第5章 特殊保護事例Ⅹ案件 五月雨家へようこそ!

第42話 追跡するもの

 違和感とは何か?


 ――公園内には、ケヤキやクスノキなどの高木こうぼくが所々に立っている。

 その内の一本。高さ20メートルはあろう大木に登って、二人そろって丈夫そうな太い枝に腰をかけているのだ。

 しかも、遠目には生い茂る葉っぱに隠れてかなり見えづらい。

 通りがかった程度では、その存在に気づくこともない。

 そして、一人が手に持っているのは双眼鏡。もう一人の首には、高機能そうな一眼レフカメラがぶら下がっている。


 当然、彼女らは清掃員などではない。


 職業は探偵。依頼を受けて、ある人物・・・・を調査中の二人だ。

 そんな、あきらかな不審者たちではあるが、何やら緊張感の無いやり取りが聞こえてくる。


「ねー、みなみ所長……やっぱこの仕事やめません? 悪い予感しかしないですよー」


 やる気がなさそうな口調で訴えるのは、助手にして唯一の所員である『鈴木すずき花子はなこ』だ。

 少し背が低い黒髪おかっぱの方で、年齢は二十代前半に見える。

 そのなんとも特徴が無い顔つきが特徴とでも言うべきか……決して悪くないが、決して美人でもない、無難な顔立ちである。


「花ちゃん、アホ言わんといてな! こないなおいしい仕事逃してどないすんねん! そもそも今月もタダでさえピンチや言うのに!」


 少し甲高い声が言葉を返す。

 南所長と呼ばれたこちらも、見た目は二十代前半で糸目にソバカス。美人と呼ぶには多少難はあるが、それなりにバランスの整った顔立ち。

 彼女と花子、たった二人の探偵事務所の所長『西中島にしなかじまみなみ』だ。

 その口ぶりから、探偵業は順調ではないのが感じられる。


「わかってます。わかってますよー! でも……男性特区の指定清掃業者。その生きてる・・・・IDカードを手配できる依頼主クライアントって、普通にヤバくないですか? ああ、キナ臭い。キナ臭いですねー、これ!」


 両手で顔をはさんだ花子が、芝居がかった口調で悲観的見解を述べる。

 それを聞いた南は、その細目を見開き反論する。


「やっかましいわっ! あんな花ちゃん……ウチらが軍隊で斥候部隊やっとった時代に比べりゃ、こんなキナ臭い程度なんてかわいいもんやろ? それに報酬がごっつうええやん。調査も残り四日の我慢やさかい……な、あんじょう頼むで!」

 

 こんな調子の南と花子だが……さて、この世界で人気がある職業は『男性と何かしら接点が持てる』仕事なのはご存知の通り。

 そして、その就職競争に敗北した者たちはどうなるのか? 


 この二人が正にその一例。


 身体を鍛えて男性警護業を目指すも見事脱落。

 高収入につられて、ついつい軍に入隊。しかし、泣かず飛ばずで、昇進して内勤どころか、前線中の前線に配属される始末。

 命あってのものダネと退役し、一念発起で起業した先輩後輩の二人なのだ。


 ちなみに、配属された斥候部隊の経験を活かして、危険回避と逃げ足には自信を持っている。

 そんな自負もあってか、高い報酬につられ、限りなくアウトな依頼に手を出して今に至るのである。


「そりゃまあ、すんごい美少年ですから調査依頼がくるのも理解できますけど……写真撮るのはヤバいですよ。あたし男性警察のご厄介にはなりたくですぅー」

「はぁ!? 何言うてんねん。風景写真や、風景写真っ! そこにたまたま・・・・美少年が写っとるだけや! 花ちゃん人聞き悪いこと言わんといてや? ……はぁ、しっかし今日もまたあのMapsがついてるんか……たまらんでホンマ」


 双眼鏡をのぞきながら南が愚痴る。

 男地だんち内は、数少ない男性の一人歩きが可能な区域。

 しかし、ターゲットにはどんな時も必ず誰か一人は付き添っていた。

 やりにくいことこの上なしだ。


「そう言えば……初日にビビりまくってましたけど、そんなヤバいんです? あの美少年についてるMapsたち」

「せやから言うたやろ? 普通はありえへんのやけど、ありゃ間違いなく三人ともSかAランクやで! あの子猫ちゃんかて、ウチらが気配を消して近づいても速攻で感知するレベルや。おかげで1キロ近く離れんとアカンわ……写真は取れんわ……かなわんで」

