第43話 写真の価値

「探偵? なるほど……了解しましたわ」


 深夜子から報告を受けた五月は、今後の対応を思案する。

 もちろん朝日に報告はしない・・・。『何もなかった』それでいい。

 無駄に心配はかける必要はないのだ。

 深夜子たちにもその了承を得る。

 それから、いつも通り朝日と四人で朝食を終えて、不自然にならない程度に食後の時間を過ごす。


 そして……現在、Maps側リビングルームにて、恒例となったミーティング中である。


「それで……深夜子さん。これは一体なんなのですの?」

「ん? 戦利品。ふふん!」


 深夜子が満足そうに胸をはっている。

 それはいいのだが、なぜに首から新型の一眼レフカメラをぶら下げているのか?

 いや、ともかく。五月は机の上に視線をやる。

 深夜子が探偵たちから抜き取った『押収品』と呼ぶべきかは微妙な、彼女らの所有物だった品々が並んでいる。


「スマホに、財布に、手帳に……よくもまあ、これだけ取ってこれたものですわね」

 感心半分、驚き半分。

 深夜子の器用さに率直な感想を述べつつ、五月はスマホをチェックする。

「はぁ、戦利品……ねぇ?」

 うさん臭げな表情の梅は、財布の中身を出しては机に並べている。


「フッ、余裕。あとこれも」


 さらに、深夜子が得意気にテーブル上へ何かを放り投げた。

 追加された二つの物体。

 ひとつはブルー、もうひとつはピンク色で、ポリエステル素材がメインの衣類。

 それは女性が胸に着けるべき下着『ブラジャー』であった。


「え……と……、深夜子さん? ……貴女は一体、何を思ってブラこれを……取ってこられたのかしら?」

 理解不能。

 五月はプルプルと震える中指で、眼鏡のブリッジをカチャリと持ち上げつつ問いかける。

「ふっ……、朝日君にまとわりついた罰。走って逃げる時におっぱい揺れて超気になるの刑!」

「ア、アホかっ!? 深夜子、なに考えてんだてめえ!」

「いえ、それよりも何よりも……どうやったらブラジャーを取ってこれるんですの!?」

 

 素直な疑問。五月はツッコミ気味に確認をする。

 しかし、それを聞いた深夜子は人差し指を唇に当て、首を傾げて考えはじめた。

 少しすると、何かを思いついたのか、ふと立ち上がって自分の背後へと移動した。ん?


「えーと。こう?」


 深夜子が右手がスッと振り上げた。

 指をコキコキと鳴らして、準備運動のように動かしている。

 何をするつもりなのか? 五月が理解できぬまま呆然としていると……。


 文字通り、目にも止まらぬ速度で深夜子の右腕が振り下ろされた。


 あれ? 今、自分のカッターシャツの右袖側から、背中をすり抜けるように左袖側へと風が抜けて――――ッ!?


「はあっ!? なっ……ひっ、きゃああああああっ!?」


 次の瞬間。なんと深夜子の右手にぶら下がっていたのは、自分が胸に着けていたはずのベージュ色のそれ・・

 そんなバカな? 困惑する五月をよそに、深夜子はそれを眼前に掲げる。


「フッ、どう? これ――んなにいっ、90のE!? ……くっ!」

 どうやらタグが視界に入ったらしい。

「くっ!」

 おっと、梅にも大打撃!

「くっ……じゃないですわあああーーっ!! わっ、わわわたくしのブラを……返してくださいませーーっ!!」

 冗談ではない。

 だが、ブラを取り返そうとするも、深夜子にさらりとかわされる。


 さらには、ブラを両手で広げてシャキーンと決めポーズ。

「これぞ寝待流格闘術『肋抜あばらぬき』の応用『あ、ブラ抜き』!」

「意味が分かりませんわーっ!」

「器用だなおい!?」

「フッ、母さんはもっと上手く盗む。抜き取る時にホックが外れない」

 右手の指をコキコキと鳴らし、深夜子がニヤリと格好をつけた表情をつくる。


「だ、か、ら、さらに意味が分かりませんわーーっ!?」


 もうそれ人間技じゃないですよね?

