第21話 男事不介入案件
朝日は周りの動揺に目もくれず、床にへたり込むメンバーへと駆けよった。
「大丈夫ですか? ごめんなさい。僕のせいで缶を落としてしまったんですよね?」
彼女の手を取り、目を見つめながら謝罪を口にしている。
「ふ、ふええええっ!? 神崎様が私の前に? ――――って、おっふ! て、てててて手をおぉお!?」
彼女は、自分の身に何が起こっているのか理解できなかった。
そう。つい先ほどまで、いつものようにヘマをして主に怒られていたハズだ。
なのに突然。自分には、きっと、一生縁が無いであろうと思っていた美少年が、憧れの神崎様が、私の手を握って声をかけてくれている!
ふわああああ。手、やわらかい、あったかい……はひいっ!?
彼女の理解が追いついた瞬間。
湯沸かし器にでもなったかのように、顔から蒸気が噴きでいた。
「あの、額から血が出てますけど……大丈夫ですか? 痛くないですか?」
「え? へ? はへっ!?」
やっぱり理解が追いつかない。
気がつけば、彼女は神崎様に背中を支えて寄り添そわれていた。
かぐわしくも甘い匂いが鼻をくすぐる。
あまりのことに惚けていると、額の傷口にそっとハンカチをそわせて、やさしく血をぬぐわれた。
神崎様? これは天使? 天使様なの? 私……もしかして死んじゃったの?
「はへぇ……ふへぇ……むへぇえええええ」
「えっ? ちょっ、ちょっと大丈夫――」
あまりの幸福感に彼女の思考は混乱していく。
これはもう無理。焼き切れんばかりに脳が、脳が震える!!
「あっ……あっはあああんっ! あわわわわわわわわわ」
「――たっ、大変! み、深夜子さん。この
その変化に驚いた朝日が、心配から彼女の身体をぎゅっと抱きよせる。
「は、はぐ? はぐうっ!? ――――くぎゅうううううううう!」
「えええええっ!? し、白目をむいて、これはまず――――あああっ、く、口から泡もっ!? これ、もしかして缶の当たり所が悪かったんじゃ? だ、誰か、救急車を!」
ちょっと、この人死んじゃうんじゃないかな? 朝日があわてふためくも――――深夜子、花美、月美たちの視線は微妙。
光の消えたジト目で生暖かく見守っている。
「朝日君。それは……そっとして置くべき。ただちに健康には影響しない」
「なんて言うかですよ……これはひどいものを見たですよ」
「こりゃまた……恐るべき天然の傾国にござるのう」
こうして、幸せそうに? 意識が天に召された彼女。
羨ましそうにブツブツと呟く他のメンバーの手によって無事退場となった。
そんな間に、当然ながら主の怒りは収まるどころか悪化の一方。その矛先は朝日へと向かう。
「おいっ! キッ、キミがボクに暴力を振るったんだからな――」
(ああっ神崎さまっ! あのお優しさ、まさに男神!)
「か、覚悟しておけよ! ママに言いつけてやるぞ――」
(ヤバい。わたしも神崎様に気絶させられたい)
「それだけじゃない! キミのMapsたちを万里に潰させてやる――」
(濡れた! これはマジ濡れた!)
「もう謝る時になってから、泣いて後悔しても遅い――」
(あれこそが天使……いえ、大天使カンザキエル様! 爆、誕!)
「だ、か、ら、うるさいって言ってるだろおおおおおおおっ、おまえらああああああっ! なんで毎回ボクの後ろで、気持ち悪い話をするんだあああああああっ!!」
背後のメンバーたちへ主の怒号が響くと同時――。
「ははっ、こりゃあ賑やかだねぇ~? ねぇ、主坊ちゃ~ん。何か楽しそうじゃな~い!?」
万里がその場へ現れたのに続き、複数の人影が飛び込んできた。
「朝日様あああああっ、ご無事ですかっ!? 五月がっ! 貴方の五月が参りましたわっー!!」
「くそっ、デカ蛇女。帰り道までちょっかいかけやがって……あっ、おい朝日! ……んだ? ……あちゃー、こりゃいかん感じだな」
それぞれの反応。五月、梅も待合室へと合流。
すぐさま主が、待ってましたとばかりに万里へ詰めよる。
「おい万里! ちょうどいい。アイツがボクに暴力を振るったんだ。そこの取り巻き連中を潰してボクに謝らせろっ!」
自分を指差してくる主に、朝日も顔色を変える。
「ちょっと! 何を言ってるのさ? 海土路君の方こそ謝ってよ。君だって、深夜子さんに酷いこと言ったじゃないか!」
「はい!? あ……朝日様? これは一体?」
「おいおい、朝日が怒るって珍しいな……? 深夜子。こりゃあどういうこった?」
穏やかではない朝日たち二人の反応とやり取り。
五月と梅は、戸惑いながらも即座に朝日をかばうように側を囲む。
そんな五月たちを尻目に、一方の万里はニヤニヤと余裕ありげな笑みを浮かべ、詰めよる主をガシッっとだき抱えた。
「ん……あれ? おっ、おい万里!? 何やってんだ。ボクの言うことが聞こえなかったのか? おいっ」
お尻部分を手でがっちりとホールドされ、主は肩の上でジタバタとしながら文句を言う。
しかし、万里は軽く笑って受け流し、