「確かに……行動調査は取れてますけど、写真は……全然ですもんねー」

 そうぼやきつつ、花子が首にぶら下げている一眼レフカメラをなでる。

「そやで! それにな、もう二人おった内のこじらせた悪い目つきしとるねーちゃん。あれも相当にヤバいで――」

「ふーん……で、何を調べてるの?」

「えっ? そりゃあオマンマの種に決まっとるが……な……!?」


 突然、さらりと何者かが会話に加わるも、その自然な流れに、つい話しに乗ってしまった。

 気づくと同時に、南は顔から血の気が引いていくのを感じる。


 とにかく、その存在が接近したことに――いや、今の今まで、自分たちの間近にいたこと・・・・・・・すら気づくことができなかった。

 背中に嫌な汗を感じながら、ゆっくりと横を振り向く。


 すると、そこにはたった今、自分が相当にヤバいと評した人物。

 きれいに切れ揃えられたセミロングの黒髪。

 まるで猛禽類かと思える鋭い目つきをした女性が、こちらをじっと見つめていた。

 何故かはわからないが、ジャージ姿に防刃ジャケットと非常にシュールないでたちなのが、混乱に拍車をかける。


 ともかく、ここで南の脳内認識作業は完了。横で青くなっている花子も同様であろう。


「「うぎゃあああああっ!?」」


 二人そろって思わず悲鳴をあげてしまった。それほどの衝撃。

 それでも南は、即座に下に向かって、太めの枝から枝へと飛び移る。

 ある程度の高さまで降りたところで、一気に地面までジャンプ。

 ――着地。即、逃走。

 同じく、飛び降りてきた花子といっしょに駆け出した。


 走りながら南は戦慄する。

 ありえない! 自分たちは、ただ木に登っていたのではない。

 枝葉の影になるように、しっかりとカモフラージュしていたハズだ。

 百歩譲って気づかれただけならまだいい。

 何より恐ろしかったのは、一切の気配を感じることなく接近された事実!

 軍の斥候部隊時代。

 敵の接近に気づけないことは同時に死を意味した。

 その時に培った危険察知能力が、まったく反応しなかったのだ。まさに異常事態である。


 しかし、判断の遅れもまた同様だ。

 自分たちには、もう一つの武器『逃げ足』がある。

 あらかじめ決めておいた、数ヶ所の合流地点。

 そのひとつのサインを花子へと送り、二手に分かれ、できるだけ道を使わず・・・に全力疾走を続けた。


◇◆◇


 十五分後。

 公園から2キロほど離れた街道沿い。緑地として使われている雑木林に南は到着。

 すぐに花子も木の影から姿をあらわす。


「ハァッ、ハァッ……どや、花ちゃん。そっちは撒けたか?」

「はっ、はい……たっ、多分……逃げ切った……いや、追いかけてくる……ようには見えなかったですけど……」


 とりあえず周りを見渡す……よし、誰もいない。

 それを確認してから、南は適当な石に腰をかけて、頭の整理をはじめた。


「どないしよ……いや、どの道いったん引き上げんとしゃあないな……」

「南所長……もう写真は買物とか外出時を狙うのがよくないです?」

「だから花ちゃんアホ言うなって、それじゃ写真の買取価格が全然かわんねんで?」

「うっ……ですよね……。このカメラだけで十万以上投資しちゃいましたもん――」


 花子がカメラを手に持って、そう言いかけたその時!

 背後からスッと二本の腕が、優しく抱き締めるように伸びてくる。

 花子の手をそっと包むように、冷たい手が添えられた。

 ――とほぼ同時。サラリとした黒髪が花子の頬に触れ、耳元で吐息をふきかけるように、ソレ・・ささやく。


「これ、カノンのハイパーショットWX80HGだよね。最近出た光学ズームが売りの新製品。あたしも買おうか迷った」

「ぴゃぎぃっ!?」


 言葉にならない悲鳴!

 花子は背中から手を突き刺され、心臓を鷲掴みにされたかの如き悪寒に襲われた。

 またしても、またしても一切の気配を感じなかった。

 接近はおろか、カメラを持った自分の手に触れられる瞬間まで、その存在を認識すらできなかった!


 一方、その光景を目の当たりにした南。細い目を限界まで見開き、金魚のように口をパクパクとさせて固まっている。


「「はぎゃああああああっ!?」」


 腰が抜けた南。涙を流して顔面蒼白、失神寸前の花子。

 もはや逃げるどころではない精神状況の二人である。


「そっ、そそそそんなアホな? ……一度ならず二度まで……ウチらに気取られず近寄れるとかありえへんやろ……」

「えーと。なんで逃げたの?」


 対する深夜子は、とりあえず会話になりそうな南に視線と質問を投げかけた。

 ついでに左腕のMaps腕章を見せて、事情聴取であることもアピールする。


「に、逃げた? あっ、いや……そっ、そりゃあ、あないに突然話しかけれたら、だっ、誰だってビビりまっせ? ウチら二人とも小心者やさかいに……なっ、なっ、花ちゃん!」

「……え? ……あっ……はっ、はいっ!! はいそうです。もうっ、それはもうびっくりしちゃって身体が勝手に!」

「ふーん。で、何してたの?」


 南と花子は、辛うじて口裏を合わせる。

 今、逃げるのは無理と判断。誤魔化してやり過ごす方針にする。

 話術は、探偵業に必須のスキル。起業に伴ってそれなりには勉強はしてきたのだ。


「い、いやー、そりゃもう、せっかくのええ景色ですやん? 風景写真の撮影をさせてもろうとったんですわ、ハハ、ハハハ……」

「そ、そう! そうですよ。ちょっと公園の掃除をしてたら、あまりに天気がよくて、みっ、見晴らしのよさについ。あはっ、アハハー」


 勉強した割には、かなりお粗末な二人の演技力。これには深夜子も――。


「……へー、そうなんだ」


 納得しちゃった!!