 まったく理解できないが、とにかく無駄に時間を浪費するわけにもいかない。

 やっとのことでブラを取り返してから、五月は気を取り直す。

 本来するべき行動へと、頭を切り替えねばならないのだ。いやほんと。


「はぁ……とにかく! これらの物から、急いで情報を割り出さなければなりませんわ」

「ふぅん。探偵所ねえ……西中島南に、鈴木花子か……でよ、こいつら街で見かけたらぶっ殺していいのか?」


 梅が二人の身分証をひらひらとさせながら口にする。


「どうしてそうなりますのっ!? それ貴女が刑務所行きですわよね?」

「んだよ。相変わらずおかてえな! 軽い冗談じゃねえかよ」

「貴女の場合は冗談に聞こえませんのよっ!」


 ツッコミながらも、しっかり手は動かしている五月。

 どうして頭脳労働になった瞬間にこの二人は……と脳内で愚痴りつつ、パソコンにタブレットをつないで準備完了。

 朝日の健康診断前日と同じ、本気の調査モードだ。

「ところで、深夜子さん」

 探偵たちのスマホも、ケーブルにつないで解析開始。キーボードを叩きながら深夜子に声をかける。


「ん、何?」

「その首にぶら下げておられるカメラも押収品ですわよね」

「はうっ」

 深夜子の表情が曇った。やはりか……。

「こ、これは……その……拾った?」

「小学生の言い訳かよ!?」

「深、夜、子、さん……それはあの探偵の方々が使っておられたものですわよね!?」

「う……は……はひ……五月さっきー……そ、その、後で返して……くれる?」

「はぁ……貴女はもう……とにかく、本体のデータを抜きますから……後はお好きにしてくださいませ」


 やたらカメラに執着を見せる深夜子。

 おずおずと渡してきたカメラ本体のデータを抜き出し、パソコンへと移動する。

 メモリーカードは空だったので、そのままにして返す。

 カメラを抱き締めて喜ぶその姿に、五月は軽い頭痛を覚える。

 が、データの中身をモニターへ映し出した瞬間にそれは霧散した。


「ッ!! やはり……朝日様の盗撮……」


 十枚にも満たない枚数だが、朝日が庭でゴミ捨てをしている姿、ランニング中の姿などの写真データであった。

 すべてピンボケだったり、見切れていたりと、まともには写ってはいない。

 しかし、それが逆に盗撮としての・・・・・・生々しい雰囲気を伝えてくる。

 仮に通常の男性が盗撮された事実を知れば、心的外傷後ストレス障害――PTSDを発症してもおかしくない。

 いかに朝日であっても、それなりの心の傷は受けるだろうと予想する。

 五月は激しい怒りと、何よりも心から愛する朝日に対する不快極まりない行為に吐き気を覚えた。


「うっ……」


 震える右手で口をふさぎ、五月はこみ上げる不愉快さを押さえこむ。

 すると、ふと肩と背中にぬくもりを感じた。

 振り返れば、深夜子が無言で優しくうなずいている姿。

 左手を肩に乗せ、右手でそっと背中をいたわるように撫でてくれていた。


五月さっきーの気持ちわかる。朝日君の……こんな写真許せない」

「深夜子さん……」


 これは深夜子らしからぬ心遣い、そして共感。

 五月はついつい目頭に熱いものを覚えてしまう。

 そっと胸の前まで右手を持っていき、きゅっと握りしめて誓う。

 この朝日に対する侮辱とも言える愚行!

 それを金目当ての卑劣なやからどもに依頼をかけた黒幕を必ずや――。


「この写真はできそこない。見れない」

「はい???」

五月さっきー、これ」


 嫌な予感が走る時間も与えないとばかりに、深夜子がアルバムらしきものを手渡してきた。

 なんだこれ? 五月はつい流れでそれを開き、そして、驚愕する。

 なんと、朝日の写真が大量に収められているではないか!

