第47話 頑張りました?五月さん

 弾け飛ぶように、その場から離脱する。


「はぁ……はぁ……、も、申し訳ありませんでしたわ。と……とりあえずは落ち着きましょう。とにかく落ち着きましょう。何よりもまず落ち着きましょう」

「あー、うん。僕は大丈夫だけど、その、五月さんこそ……大丈夫ですか? あっ、そうだ! のど渇いてませんか? 冷蔵庫にいっぱい飲み物が入ってたんで! ほら、いっしょに飲みましょうよ」


 気をつかってか、朝日が冷蔵庫からぶどう・・・の炭酸飲料らしき物を二本取り出してきた。


「まあ、なんてお優しいお気遣い! 是非いただきますわ」


 ここは、とりあえず一旦仕切り直そう。

 五月は朝日と隣り合ってベッドに腰掛け、ビンの蓋をねじって開ける。

 炭酸の音に乗せて、ぶどうの良い香りがふわっと漂う。かなり上質なモノだ。


「うわっ、このぶどうの炭酸ジュースおいしい!」


 一口飲んだ朝日が声をあげた。

 どうやら好みの味だったらしく、勢いよく飲みはじめる。


 ひとまずセーフ。


 ご機嫌になった朝日に、五月も一安心。

 同じくジュースに口をつける。

(あら? これは……)

 この味は、自分が知っている・・・・・ものだ。せっかくなので、その知識を披露することにする。


「ふふっ、あらあら朝日様ったら、これはぶどうジュースではなくてシャンパン・・・・・ですわ。モエ・シャンと呼ばれる甘口で人気のある……アンペリ……え? ……シャン……パン!?」


 あらあら? じゃないですよこれは!?

 強烈な悪寒と己へのツッコミと同時に、脳裏にある記憶が浮かぶ。

 不覚にも酔いつぶれてしまったとある・・・日。

 深夜子と梅から、翌日に聞かされた朝日飲酒事件(※第三十二、三十三話参照)の顛末。

 そう、朝日家に禁酒令が施行される原因となったアレである。


「あ……」


 一気に五月の顔から血の気が引いていく!

 首が折れんばかりの速度で朝日の方を向くも、すでに手遅れ。

 朝日はハーフボトル(375ミリリットル)のほとんどを飲み干していた。


「あ、あああああ朝日……様……!?」


 五月。これはもしかしなくても大ピンチ!!


「まずいっ! まずいっ! これはまずいですわーーっ!!」


 ベッドから駆け出した五月は、再び扉の前に向かう。


「つあああっ!」


 殴る蹴る、そして体当たり、渾身の力で扉を破ろうとするがビクともしない。

 五月は必死に連打を続けるが、手も、足も、体力も限界を迎え、ついには扉の前に力なくへたり込む。


「これは……ハァ……どんな……ハァ……作りになってますの?」


 もう無理。五月は、ぜえぜえと息を荒げてうなだれる。

 すると、後ろで何やら冷蔵庫を開ける音。


「おいしー、おかわりー」

「ひえええっ! 朝日様、だめええええええっ!!」


 シャンパンのハーフボトルを一本飲み干し。

 鼻歌まじりに二本目を物色している朝日の姿。すぐに羽交い絞めにしてベッドまで連れ戻す。


「あ、朝日様いけませんわっ! こ、これはお酒ですの。まだ朝日様は未成年(※この世界は十八歳で成人)ですから――――ちょっ!?」

「んもー、五月さんのいじわるー」


 すでに朝日は酔っ払いモードに突入しはじめていた。

 するりと五月の腕から抜け出して、逆に抱きつこうとしてくる。

 甘えた声で愛しの朝日が、自らせまってくる。

 この嬉しくも危険なシチュエーションに、五月の理性はガリガリと削られていく。


「いっ、いいいいけませんわ! 朝日様!」

「えー、五月さんってば、よく僕におっぱい押し当てて、ぎゅってしてるでしょー」

 まあ、過去に何度か。あっ、つい先ほども。

「そ、そそそんな! あれは不可抗力と申しますか、なんと申しま――うひぃ!?」

「だから僕もぎゅってするー」


 ベッドの上に座り込んで後ずさる五月に対して、朝日は正面からすがるようにのし掛かってくる。

 捕まえたとばかりに、両手をしっかりと背中に回して、ぎゅっと抱きつかれた。

 さらには、五月の双丘に顔を擦り付けるように埋めて、満足そうに笑みをこぼしている。


「ふぁっ!! ……あ……はあ……」


 これは……まずいどころではない!

