第48話 新月とお出かけ
「ふう……さすがに、参りましたわ……」
五月は自室のベッドで横になる。
これで落ち着ける――訳もなく、梅たちに任せはしたものの、気になって仕方がない。
しかしその気持ちとは裏腹に、すでに精神的疲労が限界を迎えていた五月。
自分でも気がつかない内に、その意識を手放していた。
――五月は夢を見る。
十二歳の時、父が家を出て行くことになった日の夢だ。
『ねえ、ママっ! どうしてっ、どうしてっ! パパが家を出て行かれるんですのっ!?』
『五月……蓮也君は病気なんじゃ。それにな、ワシら……いや、ワシがそばにおっちゃあ治らん病気じゃけえ……のう? わかってくれえや』
『どうしてっ、ご病気なら五月がパパの看病をしますわっ! 五月はずっとパパの側に――どうしてっ!? どうしてっ!? ――――』
(……久しぶりに……見ましたわね……あの夢――――)
翌日の朝、いつもより少し遅く目が覚めた五月は、眠気覚ましに紅茶を飲んでいた。
窓際のテーブルに座り、物憂げな表情で紅茶を口にする。
ふとその香りに気づく、リラックスのためか無意識にカモミールの葉を選んでいた自分に小さく
さて、と頭を切り替える。
昨晩の失態の穴埋めをせねばならない。
まずは梅と深夜子の結果確認からか……と考えはじめたところで、部屋に蘭子が訪ねてくる。
「どうぞ、お入りになって」
「お嬢様、おはようございます。ご気分はいかがでしょう?」
「ええ、おはよう蘭子さん。昨晩はなかなか大変でしたわ……それはともかく、どうしまして? あっ、昨晩の件……お母様と深夜子さんたち、いかがでしたの?」
「いえ、そちらの件もあるのですが……先にお耳に入れておくべきかと思うことがありまして」
「先に?」
「はい。実は先ほど、社長が神崎様と大和様をつれてお出かけになりました」
「はぁ、まったく……本当にお母様は……で、朝日様はともかく、大和さんも? 一体どちらに……」
もうこれ以上、新月の行動に動揺してなるものか。
内心は頭を抱えながらも、五月はそう思ってよぎる嫌な予感をかき消す。
ところがどっこい、現実はそう甘くはなかった。
「
「………………はっ?」
引きつった顔のまま固まる五月の手から、ティーカップが床へと滑り落ちる。
それもやむ無し。
『社団法人
国の財界人によって構成された、いわゆる経済団体。
政府など国の公的機関とも、方針によっては対立的な立場をとる有力者たちによる組織である。
表向きには国家経済の発展、企業利益増加を図る政策を国に提言することを掲げている。
しかし、その構成会員は五月雨新月を始めとして、裏の顔を持つ者たち、中には
そんな連中の会合内容が、おおよそ真っ当で無いのは簡単に察しがつく。
「あっ、ああああ、あさ、朝日様をそのような場所に……あ、あああのバカは何を考えてますのーーーっ!?」
――日頃、お嬢様
「ハァ……ハァ……し、失礼。――それで、蘭子さん」
「はい。本来ならば、私も社長の護衛に同行しております。出発予定は午前十時頃――」
と、蘭子は左手の腕時計を確認する。
「――しかし現在。八時二十八分です。八時前にご出発されたらしく、気づくのが遅れました」
「まったく……やりたい放題ですわね……。それにしても、朝日様に大和さんお一人……心配ですわ」
「いえ、お嬢様。さすがの社長も護衛部隊の腕利きを十名……通常の倍人数ほど連れておいでです。神崎様の警護面はご心配なさらなくてもよいかと存じます」
それを聞いて少しは安心。五月は安堵のため息を漏らす。
「ふぅ……どちらにせよ向かった場所が場所ですから、焦っても仕方ありませんわね。ところで、昨晩いったいどういった流れでそうなりましたの?」
「それについてですが――」
蘭子が昨晩の出来事を説明しはじめた。
――五月と別れた後、梅と深夜子は興奮気味に大広間へとなだれ込んできた。
