あっ。もしかして、深夜子さん……自転車でわざわざ迎えに来たのって――」

「ふふん。ご褒美は迎えに行くもの」


 後部座席の後ろに積んである自転車を横目に、朝日との距離をずいずい詰めてくる深夜子。

 ついでに鼻息も荒い。


「まあまあ、深夜子さん。そ、そのさ。ここじゃ仕事が全部終わったか、わかんないでしょ?」

「ふあっ!? そ、それは、えーと…………あっ! じゃあ五月さっきーに電話する」


 すり寄る深夜子に朝日が牽制をかけると、あせあせとスマホを取り出し、五月へ電話をかけはじめた。


「あっ、五月さっきー!! ね、あたし書類完成させたよね! うん。書類の……え? その――あっ、いやコンビニ! そう! あたしコンビニに行ってるだけ」

「深夜子……お前。五月になんつって出てきたんだよ?」

「あっ……あー、あはは。深夜子さんもしかして……」


 きっとこれは華麗なる自爆。

 深夜子のスマホから五月の声は聞こえないが、不思議と内容はわかってしまう。

 呆れつつも朝日は笑うしかない。


「はうわああああ!? さ、五月さっきーそうじゃない。違うから。うえ? ほ、ほら、また五月さっきーから殺気さっきーが漏れ――え? ううん。コンビニで立ち読みしてるから――えっ? うええええ!? ゆ、許して、それは、それだけは――」


 ――通話終了後。


「うぼあああああ。墓穴、墓穴ー」

 どんよりの深夜子。雨雲のようなオーラが立ち込めている。

「深夜子さん。やっぱいつも通りなんだね……」

「あしゃひくん。まずい。五月さっきーに、五月さっきーに殺される。あたしといっしょに旅に、旅に出て」

「おい、深夜子。別に一人で車飛び降りて旅に出てもかまわねーぞ」

 深夜子から梅の顔は見えないが、ニヤニヤされているのはよく解る。

「くうううううっ! おのれ梅ちゃん。血も涙も胸も無いことを――」

「なんだと――――」

「あっ、そうだ! 梅ちゃん。お米の買い置きがそろそろ切れそうだったから、帰りにいつもの商店街に寄ってくれないかな?」


 ヒートアップの気配を感じとり、朝日が気を使って話題を変える。

 実際、深夜子と梅の二人が消費する米の量は凄まじい。必要なのは確かであった。


 予定変更。

 春日湊のとある商店街へと進路を変える。

 食品や日用雑貨などが庶民価格で販売されている。節約家朝日御用達の商店街だ。

 もちろんそんな場所なので、男性向け高級店が並ぶ区域とは違って、男性客など朝日以外に皆無である。

 当初こそレアすぎる男性客の訪問に、パニックを起こしていた商店街。

 しかし、今では商店街のアイドルとして定着。様々なサービスが提供されている。


 ――そんな背景もあって、買い物を終えて車に戻った朝日はご機嫌な様子。

 封筒からチケットを取り出して、鼻歌まじりでながめている。

 そのチケットとは……。


「ふふーん、やったー。温泉旅行! 温泉旅行!」


 ちょうど商店街が実施していた歳末福引き大会。

 温泉旅行招待チケットは本来特等・・なのだが、商店街の組合長から福引き券と交換で進呈されたのだ。

 招待先の温泉旅館は来る十二月に新築オープン。しかも、国内初の完全男性福祉対応別館併設となる話題の物件。

 朝日としては渡りに船。男性に制限の多いこの世界、数少ない行楽地へと赴くチャンスは逃せない。


「おいおい……本気マジで行く気かよ朝日?」

「もちろん! だって、ちゃんとした男性福祉対応だよ。しかも新築だよ。新築! みんなと温泉旅行か……ふふ、楽しみだなあ」

「朝日君と温泉で……お泊まりで……ふぇ、ふぇへへへへへへ」

「深夜子! てめえはとっとと正気に戻りやがれ!」


 すでに行く気満々の朝日。すでに行った気になって妄想中の深夜子。

 ルンルン気分な二人を乗せて、梅の運転するミニバンは再び朝日家を目指して出発した。


 さて、実のところ招待先の温泉旅館。男性福祉が関わっているだけあって、国と大手企業数社が共同出資している一大プロジェクトになっている。

 現在、各企業あげてオープン時の男性集客真っ只中。

 よって、普段男性客に縁のない商店街から一人でも男性を招待できた・・・・・・・・となれば……まあ、詰まるところは大人の事情である。


 ――経過すること十数分。

 無事自宅へと到着するも……当然、家の外で待ち構えている方が約一名。


「あ、な、た、は何を考えていますのおおおおおおおっ!?」

「すまぬ……すまぬ……」

 仁王立ちで鬼の形相の五月に、車から飛び出た深夜子がスライディング土下座を決める。

 朝日と梅は、なに食わぬ顔で荷物を家に運び込んでいる。

「あ、あああの……さささ、五月さっきー?」

 土下座中の深夜子の横を、五月が憤怒のオーラを浴びせながらガン無視で通りすぎる。


「ああっ、お帰りなさいませ朝日様。五月はまだかまだかと、一日千秋の想いでお待ちしておりましたわ! それと――」


 朝日と目があった瞬間、愛のオーラ全開に早変わり。五月は男性保護省訪問のねぎらいを早口で伝える。

 

