Never meet ever meet
大人になったら何か変わるのだと思ってた。
だけど現実は何も変わらなくて、どんなに環境が変わっても私と言う人間は変わらないから結局、何も変わらない。
この世界は私にとって酷く退屈なままだ。
繰り返される日常に心がすり減っていくようでそれは酷く虚しさだけを覚えていく。
今日も職場でやらかしたミスをヘラヘラと媚を売りながら自分で片づけて帰っている。
疲れたなって心の中でそっと呟きながら電車をホームで待つ。
いつもより遅い時間帯だからかホームには人が少なくていつもより酷く涼しかった。空を見上げる余裕も有って白い息を吐きながら上を向く。
夜なのに、夜だからこそ町は明るくて星は見えない。
電車の中も空いていてだから珍しく席に座りながら帰れた。
暖かな空調と電車の振動、気持ち柔らかい座席が私に眠気を催させる。
軽く目を閉じて背もたれに体重を預ける。暫く電車に揺られて数少ない人が出たり入ったりを繰り返しているのを空気の流れでぼんやりと把握している。
そうしている内に本格的に眠りに落ちてしまう。
最後に座った人からは何故か懐かしい香りがした。
私が通っていた高校の弓道場に私は居た。いつの時代だろう?とぼんやりと思ったけど射場に桜が咲いていて、皆が袴を着ていて先輩が居ないのを見て高三の春なんだなって漠然と理解した。
ピンって鳴ってパンッと弾けた音がした。
音がした方を見るとその場に立っていた女性が弓を下ろしていた。
確か名前は
なんて風に言ったけれど彼女の名前は今もはっきりと覚えている。
彼女のことだけは忘れはしない。
いつだって。
いつまでも。
私は彼女が弓を引くその姿に憧れていたから。
私のつまらない世界で彼女だけは酷く輝いて見えていたのを今でも思いだせる。
だからこそ、近づけなかったのも。
「流石麻耶だね」
なんて風に名前も知らない同級生が彼女に話しかけていた。
それを見て羨ましいと思ったのも覚えている。結局、部活をしていた時は彼女とはろくに話すことも出来なかった。
元々、私の部活がそこまでフレンドリーじゃなかったのと、私が勝手に気後れして話しかけることが出来なかったから。
場面が反転する。
夢だから時間がぐちゃぐちゃに入り混じって断片的に場面が移り変わる。夢だと自覚しても、目覚めることは無い。
冬の夜空だった。
「おつかれー」
そう言って麻耶が私の頬に缶コーヒーを当ててきた。
「あっつ」
私がそう言うと彼女は笑って答えた。
「買いたてほやほやだからねー」
「買いたてって何?」
「さぁ?直前まで自販機の中に有ったってことじゃない?んで、その影響で熱くなってたってこと」
「いや、そりゃそうだろうけどさ。もっと冷ましてからやってよ。火傷して傷跡になったらどうしてくれるの」
「えー。そこまでじゃないと思うけど?まあ、そうなったら私がもらってあげるよ」
「何、言ってんの?馬鹿なの?」
「あはは。照れてる照れてる。可愛いね」
「はいはい。ありがとうさん」
「うわ、反応雑w」
「疲れてるんだよ。ていうか御影、元気すぎない?マジで」
「無駄に体力だけは有るからね」
とか言って彼女は笑う。
冬だった。
痛いくらいの冷たさが私を刺す。
部活を引退して私は塾へ通いだした。部活の結果としては可もなく不可もなく。なんの物語も無いような終わりだった。
そして当たり前のように私は塾へ通いだした。そこで御影と出会って、同じ授業を取っているのと、二人とも自習室をよく使うことから結構話すようになった。
実際に話してみるとそこまで怖くもなくて、最初は緊張していたけれど次第に慣れた。
部活でしか繋がってなかった私達が部活が終わってからようやく話始めたと言うのは少しだけ皮肉に思えたけれど。
勉強の話とか、学校での話、部活の話、どうでも良い雑談、そういうのを飽きもせずに話していた。
こうしてみると色々と波長が合っていたのだと思う。
会話のテンポとか、境界線とかそう言う何か。
二人の時間はひどく居心地が良かった。
彼女がどう思っているかは分からないけれど、私にとっては楽園にすら思える時間だった。