ところがタイミング悪く、新月は蘭子たち護衛部隊の者と酒盛りの最中であった。
しかも、五月たちの来訪がよほど嬉しかったのか、ずいぶんと酒が進んでいた。
二人は新月へ抗議を始めるが、酔っぱらい相手ではまともな話し合いにならない。
ついには押し問答の最中、酒の勢いもあって新月が、酒ビンで梅の頭をぶん殴ってしまう。
怒り狂った梅に場は騒然。あわや『
一触即発。そんな緊張した空気の中で、新月が梅に放った言葉は……。
「はああっ!? う、腕相撲ですって!?」
「はい。酔っぱらわれた社長が腕相撲勝負を仕掛けまして、それに大和様が応じられました」
「あの
五月の脳内で『はっ! おもしれぇじゃねえか?』と梅の声が再生され、思わず両手で顔を覆う。
「お恥ずかしい話ですが、我々も場の雰囲気でつい盛り上がってしまいました。結果、全員参加の大会となりまして……最終的には、社長と大和様の一騎討ちになりました」
続けて五月の脳内に、熱気に包まれた五月雨家大広間での腕相撲大会の様子が浮かびあがる……。
『うおーーーっ!! 社長ーーっ、ヤっちゃってくださいィィィ!!』
『大和ちゃんもファイトだぜーー!! つか、アンタ強すぎだろーーっ!!』
『『『ぎゃはははは!!』』』
完全に体育会系の飲み会会場と化した大広間。
騒ぎを聞きつけ、集まったメイド達も観客に加わり、野次やら声援やらが飛び交っている。
その大広間の床には、50センチ四方の分厚い木製机
部屋の中央で、ひとつの机に中腰で右腕の肘を付き、お互いの手を握り合う二人。
左手は机の端をがっちりホールドして準備万端。
上半身サラシ一丁で、右肩に竜、左肩に虎「
髪は後ろ一本で乱雑にまとめ、夕方のゴスロリ姿からは、どこをどうみても同一人物と思えない。
対する梅の上半身はイヌさん柄のスポーツブラ、下半身はスポーティなネコさん柄のショートパンツ姿。
新月同様、小柄ながら引き締まった筋肉美を見せ付けている。
『いよぉし、これで最後じゃ! 大和ちゃん、ええの?』
『おうよ。今度こそ決着つけてやんぜ!!』
『レディーーーーッ、――――ファイッ!!』
『『うおりゃあああっ!!』』
新月と梅、烈迫の気合いが響き渡る。
握り合った手から腕、全身の筋肉と骨から軋む音を鳴り響かせ、一進一退の攻防が続くこと数十秒。
バギィッ!! ――豪快な音と共に、机は真っ二つにへし折れて床に転がった。
『ふうううっ、ワシと互角とは……やりおるのぉ』
『へっ、五月の母ちゃん、マジでやんじゃねえか!』
『おおっ、梅ちゃんが腕相撲引き分けたの
破壊された机の数は優に二桁。
どうにも勝負はつかなかったが、当事者二人は満足げに笑顔を称えて熱い包容を交わしている。
すでに、朝日と五月の話題など誰の頭にもなかった。
『
『『『うおおおおおおっ!!』』』
新月が叫び声を上げれば、再び酒盛りが――。
「もう結構ですわーーっ! 恐ろしく鮮明に音声付きで場面が想像できましたわっ!!」
「ともあれ、寝待様はともかく。その後、社長と大和様は意気投合されたようです。……同行された一因もそれかと思います」
「だんだんどうでも良くなって来ましたわ……って、深夜子さん? 深夜子さんはこのような時に何をされてますの?」
「寝待様は、神崎様たちを
「にどっ――」
ピシッ! ――眼鏡のレンズにヒビが走ったかに思えたが、五月はカチャリと眼鏡の位置を正す。
「おほほ……そうですの。二度寝、二度寝? それはそれは」
あえて、ゆっくりと紅茶を入れ直す。
そして、それを軽く味わってから、五月は優雅に微笑んで蘭子へ指示をだした。
「それでは蘭子さん。
「ハッ! かしこまりました。五月お嬢様」
蘭子も満面の笑みで答え、深々と一礼をして部屋を出ていった。
――数分後。
『うぎょえあああああああっ!? てっ、敵襲!? うにゃ? ちょっ、だ、誰? え、あ――んノオオオオオオッ!!』
午前八時四十六分、深夜子起床(意味深)。
