閑話 頑張れ!看護師さん(後編)

 ――そんなこんなで、結局被害のひろがった視聴覚検査エリアを横目に、案内係ナビゲーター問題の男性あさひ確保を優先するために素通りする。


 しばらくして、採血検査へと向かう朝日たちの後ろ姿を見つけた。


「すっ、すみません。神崎様でいらっしゃいますか?」

「はい、そうですけど?」


 呼び止められ、朝日が振り向いた。


◇◆◇


 「遅いわね……何かあったのかしら……!! ――はいっ、ナビ本部です」


 待機中の案内係ナビゲーターが、いまだ連絡がないことに心配を募らせていた矢先、通信の着信ランプが光った!

 即座にインカムを繋ぎ、早口で確認を急ぐ。


「ああ、良かった。それで、例の男性。神崎さんはどうでしたか?」

『それが……とんでもない美少年なんです。それだけでなくて、ほんとヤバいんです。なのでちょっと見てきますね』

「はい? 貴女、見てくる? 一体……何を……言って……」

『だから神崎様って、超可愛いんです。素敵なんです。あっ! ……早くしないと行ってしまわれるじゃないですか。じゃあ、見てきますね』

「いや、だから見てくる見てくるって貴女!? ちょっと、確保、神崎さんの確保を――」

『うへへ。可愛い……可愛いよう……』


 あっ、これダメな奴だ。

 察してしまった待機中の案内係ナビゲーターは、インカムを外し、祈るように天を仰いだ。


 ――それとほぼ時を同じくして、看護師ステーションでは看護十三隊十一番隊隊長『ひいらぎ明日火あすか』と副隊長『鳴四場なるしばエミリ』がこの惨状に気づき、必死に各ラインの立て直しを指示し始めたところである。


 さて、そんな朝日げんいんは――看護師さんたちって、リアクション好きなんだなぁ。と、あえて追究はせず。採血検査会場へと到着する。

 今までと違って、採血検査は個室になっていた。朝日たちは空き表示になっている部屋へと入る。


「採血か……うーん。ねえ、深夜子さん。注射ってあんまり気がのらないよね」

「うん。だから採血担当はメンタル強くないとできないらしいよ」

「はい?」


 朝日の耳に、これまた想像の難しい説明が返ってきた。

 どういうことかと確認をする――。


 深夜子によると、男性健康診断の採血担当者は嫌われ者の役どころとのこと。

 男性にとって、注射器を刺すイコール苦痛を与える女性という扱いらしい。

 罵詈雑言を浴びせる者も多く。担当看護師は宥めすかし、ひたすら気を使わなければならない。

 実際、採血担当になって耐えきれず退職する者も珍しい話では無い、との説明だ。


「あ、へ、へえー。た、大変……なんだね……」


 まさに、こんな時どんな顔をしていいかわからない内容だった。

 とは言えど、それを聞いた。いや、聞いてしまった朝日の頭の中で、採血の担当看護師はとても可哀想な・・・・・・・女性のイメージとなった。


『それでは、次の方どうぞ』

「じゃあ、行ってくるね」

「らじゃ、朝日君がんばって」


 ここで、深夜子は採血検査の個室内にある待機室へ、朝日は診察室へと入る。


「こんにちは。今日はよろしくお願いしますね」

「ん!? あ……は、はい……よろしくお願いします」


 さすがはメンタルが必要と言われる採血担当の看護師。朝日の容姿と愛想のよさに、動揺はみせたが対応は崩れない。


「神崎朝日さん……ですね。あまりに素敵な男性でびっくりしました。それで、今日の体調はいかがですか?」

「あっ、あの……僕、採血の注射とか全然平気ですからっ、気にしないでくださいね」

「はい!?」


 採血担当の看護師は、己の耳を疑い、思考が停止しかける。

 あれ……採血対象の男性に気を使われた・・・・・・


「…………はっ!? え……えーと。本日は……採血と言うことですが、こちらの注射器は痛みの少ない最新型です。なので安心して――」

「僕なら、痛くても平気です! 看護師さんは僕たちの為に頑張ってくれてるんですから! 文句とか言ったりしないですから!」

「はへ!?」


 なんですか、このお気遣いマックスハートの美少年? どうにもペースを崩され、言葉を失ってしまう。

 こんな男性、健康診断採血の歴史上で初めてじゃなかろうか……感動にうち震えつつも、看護師は根性で問診を続行する。


 ――お気遣い朝日と困惑看護師のすれ違いな会話が続くこと数分。


「うっ、ううう……それで、それでね……本当はあたし、辛くて……辛くて……」

「ですよね。大変なお仕事ですもんね。でも、こんなに優しい看護師さんに酷いことを言うなんて、信じれないです」

「優しい! 優しいって言ってくれるの!? て、天使?」

 診察室は、いつの間にか美少年の人生相談室に成り変わっていた。

「ありがとう! あたし……頑張れる気がしてきた!」

「良かったです。じゃあ、そろそろ採血をお願いしますね」

「あっ、そうだったわ。あたしったら……うふふ」


 おっと、職務遂行を忘れてしまうとは恥ずかしい。

 そこで看護師は我にかえった。

 では、と朝日の腕を取ってゴムチューブを軽く巻き、血管を浮きだたせる。

 そして、注射器を手にして腕の血管に針を向けたその時!


 ――突如、彼女の脳裏に先ほどまでの光景がフラッシュバックした。


 自分の事を心配してくれた。

 仕事について励ましてくれた。

 愛らしい笑顔を向けてくれた。

 何より自分を優しいと言ってくれた。

 そんな心優しい美少年に、こんな野蛮な針を刺して苦痛をあたえる? 


