第1話 寝待深夜子は仕事がしたい
男性保護省本庁舎、立派な二十階建て高層ビル。その五階にある『特務部警護課』の一室。
深夜子の眼前には書類が山と積まれている。現在、それとにらめっこの真っ最中。
「ふああ……むう、今日も暇。それにしても、毎日ひたすら書類チェックして
あくびをかみ殺すと同時に、そんなぼやきが口をついて出てしまう。
デスクチェアに背をもたれて、きっちりと切り揃えられたミディアムストレートの黒髪を、無意識に左右へと規則正しく揺らしながら考える。こんな仕事をする為に、Mapsになったのではないと――。
『国立男性保護特務警護官養成学校』――競争率は常に
仮に合格しても、待っているのは在学中に半数が脱落すると言われる”地獄の
しかし、自分の置かれた現実の前に、その過程はなんの意味もなさない。気を入れなおすために、ふんっと伸びをする。返す動きで机に向かい、再び大量の書類チェックを進めようとするが……。
「ん?」
デスクの
壁の時計をながめると現在十一時三十分。昼休憩の時間も近い。ひょいとスマホを手に取り、発信元を確認して深夜子は少し眉をひそめた。仕事が増えませんように、と願いつつ通話マークをタップする。
「こちら判子の達人」
『ふむ。今日のノルマを三倍にして欲しいのか?』
「大変失礼した。こちら寝待深夜子」
『やれやれ……まあいい。突然ですまないが、急ぎ私のところへ来てくれ。業務は中断してかまわん』
「ん、らじゃ」
なんの用だろうか? まあ、
それからデスクワークで少しこった肩をほぐして席を立つ。エレベーターに乗りこんだあとは、軽く身だしなみを整えて準備完了。目的の階へ到着するのを待つだけだ。
――七階へ到着。
しばし廊下を進み『警護課長室』の前で立ち止まる。
明らかにノックが必要な場所、という思考は深夜子に存在しない。さらりと扉を開け放ち、ズカズカと部屋に入って声をかけた。
「はーい、呼ばれて飛び出て深夜子さーん! やっちー、もしや独り飯が寂しいから、今日はあたしとお昼をいっしょ――うごおっ」
深夜子の脳天に衝撃が走る。背後から拳大の何かが頭頂部にめりこんだ。いや、間違いなく拳だ――鈍い痛みが頭に、鈍い音が脳内に響く。
「このアホ! 部屋に入る前にノックくらいはしろ。それと私のことは課長をつけてと呼べといつも言っているだろうが!」
衝撃が残る頭を手で押さえながら、深夜子は振り返る。そこにはパッと見三十代前半。黒髪を後ろで束ねた大柄な女性が拳を握り、自分を見下ろしていた。
身長166センチの自分より10センチ以上高く、一回り以上大きな体格。少し筋肉質な身体つきだが、出るとこは出ていて健康的なプロポーション。キリッと整った眉にわずかに下がり目で知的な雰囲気の美女。彼女の名は『
ちなみに、この世界の女性の平均身長は170センチ。男性は160センチである。何十世代にもわたって保護され続けてきた男性は、女性にくらべて身体能力も弱く、体格も小柄になっているのだ。
「失礼した。これは反省」
「はぁ……毎度のことだが、お前がS
矢地はジトッとした視線を深夜子に向ける。毎度のことだが、何度注意しても少し期間があけばこんな感じだ。
「ふっ……逮捕術、格闘術、射撃術。三冠!」
今度はならばと言わんばかりに、深夜子は殴られた頭をさすりながら、残った片手でサムズアップ。己の優秀な学校卒業時の実績をアピールしてくる。まったくコイツは……。
「ああ、そうだな。史上最年少の十三歳でMaps養成学校に合格。実技はすべて首位、座学でも男性学は上位常連。だのに一般常識欠如のアホっぷりを披露して、現在
「げふぅ! そ、それは言わないで……心に、心に来るから」
せっかくなので
そのSランクが日々デスクで書類業務など、異常と言わずしてなんと言おう。
「まあ、それだけが理由……とは言わんのだがな」
矢地はちらりと深夜子に
「むう、あたしの目は生まれつき。いわゆる不可抗力」
それは心外、と深夜子は口を尖らせた。
「うむ、それはわかっているさ――」
と言ってはみるが、事実深夜子の目つきはとても怖いのだ。
スレンダーながらスタイルも悪くなく、総合的に見れば美人に分類される容姿なのにだ。まさに天は二物を与えず。いや、身体能力的に軽く三物以上持っている彼女。それを天が調整をしたのではなかろうか? 真相を知るよしもないが、実に残念な話だと矢地は思う。
「――
そう、
この世界の男性は管理される側である。社会の運営は、常に人口の大多数を占める女性によって行われてきた。
男性は権利が確立する近代社会まで、宝石や貴金属と同等であり、それでいて愛玩動物であり、はたまた性奴隷だったのだ。世の中では女性に対して、大半の男性が何かしら嫌悪感や恐怖感をいだいているのが現状だろう。
矢地はふと思い返す。過去の深夜子と
『また機会がありましたら……』
『ちょっと、常にいっしょには……』
『この人怖いです……』
『何人か人を殺してますよね……?』
――散々な結果ばかりだった。
何度かは面接の場を持たせようと、努力をしているらしい場面を見かけたこともあったが――。
『んー、でもあたしSランク(じー)』
『はうっ……で、でも』
『考え直したほうがいい(じーー)』
『す、すみません。ほんと……む、無理なの……で』
『ならば致し方なし!!(くわっ!!)』
『ひいぃーーーーっ、ゆ、許してっ、殺さないでーーっ!!』
『あれ?』
――このザマである。
あとで聞いてみれば『えーもーそんなー、あたしってば怖くないですよー(きゃぴるんッ)』と、深夜子なりに媚びて萌え萌えアピールをしたつもりだったとの事。さすがにこの時ばかりは、無言で肩に手を置いてやるのが精一杯だった。本人はめげずに努力しているようだが、もちろん結果はお察しだ。
そして、天に調整されたらしく深夜子にはもう一つ欠点がある。
「それで……その三冠の深夜子さんは、前回の面接がどうして失敗したと考えている?」
回想を終え、矢地は話の続きとばかりに、顔をずいっと深夜子へ近づけながら質問を投げかけた。
「んー、
てへぺろっ! と効果音でも入りそうな勢いの
これだ。
矢地はこめかみに血管が浮かぶのを感じる。同情は憤怒によって塗り替えられる。流れるように右手を差し出す。深夜子の顔面をガッチリと捉え、思い切り力を込めた。
「そ、の、ア、ホ、さ、加、減、がいかんと言ってるだろうがぁーーーっ!」
「ほぎゃあああああああああ! やっ、やっちーのアイアンクローはダメえええ。死ねる。それ死ねるからーーーっ!」
「課長をつけろと言ってるだろうがああああああ!!」
ギリギリと顔面に指が食い込み、深夜子の頭蓋骨が音を立てて
「ふんげえええええ! やっ、ややや
ご覧の通り。空気が読めない上に、この
自身の外見にコンプレックスがあり、それを
◇◆◇
お説教タイム終了。
「で、――深夜子。お前を呼んだのは他でもない。本日付けで男性警護任務に着任してもらう」
「ふえっ!?」
突然の言葉に深夜子は固まってしまう。矢地から差し出されたのは辞令の書類であった。
「聞こえなかったか?
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