すると、渋々ながら主が大人しくなる。そのまま五月の前まで進み出て、万里がその巨躯をさらす。
「……どうかされまして? 万里さん」
「いやなぁに、まあ、経緯はともかくさぁ。ウチの坊ちゃんと、そこのオタクの美人さん。ちょっとよろしくない状況じゃない」
「はい? いきなり何をおっしゃら――」
「こりゃあ『
その一言で五月の表情がこわばる。
「なっ!? そ、それは――いえ、そうですか、そういうつもりですか……万里さん。貴女という人は……相変わらずですわね」
ニヤリといやらしい笑みを見せる万里。苦い顔でにらみ返す五月。
二人の視線が、火花を散らした。
『男事不介入案件』
本来、社会の治安は警察によって維持され、個人間の争いは裁判所――司法によって解決される。
だがしかし、この世界において、貴重な男性同士のトラブルは非常に厄介な案件である。
過去の様々な事例から、警察と裁判所はだんだん介入に消極的となり、それを問題視した国会による審議が行われた。
ところが、『あーもう、めんどくせぇ。これは男性保護省と男性権利保護委員会の仕事ね! お前ら今日から頼むわ。件数も少ないし、いいよねマジで!』などと、とんでもない丸投げを結論にしてしまう。
結果、
簡単に例えると自動車事故の保険会社のようなものだ。
俗に言う『暗黙の
本来は男性同士のトラブルと言っても、話し合いで解決できる場合がほとんどをしめる。
しかし、豊かな社会が逆に仇となった。
極一部。財力と社会的な地位を持つ女性たちが、蝶よ花よと育てた自身の男子たちが例外になったのだ。
皇帝の如く、唯我独尊に育ってしまった彼らのトラブル内容は日々エスカレート。
最終的には、警護官たちによる力と力のぶつかり合いにまで発展。
これが社会問題となり、再び男性トラブルは国会で審議されることになる。
ところが、ここでまたしても『んー、まあ、それで男性が納得するならいいんじゃない? ともかく死人は出ないようにしてね! 以上。たのむわ』な結論に至る。
ツッコミどころ満載であった。
こうして、この問題は現代社会に根付くことになる。
それゆえMapsを筆頭に、男性警護官は戦闘能力を重視して評価されるのである。
◇◆◇
さて、場面は武蔵区男性総合医療センターの待合室に戻る。
ちょうど梅がピキピキと顔中に血管を浮き立たせ、万里に飛びかからんばかりの勢いだ。
「不介入案件だとぉ? ……このデカ蛇女。いい度胸してんじゃねぇか! 今すぐぶっころし――」
ずごん! 鈍い音と同時に、梅の登頂部へ深夜子の
「梅ちゃん。
「――むきゅう」
拳を振り上げたまま、梅は頭から煙を出してダウン。深夜子はそそくさと朝日の
「オホホホ……し、失礼しましたわ。コホン……」
転がる梅を横目に、五月は愛想笑いと咳払いをしてから表情を引き締めた。
「それで万里さん? 貴女は男事不介入案件とおっしゃいますが、今、ここにはお互いの当事者。それに加えて警護官も揃っておりますわ」
五月は考える。確かに万里にも一理はある。
男事不介入案件と主張されても、不自然ではない状況だ。
だからと言って、はいそうですか。などと受け入れるつもりは微塵もない。
今はトラブル発生直後、さらにお互い交渉人員は揃っている。
示談を望めない状態ではないのだ。
何より朝日の為にも、平和的な解決が理想。この場を逃す手はない。
「あぁん? その必要はないだろぉ、お嬢様。今はお互いが謝れって状態だからさぁ~、後日って話でいいんじゃな~い?」
「それも一つの考え方ですわね。でも、今だからこそ可能なことがありますわ。海土路主様……でいらっしゃいますわよね?」
万里が渋るのは想定内。五月はさらりとかわして、担がれている主へと話題をふった。
「ん、なんだよオマエ? わかっているのか。ボクは暴力を振るわれたんだぞ!」
「ええ、それはとても残念なことですわ。ですので、まずは事情の把握をさせてくださいませんか? ああ、申し遅れました。
万里の狙いはわかっている――五月はそのやり口を知っていた。
Maps時代、万里が起こした数々の暴力沙汰。
必要ないと思われる案件ですら、強引に男事不介入案件に仕立てあげる。
それから交渉時に難癖をつけ和解決裂させて、最終的に実力行使で相手を叩き潰す。
過去、ほとんどがこの手口だった。
闘うことに快感を得る戦闘狂、それが彼女。そして、万里は強い。
元SランクMapsの肩書きは伊達ではない。
仮に五月自身が一対一で闘えば、手も足も出ずに敗北するであろう。
なら、深夜子と梅であればどうだろうか? とも思案する。
短い間だが行動を共にして、あの二人の人間離れした強さを感じてはいる。
それでも! 朝日のリスクは最大限回避するべきである。
よって、主を交渉のテーブルに引きずり込むため、まず自分に興味を持たせることにした。
五月と万里、それぞれの思惑が水面下で衝突をはじめた。
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