 残念ながら対話、交渉は深夜子の最も苦手とする分野。これはある意味名勝負である。


 しかし、じーっと、さらにじーっと、深夜子はただ黙って南と花子を見つめる。

 こんな時に限っては、日頃はマイナスにしかならない目つきと口調が大いに役立つ。

 まったく思考が読めない上、とにかくプレッシャーが尋常ではない。――が当然、深夜子は何も考えていないッ!!


 それを知るよしもない南たちは、蛇ににらまれた蛙の如く顔中に油汗を滴らせる。

 どう言い訳したものかと考えるが、あまりの恐怖につい小声で本音が漏れてしまう。


(ア、アカン……これはアカンで……確実に三桁は人を殺しとる目や……てか、なんで警護担当がこないなバケモン揃いになっとんねん?)

(死んだ。わたし死んだかと思いましたよ。やっぱこの仕事おりましょう! まだ死にたくありませんよー)


 それでも南は必死に考える。

 いくらMapsと言えど、自分たちを拘束できるほどのボロはまだ出していないハズだ。

 そして、相手がMapsだからこそ・・・・・のポイント。

 警護対象から遠く離れるのが難しい。これを利用しない手はないだろう。

 ならば取るべき選択肢は一つ。街からの離脱、間違いない。


 すぐ近くに移動用の自動車が止めてある。

 このバケモノは、腕はともかく頭は多少弱めに思える。

 とにかく車に乗り込み、一気に街から脱出さえすれば追っては来れまい。

 南は花子にアイコンタクトで一芝居いれる指示を送る。


「あっ! ちょっと事務所から電話ですね。……はいもしもし、えっ? 早く次の清掃場所に移動しろ? そ、そうですよね、もう時間ですよねー」

「ちゅ、ちゅうわけでウチら、別のとこで清掃の仕事がありますんで、ほなこれで!」

「あれ? ちょっと、あたしの話。まだ――」


「「ご、ごきげんようー」」


 強引に会話を切り上げて、逃げるように雑木林を抜け出る。

 道路近くに止めてある車へ急ぎ、南と花子は我先にと乗り込む。

 エンジンをかけたら、一息に発進!

 良かった。これで逃げれる……それから、帰ったら、もうこの仕事……やめよう。

 口には出さないが、同じことを考えている二人であった。


 ――車は林道沿いから、大通りへ。

 脱出までもう少しだ。南たちは不安をぬぐうため、努めて明るく言葉をかわす。


「はぁ……いやー、とんでもないもんに出会でおうてもうたなぁ、花ちゃん。ま、帰ったらとりあえずこの仕事はキャンセルやな」

「ですよねー。もうしばらくこの手の依頼はこりご……り……?」


 助手席に座る花子の視界。車のフロントガラスに映る自分の姿。

 ぼんやりと見えるのは、おかっぱの黒髪に添えられた白い指先。

 それが、自分の髪をかるく撫でているところだった。


(トリートメントはしてる?)


 花子にだけ聞こえる囁き。

 そして、猛禽類のような眼光が、死をもたらす眼光が、ぎろりとフロントガラスに映りこむ。


(あばばばばばばばば)


 花子、失神。


「そやなー、なんか別の……なんかって、ん? あれ……花ちゃん? 花ちゃん!?」


 ここで運転中の南は、花子の反応が無いことに気づく。

 ふと助手席に目を向ければ、そこには白目をむいて口から泡を吹いている哀れな姿の花子!

「ぎひぃっ!?」

 猛烈な悪寒に襲われながら、恐る恐る視線をバックミラーへと向け、後部座席を確認すると……。


「ねえ。まだ話終わってないよ」


 まさにタクシーの運転手からよく聞く怪談話。

 それをリアルで再現している深夜子がそこにいた。


「ほっげぎゃああああああああっ!?」


 無論、パニックを起こした南は運転どころではなくなる。

 車は歩道に乗り上げ、減速しながら、ガードレールへと激突して停止。

 しかし、さすがは元軍隊経験者。さほどの怪我もせずに車から這い出てくる。


 そして――。


「かっ、堪忍や! もう堪忍してーやっ! お、おかーちゃーん!」

「ちょっ、南所長!? わたしを置いてかないでーーーっ!!」


 ほうほうのていで逃げだす二人。それをあえて見送る深夜子。

 その手には、南たちから抜き取った・・・・・スマホや手帳などが数点。

 実は論破して拘束するが面倒なので、これを狙っていたのである。


 さらに、壊れた車の中からゴソゴソとある物を取りだして、満足気に笑みを浮かべる。


「ふひっ、カノンのハイパーショットWX80HG! 欲しかった。ま、悪いことに使われるよりいい……よね?」


 ――そのカメラ、欲しかったんですね。


 いい訳がましいが、盗撮に使われるよりは良いだろう。

 カメラをあれこれと触りつつ、ご機嫌で帰路につく深夜子だった。


「ふへへ。これでいっぱい朝日君、撮ろっ!!」


 使用用途変わらずッ!!

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