噛み砕いた想いは

「今日も言えなかったよ」

帰宅後、彼女は困ったように眉を寄せながら鞄を床に放り投げた。

ベッドに沈みこむように体を投げ出すと、大きく息を吐く。

僕は無力だ。

下から彼女を見上げ足にすり寄ると、彼女は上体を起こして僕の背中を撫でた。

「おかえり」

「ふふっただいま」

抱き上げられ、鼻と鼻でキスをする。

「今日も私の話、聞いてね?」

猫なで声で愛を囁くように呟く彼女は、僕が愛する人で世界の全てだった。

「今日はサークルで先輩が話しかけてくれたの。私がミスしたところの指摘をしてくれたんだけどね……」

彼女はいつもみたいに返事を聞く前に、夢見心地に話し出す。

だから、僕もいつもみたいに彼女の向かいに腰を下ろして耳を傾ける。

時々、相槌を打つと、彼女は僕を見て喉をコショコショと撫でた。

「その時、先輩に頭を撫でてもらって……嬉しかったなぁ。それからね……」

彼女の話は全て先輩の話。

嫌でも分かってしまう。

僕の愛しい人は“先輩”が好きなんだ。

彼女は今日も楽しそうに先輩の話をする。

「……でもね」

ふいに彼女の顔に影がさした。

「やっぱり今日も言えなかった」

寂しそうに切なそうに、彼女の言葉が震えた。

彼女は今日も想いを告げることはなかったのか。

僕は「良かった」と思いながら、彼女を慰めるために体を擦り寄せた。

「励ましてくれるのね……ありがとう」

優しく優しく彼女を傷つけないように。

彼女の好きな僕の毛並みで彼女を癒す。

「そんな先輩やめて、僕にしときなよ。僕は永遠に君のものだよ」

「ふふっありがとう。明日こそ勇気を出してみるね」

思いは言語にならず、彼女は僕の真意に気づかない。

なんてもどかしい。

「あなたは優しい子ね」

良い子良い子と背中を撫でられ、僕は彼女の膝の上でただ喉を鳴らした。


「にゃー」


僕の鳴き声は彼女に届く。

彼女は僕の声を聞いて笑顔になる。

でも、僕の鳴き声は彼女に想いを届けることはない。

僕は彼女に片思い。

彼女は先輩に片思い。

こんなに近いのに。

こんなに遠い。

苦しいけど温かい、近すぎる君との距離を僕は僕の思うままに行き来する。


大好きだよ。愛してるよ。僕は君だけの僕だから。だから……だから……


永遠に届くことのない想いは、僕の心の中にある。

それは思ってはいけない言葉だった。

それは届けてはいけない言葉だった。

だから、僕は告げてはいけない想いを噛み砕いた。



……だから、君も僕を愛してね……

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