「えっ? ……あり得ない……そんなの……そんな……」

「ちょっ!? な、なんか注射器が三本に見えるくらいに手が震えてますよ?」


 これは……ひととして許されざる鬼畜の所業。

 ガクガクと体の震えが止まらない。全身から血の気が引いていく。

 看護師は注射器と朝日の顔を交互に見る……そして。


「いやぁあああっ、こんな子にっ! こんな可愛くて優しい子に採血なんて残酷なマネ、あたしできないっ!!」

「えええー?」


 逃げる様に部屋を出て行く採血担当の看護師であった。


「うわっ!? あれ、朝日君何かあった?」

 深夜子が待機室から顔を覗かせる。

「え? いや……あれ? どうしたんだろ……」


 診察室に一人取り残され、何がなんだかの朝日。

 そして、床に落ち、同じく残された彼女のインカムから、雑音と共に何やら声が響いてくるのみであった。


『隊長! さ、採血担当が一名逃げ出しました……』

『なんだとぉ! そ、それでも名誉ある十一番隊の隊員かぁっ!?』


◇◆◇


 朝日の採血は、医師と看護師が数人かがりでなんとか完了となった。

 さらに、そのままその医師たちに囲まれ、内科検診の会場へと移動になる。


 到着した内科検診会場では、もの凄く一仕事終えた感が漂っていた。

 あちらこちらで、安堵の会話がかわされている。

 その内容は、内科検診が終われば、朝日の健診はレントゲンなど機械によるものを残すのみ、もう問題は起きないであろうというものだ。


 さらには、この内科部門。自身も優秀な内科医師の一人である柊明日火、直轄の部隊だ。

 皆、朝日の美貌を楽しめる程度の自制心は持ちあわせている。


 しかし、そんな彼女らの余裕は、一人の医師が聴診器をもって発した一言のあと、崩壊することになる。


「それでは最後に心音などを聞かせてもらいますね」

「あっ、はい。ちょっと待ってくださいね」


 おもむろに上半身の診察衣を脱ぎ始める朝日がそこにいた。


◇◆◇


「み、見えちゃってるううっ! これはあたしが隠さねばぁ! いやっふう!」

「ちょっと、深夜子さん!? なんで抱きついて来るのさ! これじゃ服着れないよ? それに、なんか、みんな困ってるみたいだし……」

「くっ……あのMapsは何故なにゆえ……事態を悪化させているのだ?」 


 そう呟くのは看護十三隊十一番隊第九席内科部隊所属『最峰川もぶかわキヤラ』である。

 彼女は朝日について充分な情報を把握し、隊長である柊と綿密な打ち合わせも行った。

 結果、何事もなく、無事に終わるはずだと認識していた。


 ところが事態は一転。

 まさかの上半身裸トップレスな美少年が出現してしまった。

 真正面にいた担当医師は、満面の笑みをたたえ卒倒。

 歓喜の悲鳴を上げた看護師たちにつられ、別ラインからも医師と看護師が集まり、パニックにおちいる始末。


 現在、隊長ひいらぎ副隊長なるしばは別ラインの復旧に手を取られているはず……ならば、ここは自分が収めるしかないと最峰川は考える。

 この現場で最も上席者たる者の責務、それを果たすべく声を張りあげた。


「皆、落ち着けーーーっ! 我々は名誉ある看護十三隊の十一番隊だぞ! この様なことで己を見失ってどうするっ、看護道の心得を思い出せ!」


『看護道の心得』

 男性医療の歴史は、Mapsなどの男性保護業と比べて非常に古い。

 その長い歴史の中で、男性への対応や自制心を養う為に研鑽を重ね、淑女たり得る教えを説いた。

 そしていつしか四十八ヶ条となった心得こそが、男性医療に携わる者達の教訓となっている。

 医師や看護師たちはそれを暗記し、朝礼などで日々斉唱することによって、男性への節度ある対応を戒めているのだ!


 最峰川は、有象無象に成り果てたもの、周りにいるものを一喝。

 その一節を斉唱する指示をだし、場を収めることを試みる。


「よぉし、全員!『男子ニ見惚レヌ対処法』を斉唱だ! 私に続けぇ!」

「「「「「おう!!」」」」」


「看護道の三十三『男子ニ見惚レヌ対処法』! 看護師よ。禁欲の仮面・恋慕・懸想・オトコの名を冠す者に潔癖・節制――」


「んーと、とにかく。ち、ちく……おっぱい隠して! 朝日君」

「えっ? え……と、こう? かな?」


「「「「「てっ、てっ、手ブラぁーーっ!?」」」」」


 嗚呼、誰が言ったのだろうか……手ブラはヘタな上半身裸トップレスよりエロいと……。

 嗚呼、わかる。

 こんな美少年の手ブラ……嗚呼、無理だ。これは無理だ。

 絶対にあがらえぬ、全てをなぎ払う圧倒的な破壊エロスがそこにある。

 言葉で拒絶しようと、心で拒絶しようと、魂がそれを理解しているのだ。

 ――最峰川キヤラ、七月某日のブログより抜粋。


 会場は一瞬にして壊滅した。

 そんな中で、自身も薄れゆく意識を繋ぎ止め、最後の意地をみせる最峰川がいた。


「タダでは、タダではやられんぞ……それでも隊長なら……隊長なら、きっとなんとかしてくれるハズだ……!!」


 もう目も見えない。音もほとんど聞き取れない。

 最後の力。震える手で、呼び出しのかかるインカムをオンにする。


『どうしたっ!? 何がっ、一体何があった!?』

「た、隊長……そ……その、男性が……美少年が……内科検診時に突然上半身裸に――あふん!」


 見事に散りゆく最峰川……そんな彼女の想いは届かず。

 ――当日、十一番ルートは健康診断続行が不可能となり、閉鎖と相成った。

 その復旧には丸一日以上の時間を要したと言う。

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