 胸元から香る朝日のシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐる。

 背中に回された手の温もり、心地よい圧力、自分の胸が朝日の顔に押し分けられる感触。

 ありとあらゆる全てが、恐ろしいまでの快感と満足感になって理性を粉々に砕いてゆく。

 これはもうだめかもわからんね。


「あ、朝日さま……まずい……これは……まずいですわ」

「えへへ。五月さん……柔らかくて……いい匂い」


 深夜子や梅と違い、五月のボリューム充分な谷間はパジャマシャツからしっかりとはみ出ている。

 そこに押しつけられた朝日の冷たく心地よい頬の感触が、甘い刺激となって身体中を駆け巡る。

 止めとばかりに朝日の吐息がそこをたどって、鎖骨から首筋と、肌の表面を舐めるように撫でてゆく。


「ッ!? あはっ……ん……はあぁ……あ、あさ、ひさまぁ……五月は……五月はもう……」


 胸元にある朝日の顔が、背中に回された手のひらが、わずかでも動く度に、極上の愛撫をされたかの錯覚を五月に与えてくる。

 もはや今、自分は理性を保てているのかすらわからない。

 すぐにでも服を脱ぎ捨て、下着も脱ぎ捨て、全力で朝日を抱きしめことに・・・及びたい。


 しかし、五月雨五月は名誉あるMapsなのだ。


 朝日に信用され、身辺警護を任されている身。

 たかが同じ部屋に閉じ込められたアクシデント。

 この程度のことで、これ幸いと行為に及べば、状況に甘んじて朝日を弄んだ鬼畜として、その名を残すことになるであろう。


 五月、まさに正念場である。


「くううっ! あさひさまっっ!!」


 気合一閃!

 叫び声に合わせ、自分の胸から朝日を引き剥がす。

 その勢いを利用して、くるっと回転させベッドに寝転がらせる。

 五月はそのまま膝を付いた形で、朝日の太ももの上にまたがる状態となった。


「ふぅ…………それでは……」


 眼鏡を外して、ぽいと投げ捨てる。あれ?


「ひゅ~ほほほほ! 四十秒で支度いたしますわっ! ああっ、燃え上がるこの朝日様への愛ッ!! すぐに、すぐに五月が愛して差し上げますわーーっ!!」


 五月、燃焼の場であった。


 さようなら理性。こんにちは本能。

 左手一つで自分のシャツボタンを手早く外し、続く右手はマントを翻すかの如くシャツをバサリと脱ぎ捨てる。

 ここまでなんと0.8秒の早業。

 続いて上半身最後の防壁こと、ブラジャーのホックに手を掛ける。


 そして、あわやホックといっしょに、わずかに残った理性のタガも外れようとした瞬間。

 ――金属と金属がこすれる甲高い不協和音が部屋に響いた!!


「うわあっ、何!?」

「きゃああっ!? なっ、なんですの!? せっかくいいところ――あれ?」


 そのあまりの酷い音に、朝日と五月は耳を塞いで怯み、動きが止まる。


「なっ、何事ですのっ!?」


 どうやら五月は理性の一部が復活した模様。

 朝日をかばうように、音の発生源へ視線を向ける。


「――ええっ?」


 なんと、あの頑丈な扉のノブが周囲の部品ごと、ちぎられたかのようにぽっかりと穴になっている。

 そこからスッと小さな手が現れると、同時に声が聞こえてきた。


『梅ちゃん、なんとかなりそう?』

『おうよ、このくらい掴む場所ができりゃいけるぜ!!』

『さっすが』

『はっ、扉ってのは……なぁ! 開けるために……あんだから……よっ! ……ふんぬっ! うおりゃあああっ!!』


 梅の掛け声にあわせて、まるで部屋全体の壁が軋まんばかりに揺れ動く。

 異様な金属音に、扉が凄まじい力で引っ張られているのがわかる。

 壁に繋ながる頑丈な造りのはずの蝶番ちょうつがいから、ミシミシと異音が響きはじめた。


 バチンッ!!


