閑話 頑張れ!看護師さん(前編)

 ――七月某日。

 武蔵区男性総合医療センターにて実施された男性健康診断。


 数多ある会場ビルの一棟『G棟』その中の一番から十三番ルートは通称『看護十三隊』と呼ばれ、男性医療に携わる者でもエリート中のエリートが揃えられている部隊が担当をしている。

 彼女らは企業の御曹司から国の指定対象まで、多数の要人男性の健康診断を一手に引き受けているチームなのである。


◇◆◇


 朝日と付き添いの深夜子は、本日の健康診断で指定されている十一番ルートの会場へとやってきた。


 内部は体育館のような広いフロアで、身体測定の項目ごとに間仕切りパーティションを立て区画分けしてある。

 それぞれに五、六人程度の看護師がついており、朝日の感覚からすれば過剰な人員配置に見えるが、この世界ではそれが妥当なのだろうとあえてツッコまない。

 会場入り口でルートマップと記録用書類の確認をしていると、案内係ナビゲーターの一人が近づいて来た。


「身体測定の方ですね。こちら一番から三番まで、どこのラインも現在いております。お好きな――――ふぁっ!?」


 朝日の顔を見た瞬間に言葉が止まる。さらには、鼻息を荒くして口調が変わる。


「きっ、ききき、君の好み、えと、女性のタイプとかはどんな感じかな? わ、私とかどう思う?」

「ええっ?」


 いきなり手を取られてのアプローチ。

 突然何事? 朝日が戸惑っていると、横を深夜子がスッと通りぬけていった。

 興奮気味な案内係ナビゲーターのうしろに回りこむと――。


 ピシッ!

「あふんっ」

 深夜子が手刀をかまえたと同時に、彼女は白眼をむいて崩れ落ちた。

「さっ、行くよ。朝日君」

「あれ? 深夜子さん今、何かしたの? ……あれ?」

 一瞬、深夜子の手刀がブレた・・・ように見えた気はしたが……。

「対暴女法の範囲内。気にしない」


 この寝待深夜子容赦せん! とでも言わんばかりの深夜子に手をひかれ、二番の身体測定ラインの入り口へむかう朝日であった。


 ――しきそくざん

 朝日に色目を使うもの許すまじ。深夜子、Maps権限フル活用である。


◇◆◇


「ちょっと……何あの子……」

「超美形! ……ヤバくない?」

「やったぁ、うちらの担当ラインだよ!」


 すでに看護師たちは、朝日の存在に気付き始めていた。

 歓喜の声を上げて、身長測定以外の担当たちも、砂糖に群がる蟻のようにわらわらと集まってくる。

 両隣、一番と三番ラインの担当たちも、間仕切りパーティションの隙間などから朝日をチラ見をしている。

 

「し、身長は――スゥハァ、ひゃ164.5センチ――スゥハァ、それでは――スゥハァ、記録しま――スゥハァ」


 はやくも過呼吸気味の身長測定担当が、意識朦朧いしきもうろうとなりながらも測定を進め――。


「そ、そりぇでは、きょ、きょきょ胸囲を測らせて、おっとぐうぜんにもてがすべ――――あふんっ」

 

 体型測定担当は、メジャーを持つ手がうっかり滑りそうになったところで、深夜子の恐ろしく速い手刀により退場となった。


 そんな深夜子ばんけんの脅威におののきつつも、なんだかんだと看護師たちは、朝日を取り巻き眼福を堪能しているようだ。


 そして、こと・・は体重測定で発生した。


「体重は54キロですね。では、記録します」

「あれ……朝日君、少し太った?」


 この世界へ転移当初のデータは、一字一句逃さず暗記済み! 『朝日マイスター』寝待深夜子の一言である。


「うえっ!? ちょっと、深夜子さん。もう! 僕、最近ちゃんと運動してるんだよね。それで筋肉がついたから重くなっただけだよ」


 実は日々、ゲーム三昧(お菓子とジュース付き)という怠惰な夜を過ごし、危機感を感じていた朝日。

 最近、梅に頼んで軽いランニングや筋トレに付きあってもらい、シェイプアップに勤しんでいたのだ。


「さっき図ったウエストはサイズ変わってなかったでしょ? ほら、僕も結構腹筋ついてきたんだよ」

 朝日はおもむろに上半身の診察衣を巻き上げる。


「「「「「ん゛ん!?」」」」」


 近くにいた看護師たちの視線が、一気に朝日へと集まる。

 そこには、引き締まったお腹をさらけ出している美少年あさひの姿があった。

 

「はうあっ!? 朝日君? わ、わかった。わかったから、次、ね、次に行こ!」


 ナイス腹筋……じゃない! 朝日の突発的な脱衣プレイに深夜子は焦りまくる。

 こんなところで自らを衆目に晒すのは勘弁と、強引に診察衣を収めさせて移動を促す。


「そういうのはあたしと二人きりの時にね! ねっ!」

「またー、深夜子さんてば」


 そして、ちゃっかり欲望に忠実なフォローを入れるマイスターさんであった。

 真っ先にしきそくざんされるべきはコイツではなかろうか?