 しかも、撮影日付が古いものだと五月中旬。

 つまりは、朝日と出会って程なくしてからの写真集である。

 あー、へー、なんだか額のあちこちにピキピキと血管が走りますわ。

 眼鏡のレンズにもビシビシとひび割れが入っている気がしますわ。


「……で、深夜子さん。これは、どういったことですの?」

「ふひっ、あたしの愛の結晶。クオリティが違う! これ見て元気だして!」


 左手を右肩に置いたまま、深夜子がグッと力を込め、右手でサムズアップしてきた。

 まあ、確かに朝日のベストショット集と呼ぶべき見事なものではありますね。

 素晴らしい――。


「あっ、あっ、貴女が盗撮集を自慢してどうするおつもりですのおおおおおおっ!!」


 ――わきゃあるかい!?

 怒りにまかせ、五月は深夜子の襟首をつかんでガクガクと揺さぶる。

 しかし、当の深夜子は心外と言わんばかりの表情。しれっと話を続ける。


五月さっきー、文句は最後の五ページを見てから」

「はい!? 貴女は何を言って……だいたい朝日様を……盗撮して……そもそ――ッ!?」


 文句は尽きないが、朝日の素敵な写真の数々に、ついページをめくる手が止まらない。

 最後の五ページ。そこに到達した瞬間に、五月は我が目を疑った。

 

「かはあっ!? み、みみみみ深夜子さん!? こっ、このこのこの……こ、れ、はッ!?」


 あっ、ヤバい。これ超ヤバい。

 写真におさめられた朝日の姿に、呼吸、ついでに心臓も止まりかける。


「ふひっ、朝日君にお願いして撮らせてもらった。ご機嫌でないとやってくれないから超レア!」

「いやっ、ちょっ!? この素敵――いや、けしからん……そう、けしかりませんわっ! こんな写真、許されるわけが……はっ、はふうんっ!」

「んだよ。ちょっと俺にも見せろよ」


 梅が間を割ってはいる。

 ここまでお茶をすすって静観していたのだが……。

 先ほどまでとは一転して、大興奮の五月。

 にやけドヤ顔とでも言うべき深夜子。

 挙動不審な二人の反応に、梅はその朝日の写真とやらが、気になって仕方なくなってしまった。

 五月の手元をのぞき込み、どれどれとその写真を見る。


「んなあああああっ!?」

 これはっ!? 梅の顔から蒸気が吹き上がる。

「おっ、おい深夜子てめえ! 朝日になんて格好させてやがん――むぐっ」

「しーっ! 梅ちゃんにはまだ早い」

 深夜子に口を塞がれるが、梅は即座に手をはねのける。

「アホかぁーーっ! 俺の方が年上だろうが――――むぎゅう!?」

 すると、今度は別方向から伸びてきた手に顔をがっちりと掴まれた。まともにしゃべる間もない。

「み、深夜子さんっ!! この写真……いや、このデータを是非……あっ、その……こほん。また、今回のような事件があるとも限りませんので……そ、そうですわね。わ、わたくしも今後、動揺しないように慣れる・・・必要もありますから……参考データ・・・・・としてお譲りいただけますかしら? も、もちろん! やましいことに使う気など毛頭もございませんから……ほほ、オホホホ」


 なにやら五月が深夜子に詰めよって、よくわからない理論を展開している。

 どう聞いても、やましいことに使いたいとしか思えない。

 梅はあきれ気味に二人のやり取りを見守ることにした。


「えー。どうしよっかな?」


 今度は深夜子がわざとらしく渋っている。

 すると、五月は密着せんばかりに深夜子に近づいて、耳元で何かを囁いた。

 それでふにゃりとにやけ顔を見せた深夜子が「必要だもんね! しょうがないよね!」と、USBメモリーをポケットから取り出す。

 それからお互いがお互いの手をがっしりと握って、熱い女同士の友情を表現しながら、それ・・は手渡されたのであった。


(けっ、最低かよ……エロスケベども)


 もちろん梅の驚異的動体視力は見逃してはいない!

 その時、五月が深夜子のジャージのポケットへと、万札の束を素早く差し込んでいたことを――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る