 激しい金属音がする度に、一つ、また一つと蝶番ちょうつがいが弾け飛ぶ。

 ついには扉自体が歪んで曲がった瞬間。轟音を鳴らして、壁の一部ごと廊下側へ倒れるように外れた!!


「ふぅっ……はぁっ……へっ……俺にかかりゃこんなもんよ」


 肩で息をしながら、梅は取り外した扉を投げ捨てた。


「は? え? あれを素手で? 嘘……ですわよね……」


 目の前で起きた信じられない光景に、五月は茫然自失となる。

 そこへ、梅の横から駆け出してきた深夜子が声を上げた。


「朝日君! 無事? なんにもされ――ぬああっ!? 痴女発見!!」

 上半身下着のみの五月を発見! これは事案発生まったなし。

「へっ!? み、深夜子さ――」

「ほわっちゃあ」

「――ぎゃふう!!」


 深夜子、一気呵成いっきかせいの飛び回し蹴りが、五月の側頭部に炸裂する。

「きゅううう」

 五月は宙を回転しながらベッドの脇へと沈んでいった。

 蹴りを放った深夜子は、そのままベッドの上に着地。仁王立ちで怒りをあわらにする。


五月さっきーどういうこと!? これは大問題。朝日君が――――」

 この状況を問いただそうとする深夜子だったが……。

「えへへー、こんどは深夜子さんだー」

「うにょおおおおおおおお!?」

 背後から、突如朝日に抱きつかれて奇声を発する。


「ふえっ!? あっ、朝日君!?」


 さらに、抱きしめてくる朝日の右手は、ちょうど深夜子の左胸の位置。

 これは素敵――いや、危険な予感。

「えっ? よ、酔っ払ってる!? ちょっ、……ひゃあ!? あ、朝日君、おっぱい……むにゅってした……あ、ダメ……んっ……ふにゃああああ!!」

「おいおい、こりゃどうなってんだよ? ……って、なんで朝日が酔っぱらってんだ、まずいだろっ!!」


 状況を察知した梅が、すぐさま朝日の餌食となった深夜子のフォロー入った。

 しばし(おさわり的)攻防が、三者で繰り広げられ――十分が経過。


 やっとのことで、アルコールが回った朝日を寝つかせて場を収めた時には、すでにぐったりへろへろの梅と深夜子。

 とは言え、見過ごせないこの状況を把握するため、正気を取り戻した五月に事情聴取をはじめた。



「――と言うことですわ」

「……お前の母ちゃん、はっちゃけ過ぎにも程があんだろ?」

「もはや弁解の余地もございませんわ……」

「はぁ、やれやれだな……でもまあ、五月。お前じゃ、またはぐからされんだろ? 今から俺と深夜子で抗議に行ってやんよ。それに、そのざまじゃまともに頭も働かねえだろうしな。休んでていいぜ」


 明らかに消耗しきっている五月を気遣ってか、新月への注意喚起を梅が買ってでる。


「ええ……お恥ずかしい話ですが、お言葉に甘えますわ……ともかく、朝日様は別の部屋でお休みいただいて――わたくしも今日は自分の部屋で休みますわ……」


 致し方なし、といった雰囲気の五月。屋敷のメイドを三人呼びよせる。

 一人は梅と深夜子を新月の元へ案内、残る二人は寝付いている朝日を連れてくるように指示した。


「うっし、行くぞ深夜子!」

「ふへへ……朝日君におっぱい揉まれ――」

「揉まれんなっ、喜ぶなっ、ガードあめえんだよっ!」

「これはもう妊娠――」

「しねえよっ! おらっ、しゃんとしやがれ! いくぞっつってんだ!!」


 どうにも半分呆けている深夜子の頭を小突きながら、梅はメイドの後について、深夜子を引きずるように連れて行く。

 一方の五月は、朝日を担架にのせて運ぶメイドたちを連れ、自室のある二階へと降りる。


「お嬢様。神崎様の寝室はどちらを?」

「そうですわね……お父様の部屋を使いますわ。空いて……ますでしょ?」

「……よろしいのですか?」

「構いませんわ。わたくしは自室を使いますから……それと、朝日様が寝ておられる間は部屋に見張りをつけて誰も入れないように」

「「かしこまりました。五月お嬢様」」


 段取りを済ませ、五月は自分の部屋へ戻ることにした。

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