第22話 ごめんね

「ふん。ま、少しは話せそうなヤツだな…………ん? 五月雨? もしかして、オマエ、あの・・五月雨か?」


 五月雨の名に反応して、主が興味を示した。してやったり、五月は当てつけの目線をしっかり万里に送る。


「ええ、確かにわたくしの実家は総合情報商社。その五月雨・・・・・ですわ。でも、今のわたくしはMapsの一員ですの……海土路様。それでは事情確認をさせて頂いてよろしくて?」

「おいおい、ちょっと待ちなよぉ~お嬢様。がっつき・・・・過ぎはよろしく無いじゃな~い? ウチの坊っちゃんもさぁ、そろそろお疲れのようだしねぇ。無理に焦る必要もないだろぉ」


 ここは当然、万里はのらりくらりとかわそうとしてくる。

 ――が、釣り針に食らいついた獲物をやすやすと離す気は無い。


「あら、それは不思議なことを。万里さん? 貴女の雇い主様はそうでも無いご様子ですわよ。ふふっ、焦っておられるのは貴女ではなくて?」

 言葉は少し仰々しく。身振りも加えて主へと目配せする。

「そうだぞ、ちょっと待てよ万里。この女は五月雨ホールティングスの人間なんだろ。確かママが……」

 釣り上げた! 五月がそう感じた瞬間。

 万里がスッと主を肩から降ろしたかと思うと、両手を回して抱き締める体勢へと変化した。

 これは? いったいなんのつも――。

「はいはい。お嬢様の話を聞いてあげようなんてさぁ。やっぱ坊ちゃんはお優しいねぇ~。こりゃあもう、あたいったら坊ちゃんを感動で抱きしめたくなっちまったよぉ! あっ、ははははは」

「はい!?」

「なにいっ、万里?」


 あまりにもくだらない理由。それをさもらしく・・・声に出して、万里が巨大な双丘に主の顔を押しつけて抱きしめ始めた。


「おいっ、やめっ、暑苦しい胸を押し当てっ、万り――――むぎゅう」


 わずか数秒。その豊満な圧力に屈したらしく、主は口から魂がはみ出んばかりの状態と相成った。


「なあっ!? ば、万里さん、貴女!?」

「あっちゃあ~、いやいやいやいや。ざぁ~んねん。やっぱうちの坊ちゃんは少し体調が悪かった・・・・・・・みたいだねぇ。こりゃあ申し訳ないじゃなぁ~い」


 これ以上無い程わざとらしく。残念そうにいやらしげな笑みを浮かべ、万里が断りの文句を並べ立てる。

 あまりにも露骨で、あまりにも効果抜群の対応。五月は絶句する。


「くっ、貴女と……貴女と言う方は……」

 思わず拳を握りしめてしまう。呟く声にも震えが混じる。

「ありゃりゃあ、どうしたんだぁ~い、お嬢様? あたいとしちゃあ、これ以上話がこじれないように気を使ったつもりなんだけどねぇ~」


 斜に構えた万里が片目をつむって、ニヤけた表情を向けてくる。

 はらわたが煮えくりかえる心地とはこのこと!

 だが、こうなった以上は頭を切り替えるしかない。

 朝日のためにも冷静さを失ってはならない。

 五月は大きくため息を吐いて、腹をくくった。


「はあぁ…………わかりました。仕方ありませんわね! これもわたくしたちの仕事の一環。我々を狙うのでしたらお好きにどうぞ。ですが…………」

 キッと決意を込めた眼差しを万里に向ける。

「もしっ、万が一にでも、朝日様に指一本触れようものなら――五月雨の家を敵に回すものとお覚悟下さいませ!!」

「ははっ、おお怖い怖い! お嬢様にそこまで言わすたぁ、さすがの色男だねぇ。あたいも一度あやかりたいもんだよぁ。じゃあ、今度は話し合い・・・・の場で、ゆっくりとねぇ」