◇◆◇
さて、一方の朝日たち御一行。
武蔵区のとある港から豪華なフェリーに車ごと乗り込んで、移動すること約一時間。
フェリーはどこかの島へと到着した。
その港から車で十五分程進むと、周りが山に囲まれた島の中央部分に、
ここが集会の場所となっているのだ。
この島は地図に載らないアンダーグラウンドな地域、経済推進同盟の所有地である。
――それでは、少しこの国の裏部分の話をしよう。
世間一般には認識されない勢力争いについてだ。
新月が所属する経済推進同盟。それ以外にも、二つの経済団体がある。
通称『三大経済団体』と呼ばれている組織だ。
そして、この世界において――例えば男性警護業など、男性に関係した職種は非常に強力な利権と認識されている。
当然、利権には何かしらの勢力が絡んでくる。それこそが、この三大経済団体である。
さらに政府がここに加わって、国の裏側で政治的バランスが取られているのだ。
経済推進同盟は男性保護省と友好関係にあり、もう二つの経済団体は、それぞれ男性総合医療センター、男性権利保護委員会と友好関係にある。
政府は直轄組織である男性警察を有している上、男性保護省を通じて、経済推進同盟とも友好的関係を構築。
これによって勢力は三分され、バランス状態を保っている。
世間的には表面上、お互い
しかし、水面下ではズブズブの男性関係の利権争い……と表現すれば不穏に聞こえるが、ぶっちゃけ少しでも多くの男性を管理したいがための小競り合い。
悲しいかな、男性の取り合いをしているだけのだ。
結局、形が違うだけで、この世界の女性は遥か昔から貴重な男性の奪い合いを続けているのである。
話を戻そう。
車から降りて来たのは、昨日までとは一転して着物姿の新月。
夜会巻きにした髪には、大粒の真珠が多数ついた髪飾り。
淡い水色の高級生地に、上品な鈴蘭模様の刺繍が施されている着物が、凛とした雰囲気を引き立てている。
建物の入り口へ、颯爽と向かう新月の後ろには朝日と梅。
その周りを囲むように、十人の黒服が付き従う。
「うわっ、すごい。外はただのビルだったのに……」
朝日が驚きの声をあげる。
外観は飾り気のない用途不明なビルだが、内装は最高級ホテル以上の豪華な造りだ。
案内をする制服姿の係員たちも、内装に劣らない丁重な対応で新月たちを迎え入れた。
「へへっ、どうよ朝日? この格好」
ロビーを進む途中。朝日の横で、梅が自慢げに胸をはる。
先ほど車を降りた際、黒服たちのワゴン車で新月の護衛部隊と同じ制服に着替えたのだ。
サングラスをかけて、黒服にネクタイ姿。それと金バッチならぬ五月雨家護衛部隊のラペルピン。
「あー……うん。梅ちゃん、かわ――カッコイイ……んじゃないかな?」
残念ながら、ちびっこギャングにしか見えない。
「だろ? へへへっ」
どうにも微妙な返事をしてしまった朝日だが、それに気づかないくらいにご機嫌の梅であった。
もちろん、これは無意味に変装しているのではない。
Mapsが
一行はロビーの奥へと進み、連絡通路を通り抜け目的地である十階層のビルに到着。
「朝日ちゃーん。とっても、とーーってもさみしいけどー、ママはお仕事があるのでー、ちょっとだけお別れでーす。ここの二階から六階はー、朝日ちゃんでも楽しめる場所だからー、いっぱい遊んで待っててねー」
「はい、わかりました。それじゃあ今日は楽しませて貰いますね」
朝日は新月から『楽しい場所にお出かけ』と称して連れ出されていた。
新月の言うとおり、このビルの二階から六階は、会合に参加する財界人の家族や客人をもてなす為の施設となっている。
「うふふ。それじゃあー、朝日ちゃんをよろしくねー」
「「「かしこまりました。
新月は黒服を六人ほど従えて、エレベーターで別階層へと向かっていった。
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