 ――二人が去ったのち。


「身体測定担当、応答願います!」

「ダメ、新規受け入れの応答も返ってこない……。とりあえず私が現場に向かいます」

「わかった。こちらは任せて」


 異常に気付いた案内係ナビゲーターの一人が現場に向かい……。

「何これ……!? 全員何かに魅入られたようになっているわ。ちょっと貴女たち……一体何があったの?」 

 目の当たりにしたのは、まさに惨状。


「ふおおっ! 腹筋ふおおっ!!」

「美少年の生腹筋……ふへ、ふへへ、ふへへへ」

「お腹のくびれが――スゥハァ、やば過ぎ――スゥハァ」

「おへそ……うふふ。可愛いおへそ……うふふ」 

「そんな……身体測定のラインが一つ完全に潰れてるじゃない……」


 まともに会話ができる者が、一人すらも残っていなかった。

 理解不能なありさまに戸惑う案内係――が、無情にも追い討ちの通信が入る。


『視聴覚検査担当も一区画応答不能になってるの! 同じラインよ。すぐに向かって!』

「どういうこと!?」

『どうやら例の男性保護省から依頼で来てた男性が通ったあとみたいなの……』

「ちょっと待って! 事前連絡では注意が促されていたでしょ!」

『ともかく確認を急いで! まだ、隊長たちのいるセンターに情報が入るまでには少し時間差があるわ。できれば……その男性を確保して一旦検査保留に……名前は神崎朝日さん、十七歳。付き添いはMapsが一名。とにかく時間を稼いで欲しいの』

「わかった。すぐに動くわ」


◇◆◇


 こちらは、問題の視聴覚検査エリア。

 現在、応援部隊が朝日たちへの対応を進めている最中だった。

 周りから先輩と呼ばれている立派な眉毛をした看護師が、二人の部下を率いて聴覚検査のフォローをしている。

 

「おいキミっ! 大丈夫か?」 

「聞いてないわよ! こんな美少年なんて! しかも、しかも……優しいのよぉっ……うっ、ううっ……お疲れ様です。ありがとうございました。なんて、あの笑顔で言われたら……わたし、わたし」


 何分、検査終了時に男性がする反応のほとんどが、舌打ち、ないしは、ため息などの塩対応であるこの世界。

 必然、朝日のそれは神対応と言うか、慈愛に満ちた仏対応とでも呼べるレベル。これは察してあげたい。


「マズいな。例の男性は……これから視力検査か……よし、担当に指示を出してくれ。視力検査はワタシが代わろう」

「え? しかし、先輩の身に何かあれば……」

「ははは、心配無用ッ! ワタシには独自のオリジナル素敵な男性イケメン対策がある!」

「でも、とんでもない美少年と聞きましたが……」

「なぁに、大丈夫ッ!」


 不安そうな後輩に向け、サムズアップをして見せる立派な眉毛の先輩。キラーンと白い歯も輝く。


「ワタシは男性の足の動きを見るだけで、ほとんどの動作を把握することができる」

「「ええええ!?」」

  

 その器用の範囲内に収まる気がしない斬新な対処方法に『コイツなにいってんだ?』状態の後輩たち。

 だが、困惑する彼女らをよそに、立派な眉毛先輩は視力検査室で待機中の朝日たちに声をかける。


「お待たせしました! 視力検査はワタシが担当しますので、さぁこちらに!」


 なんと、本当に朝日の足だけを見ながらスムーズに案内を始める眉毛先輩であった。

 ところが天のイタズラか……その時、朝日の手から偶然にも・・・・記録用書類がすべり落ちる。


「あっ、書類が……」


 当然、朝日はそれを拾い上げようとしゃがみ込む。


 そして二つの不運が重なる。

 一つは、たまたま・・・・朝日の診察衣が少しサイズの大きいものだった。

 しゃがむとネック部分にちょうど良い感じの隙間が産まれる。

 つまり(女性にとって)実に素晴らしい角度と視野角チラリズムで、朝日の胸が見えてしまうのだ。

 もう一つは、足の部分に向けていた視線が仇となる。それはもうこれ以上無いくらい完璧に、その部分・・・・が眉毛先輩の視界に飛びこんでしまった。

 ――結果。


「ムッ、ムネチラァーーーーッ!? あぶわーっしゅっ!!」

「「せ、せんぱーいっ!?」」


 一見必殺! 鼻から熱血を吹き散らし、踊るように豪快に床に倒れ込む眉毛先輩。

 しかし息も絶え絶えながら、後輩へのサムズアップは欠かさない!


「……す、す、素晴らしきかな……青春の隙間ッ――ぐふっ!」

「ダメだ。もうこいつは使い物にならないっ!」

「た、隊長! 指示を! はやく指示を!」


 悪化してゆく事態に、インカムで看護師ステーションの隊長に必死の絶叫を送る後輩たちであった。

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