「もはやわたくしからは何もありませんわ。ごきげんよう!」


 五月はバッサリと会話を切る。

 これから、今後の対策を考えなければならない。

 それよりも、まずは無事朝日を家へ連れて帰ることが先決。そして、朝日を不安にさせてもならない。


「さあ皆様。お待たせしてしまいましたわね。それでは家に帰りましょ――――」


 五月が気を入れ替え、明るい声色に変えて振り返ったその先では……。


◇◆◇


「ああん? 誰がチビ猫だ!? このメガネチビっ!!」

「何を言ってるですよっ! どう見てもそっちのがチビですよ! それより何より、その貧相な平面体の身体を少しでもマシにしてから言うですよー!!」


 朝日たちになんとも言えない目で見守られながら、梅と月美の罵りあいが発生していた。

 額をすり合わさんばかりに張り合っている二人。

 ちなみに梅は149センチ、月美は154センチと平均より大幅に低身長である。


「んだとぉ? けっ、ボサボサ頭のちんちくりんの分際ぶんざいで、偉そうにぬかしてんじゃねぇぞ?」

「ちっ、ちっ、ちんちくりん!? ふんっ、チビ猫の頭にブーメランが突き刺さってるですよ! それに月美はスタイルにはじし――」


 賑やかなやり取り真っ最中の二人。そんな月美の後ろにソッと忍び寄よる影が一つ。


「んー、梅ちゃん。月美つきみん意外と胸ある。これは84のCと見た」


 突如、背後から月美の胸を深夜子がわしっと両手で掴む。

 そのままスーツ越しに、周辺も含めてわさわさと撫でまわした。


「きいぃやあぁぁぁっ!? なっ、何をするだァーッですよっ! 変態っ、変態がいるですよ――――って、なんでサイズが正確にわかるですよぉ!?」

「なにいっ!? 妹者いもじゃ、それは初耳でござるぞ?」

「なんで姉者が気にしてるですよ!?」

 どうやら姉の威厳に影響が出たらしい。

「ふむふむ、月美つきみんは脱いだらエロ凄いタイプ。むしろ、チビよりはビッチ」

「余計な追加情報を公開するのはやめるですよっ! 何しれっと月美をディスってるんですよっ、この変態!」


 身体をかばって転がるように深夜子から離れ、月美が喚き立てる。


「べっ、べべべ別に胸がでかけりゃいいってもんじゃ――」


 こちらは地味に動揺を見せている梅。今度はその後ろに、ススっと深夜子が忍び寄る。


「むにむに。うーん、梅ちゃんは72のA、これはマニア向け」

「うっきゃああああああああ!?」


 ちょうど朝日の真正面に位置していた梅。

 ジャケットは脱いで肩に掛けており、カッターシャツ姿であった。


「みっ、みみみ、深夜子てっめえ! 人の身体を勝手に触ってんじゃねぇよ! つか、サイズをわざわざ口に出す必要ねえだろ――――って、おい、朝日? なんだよその顔は……」