「それじゃあ、五月さん。僕はひと休みしたらお昼の準備しますね」

「ええ、よろしくお願いしますわ。それでは朝日様。お食事の時に、ゆっくりとお土産話を聞かせてくださいませ。オホホホホホ」

 お上品な笑い声と共に、五月の手が土下座衛門深夜子の耳へと伸びる。

「あいたっ!? さっ、五月さっきー? はうっ、耳がっ、耳がちぎれるううう! あ、歩く。あたし歩くからああああ」

「深、夜、子、さん。貴女のお土産話・・・・もたっぷりと聞かせていただきますことよ!」


 わめく深夜子を引きずって、五月はお説教部屋へと消えていった。

 

「ほんとアホだな……。おう朝日、荷物入れ終わったぜ。食材も冷蔵庫に入れてあんぞ」

「ありがと梅ちゃん。一息ついたらお昼の準備するから手伝ってね」

「あいよ。りょーかい」


 朝日と梅は昼食準備、五月は深夜子のお説教。

 しばらくして、それぞれが一段落ついた後――。

 昼食準備が整ったダイニングテーブルの前に、朝日、五月、梅の三人が座っていた。


「朝日様……そんなに甘やかさなくてもよろしいですのに……」

「そうだぜ朝日。お前が気を使う必要もないしよ」

「んー、でも、ちゃんと約束の仕事は終わらせてるし。僕が言ったことだから……深夜子さんの気持ち、わからないでもないんだ」


 と言いつつ、内心少し責任を感じている朝日であった。

 なんせ深夜子を焚き付けたのは自分だ。

 それに力の入れどころは間違っているが、あの積極さは嫌いではない。


「じゃあ、深夜子さんを呼んで来るね」


 朝日は席を立ち、深夜子の元へと向かった。


「ふふ……朝日様はお優しいですわね」

「まあな。優し過ぎる気もするけど。あれが朝日のいいとこだかんな」


◇◆◇


「おーい、深夜子さん。入るよ?」


 朝日が深夜子の部屋の扉をガラリと開ける。ノックするも返事がなかったのだ。


「ねえ、深夜子さん。もうお昼ご飯だよ。みんなも待ってる――って、まだ落ち込んでるの?」


 そう、怒り心頭の五月から、罰として自室で謹慎。ご褒美の消滅を言い渡されていた深夜子。

 ベッドの上でうずくまり、悶々としている模様。

 電気を消して、カーテンを閉めているだけとは思えない暗さが漂っている。

 その落ち込みっぷりが実にうかがえる。


「うう……ご褒美。期待してたのに。仕事頑張ったのに」

「そうだね。だから僕が呼びに来たんでしょ」

「ふえっ?」

 部屋の電気をつけて、朝日はそう告げる。

「ふわああああああっ! じゃあ? じゃあ!?」

「だって、約束だもんね」

「と、とととと言うことは! ごごご褒美のちゅちゅちゅうをををををば」


 朝日の一言に、深夜子はベッドから転がり落ちる。

 そのテンションは一気に天空Vの字回復。床を這いずり回って喜ぶ姿はちょっとキモい。

 やはり落ち着け精神的に。

「えーでもーやっぱりはずかしいなーどーしよーかなー」

 なので少し焦らしてみることにする。

「しょ、しょんなことない。全然はじゅかしくない! さあ、あたしのここに。朝日君。カムヒア! 大胆ダイターンに!」


 右の頬をぷくりと膨らませ、ぐいぐいと指差してアピールをしてくる。

 やはり深夜子の反応は面白い。

 それを見て、朝日もつい調子に乗ってしまう。ニコッと小悪魔的笑みを浮かべ――。


「あれ? ねえ、深夜子さん。なんか鼻にゴミがついてるよ?」

「うえ? ゴミ? むう、こんな時に。んー、とっ、取れたかな?」

「取れてないかも? じゃあ、僕が取ってあげるよ。こっち向いて」

「ん、そう? はい」


 ――と、深夜子が正面を向いた。今だ!


【ちゅ】


 深夜子と朝日の唇が、やさしく重なった。


「はひ!?」




 全身を貫く衝撃! 深夜子は自分の身に何が起こったのか理解できなかった。


「えへへ、特別サービス。みんなにはないしょだよ」

「ふ……へ……ほ……」


 震える指を唇へとあてる深夜子。

 目の焦点は定まらない。頭の中でぼんやりと、今起こった事がリピートされて、やっとのことで理解が追いついて行く。

 そうだ。やわらかい朝日の唇が、自分の唇に重なった。とても甘い香りがした。


「あ、あの……朝日……君。い、今の、ちゅ、ちゅう……は?」


 深夜子は朝日を見つめ、問う。

 どうにも頭がぽわっとして、目がトロンとしてしまう。つい今しがた重なった唇に、自然と目がいってしまう。


「えっ……あっ、いや、そ、その――」


 かたや、軽いノリでやってしまった朝日だが、深夜子の艶かしい表情を見て、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。

 

「――じゃ、じゃあ深夜子さん。みんながお昼ご飯待ってるから、先に行くね」


 朝日は真っ赤になってしまった顔を伏せ、早口でそう言い残すし、そそくさと部屋を後にした。

 そして――廊下で少し気持ちを落ち着けてから、五月たちの待つダイニングルームへと戻る。


「あら、朝日様。深夜子さんは? いっしょに戻られませんでしたの?」

「なんだよ。あいつ、まだ拗ねてやがんのか?」

「えっ? あっ? い、いや、そう言うわけじゃないと――」


『ヴェアアアアアアアアアサヒクンノクチビルウウウウウッッッッ!!!!』


「うおおっ!? なんだああああっ!?」

「雄たけび!? け、獣の雄たけびですの!?」


 深夜子の咆哮(特大)が、家中に響き渡った。


「あははは……ど、どうしたんだろうね。深夜子さん……」


 やっぱり朝日家は今日も平和です。

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