「えっ? あっ、いや。な、なんでもないよ。あはははは」


 服の上からわずかに透けて見える梅のスポーツブラ。

 まるごとむにむにと小ぶりな胸を触られている様子は、朝日にとって中々の眼福であった。


 余談だが、深夜子の行為は日本基準で、男性が男性の股関をまさぐり『お前のそれ……すごく大きいじゃないか……』とやっているのと大差なかったりする。


 以上。一連の流れに、五月さんの血管はもちろんぶち切れんばかりに脈動中だ。


「あっ……あっ……貴女方は、バカですのおおおおおおおおおおおっ!?」

「あっははははは! お嬢様も面白いのを連れてるねぇ? さて……おら! 馴れ合ってねぇで、全員引き上げだ! 次は楽しい話し合いになるじゃない」


 メガネにヒビが入らんばかりの勢いで吠えたける五月をよそに、万里がメンバーに撤収を促す。

 タクティクスの面々は、ぞろぞろと主を担いだ万里の後に着いて行く。

 出口近く。花美と月美が一番最後に残って、朝日たちへと振り返った。


「覚えてるですよ。チビ猫と変態!」

「ふふ、次に会うときは敵同士……楽しみでござるのう」

「けっ、それはこっちのセリフだメガネチビ! てめぇら、たっぷりと後悔させてやんぞ」

「ふん。威勢だけは人並みですよっ! バーカ、バーカ、ちーび、ちーび、ですよー」

「あっ、月美つきみん。エロい紐パンはくのはちょっとどうかと思った」

「なんでそれがわかるのですよおおおおおおっ!?」


 深夜子の測量手腕ハンドスキャナー恐るべし。


 なんだか真面目にやっている自分がバカに思えてくる。

 張っていた気が抜けそうな五月だったが、今後の対策が至急を要することを思い返す。

 朝日には愛想を振りまき、深夜子と梅の耳をおもいっきり引っ張りながらその場を離れる事にした。


◇◆◇


 帰り道。車の運転手は深夜子、助手席には梅が座っている。

 後部座席では、五月が朝日に男事不介入案件の説明をする、と同時にノートパソコンでデータ処理を始めた。


「しっかし、ただの心配性かと思ったけどよ……五月の言うとおりになっちまったな」

「うん。ちょっと驚き」

 正直、感心されても嬉しくはない。五月は盛大にため息を漏らしてしまう。

「はああぁ……最悪のパターンですわ。あの海土路様と万里さん……軽く悪夢ですわね」

「それで、五月さっきーどうするの?」

「とりあえずタクティクスのデータは今引っ張り出していますわ。本部への報告は深夜子さんにお願いしますわね。詳しくは家に戻ってからになりますわ」

「ん、らじゃ」


 今後の方針を決めるためには相手側のデータ。

 いや、何よりも万里の行動パターンを把握しなければならない。

 深夜子たちには当たり前のように説明をしているが、実はこのところ五月は個人の情報網とスキルをフル活用している。

 これはMapsとしてのスキルでは無い。総合情報商社である五月雨の実家で身に付けたものだ。

 中には違法ラインを越える物もあり、長らく封印していたのだが……愛する朝日の為なら使用に躊躇ためらいは一切ない。

 五月は尽くしちゃう系女子なのだ。


「あ、あの……みんな、ちょっといいかな?」

「ん。朝日君どうしたの?」


 しばらく黙りこんでいた朝日が口を開いた。

 元気の無い声ではあるが、何かを心に決めた。そんな、気持ちを伝えようとする意志が感じられる。


「あのさ……こんなことで深夜子さんたちが、あの人たちと戦ったりするかも、とか……僕にはちょっと理解できないんだけど。それに……きっと、ほんとは僕が謝ればいいんだろうけど……。でも、海土路君は警護官の女性ひとに酷いことをしたり、何よりも深夜子さんにあんな酷いことを言ったのが許せない」

「朝日君……」


 朝日は悔しかった。自分のしたことがトラブルを呼んだ。

 でも、それは到底許せるものでもなかった。

 

「だから、僕は、僕はあんな奴に謝りたくない!」

「……朝日」


 正直な気持ちを伝える。

 きっと深夜子たちに迷惑をかけてしまうだろう。

 自分にはそれを解決できる力はない。男のクセに情けない。

 彼女らに頼るしかできなくていいのか……葛藤が心をめぐる。


「その、なので……深夜子さん、五月さん、梅ちゃん。ごめん……僕のせいで……ごめん……役に立てないのが、悔しいよ。ごめんね……ぐすっ……うっ――」


 涙がこぼれそうになった。ああ、恥ずかしいな。

 朝日が謝りの言葉を漏らしながら思っていると、ふわり、と優しく抱きしめられた。


「五月……さん?」

「ああ……朝日様。お優しい朝日様。貴方は何も悪くはありませんわ。これはわたくしたちの仕事ですの。ご心配する必要もありませんわ。それに、こんな時の為に側におりますのに……ふふ、そんなことを言われてしまっては――」


 嬉しくも悲しくなる五月の甘くやさしい囁き、が、それとは別にぶちぶちと血管が切れるような音が聞こえてきた。


「深夜子ぉおおおおおおおおっ! ソッコーであのクソ野郎どもにカチコミいれっぞぉ!!」

「らじゃ、いくさが始まる。朝日君を泣かせる愚か者には血のむくいを!」

 ビキビキと顔中に血管を浮き立たせ、助手席から殺気をほとばしらせる梅に深夜子が呼応する。

「皆殺しだ……アイツら、どいつもこいつもぶっ殺してやっぞおおおおおおっ!!」

「ふっ、二十分あれば着く。もう奴らに明日を生きる資格は無い」

「「!?」」


 物騒なセリフを口にする梅に合わせて車が加速する。深夜子がアクセルを踏み込んだらしい。

 さらにはハンドルを切って、海土路造船のある湾岸区域に方向転換をしようとする。


「スッ、スッ、ストォーーーップですわあああ!!」

 

 五月が絶叫する。運転席ごと後ろから深夜子を羽交い絞めにした。


「貴女方は何を考えてますの!? Mapsわれわれ側から先制攻撃とか大問題の域を越えてますわよ!?」


 当然ながら『サラリーウーマンをなめんじゃねぇ!』と、ヤクザの事務所に突撃するようなマネは許されないのが公務員Maps

 専守防衛に徹せざるを得ないのが辛いところではあるが、怒りに任せて暴力に訴えたのでは、万里たちとなんら変わらない。

 蛇行する車の中、興奮して切れまくる二人をひたすらに説得する五月であった。


 ――そんな波乱の健康診断から一週間が経過した。


◇◆◇


 春日湊のとある料亭の一室。

 男事不介入案件について、第一回目の話し合いが行われていた。

 少し緊張した面持ちの朝日とスーツ姿の五月。それとは対照的に私服姿の深夜子と梅。


「これでは、交渉にすらなりませんわね」

「そうですかい? そりゃあ困りましたね……」


 十畳ほどの和風個室。

 軽食と飲み物が置かれたテーブルを挟んで開口一番、五月が正面の黒服たちに書類をひらつかせ、呆れたような口調でダメ出しをする。


 無論、これは五月の想定通りのシナリオだ。

 朝日側は朝日、五月、深夜子、梅の全員で出席しているのに関わらず、海土路主側は本人は欠席。

 どころか万里はおろか、花美と月美すら出席せずに黒服のみ、つまりは『その他大勢』のメンバーが代理で三人だけである。

 最初から相手は和解するつもりなどさらさら無い。

 示談条件も『朝日の謝罪、慰謝料二千万円、深夜子の解雇』と神経を逆撫でするのが目的の内容となっていた。


 そして、この先もシナリオ通り・・・・・・ならば、話し合いが破談になって料亭を出た朝日たち、いや、深夜子たちMapsメンバーに、近くで待機しているはずのタクティクスメンバーが襲撃をしかけて来るであろう。


「えと……あの……。ぼ、僕もこれでは納得できません」


 こちらも予定通り。

 ここで断りを入れる役目を終えた朝日が『こう言えば良かったんだよね? 間違ってないよね?』と五月に視線を向けてくる。

 あらかわいい。と、つい緩みそうになる頬を引き締め上げて、五月は話を繋げる。


「こほん。えー、朝日様もこうおっしゃっておられます。そも受け入れられる提案ではありませんわ。本日はここまで、ですわね」

「へい。そりゃあ残念ですね」


 お互いが予定調和。

 淡々と話し合いは進み、終了と同時に、朝日たちは先に席を立って退室をする。

 部屋を出る間際にすれ違った黒服の一人が、耳に付けたインカムに触れ小声で何か呟いているのを五月たちは見逃していない。


(深夜子さん、大和さん。打ち合わせ通りでよろしいですわね)

(らじゃ)

(へっ、任せとけってんだ)

 小声にアイコンタクトを加え、確認を取り合いながら出口へ向かった。


 この料亭は市街地より少し離れた郊外にある。

 駐車場は建物を出て裏手側、人通りも少ない。襲撃には最適と言うやつだ。

 駐車場へ到着したら、まずは五月が朝日に付き添って、先に車の後部座席に乗り込む。

 その後ろをあえて・・・少し距離を取って、深夜子と梅が車の運手席と助手席に向かって歩く。


「梅ちゃん。来た」

「おうよ。何人だ?」

「四人。あと車も来る」


 深夜子が視界の端に、交渉役の黒服とは別の、襲撃役と思われるタクティクスメンバーたちを捕らえた。

 さらには大型の箱バンと呼ばれる白のワンボックスカーが、猛スピードで駐車場へ向かってくる気配も感知。

 その猛禽類のような目をさらに鋭くして、チラリと後ろを確認すると――。


「んー、狙いは梅ちゃんで確定。よろ」

「俺が当りくじかよ。やったぜ! へへっ、悪いな深夜子」


 それぞれの思惑が交錯した激突が、今始まろうとしている。

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