だからこそたまに見える違いがより恐ろしく思えたのかもしれないけれど。
話は戻る。
「帰ろっか」
そう口にしたのはどっちだったか、ありふれてる光景でだから、覚えてなかった。
いや、その日はありふれてはいなかったのだけれどそこだけは抜けていた、と言うべきか。
その日、私達は珍しく進路の話をした。夏休みに交流が始まった癖に冬休み直前までしてなかったのだと思って少し驚いた。
「将来、ねぇ……取り敢えず大学に進学じゃない?」
「取り敢えずって。大分適当じゃない?」
「そうかな?ここに居る人ってそんなもんじゃない?取り敢えず高校入って、塾かよって、大学行って、大人になって就職する。そんな風にしか考えてないよ。私も含めて、だけどね」
「いや、どこの大学に行くのって話。塾に居るんだからそりゃ大学には行くでしょう?」
「あぁ、どこの学校ってこと、か。んーどこにしようかなぁ……って悩んでる」
「……まだ決めてないの?」
「学部だけは決めてるけどね」
「どういうの?」
「内緒」
「えー、何それ。良いじゃん教えてよ」
「ま、そろそろ踏切だし、少しは自分で考えてみてよ」
そう言われてふと周りを見ると私と彼女の帰宅の分かれ道である踏切が見えた。
そんな事にすら気付かないほどに会話に夢中になっていたらしい。
踏切の前に着くと彼女が振り返った。
カンカンと特徴的な音が聞こえた。
「そう言えばさ――――」
電車が通過する。
彼女のスカートが、長い黒髪が、風に靡く。
その姿が美しくて思わず息が詰まる。
彼女の言葉は聞こえない。
彼女が口を閉じる。
「あ、ゴメン。今なんて言ってた?ちょっと聞こえなかった」
そう言うと彼女は唇を軽く噛み締めて、顔を歪めて言った。
「何でも無いよ」
その様子は明らかに何でも無い訳は無くて、けれどそれがとても綺麗でだから何も言えなかった。
次の日からは何事も無かったかのようにいつもどおりの会話をし続けていて二度と進路の話をすることも無かった。
多分、受験期に一番話をしたのは彼女だったけれど、一番心の距離が離れていたのも彼女だったとも思う。それは当たり前のようにありふれているけれど、唯一無二の関係性だ。
そして、私は彼女がどこへ行くのかすら分からないまま私たちは卒業して、塾を辞めた。
最後まで、結局、連絡先すら聞けないまま私達は終わりを迎えた。
まるで映画のようにその映像が流れていって最後に桜吹雪の中で振り返り笑う彼女が「さようなら」と言って手を振ったところで目が覚める。
二人の終わりが夢の終わりだ。
「終点ー。終点ー」
アナウンスが聞こえる。
ああ、寝過ごしたなあ、と思うのと同時に顔に暖かさを感じた。
びっくりしてすぐに頭を起こしてそこでようやく隣の人にもたれかかってたのに気づいた。
「あ、ごめんなさい」
そう言うと隣の女性は笑って言った。
「別に大丈夫だよ。
「え?」
柳栞、それは私の名前で、呼ばれた私は思わず息が詰まりそうになった。
私の名前が呼ばれたこと、ではなくてその声が懐かしくて、愛しくて堪らなかったから。
「久しぶり。御影」
私は、喉を震わせて必死にその一言だけを発した。
「取り敢えず、降りよっか」
そんな風言って彼女は私の手を掴んで電車から降りた。
一気に体が熱くなったけれど、終点に着いたことを思い出して着いていった。
「久しぶり、とすら言えないほどに時間が経ったよねえ」
と彼女が言った。多分六年とか、そのくらい?と。
私の手を掴んだ指を唇に当てて少し考えるようにして言った。
その唇は薄いピンクで私にはとても綺麗で美しく見えた。ドギツイ赤じゃなくて淡いピンク。完全に私の趣味だけれど、きっとそれは偶然だ。けれどそう言う所で私達は噛み合っていた。
「ところで柳も最寄り駅ここなの?」
私が見とれていると彼女はそう聞いてきた。
「え、あ、いや違うんだけど…… 」
完全に彼女のオーラに当てられていた私はそんなキョドった反応をした。
「じゃあ、完全に寝過ごしてたわけだ。可愛いね」
何と言うか少し恥ずかしかった。
「起こしてくれたら良かったのに」
「えー。折角だから寝顔を眺めてたんだよ。可愛いなあって」
「性格悪くない?」
「黙って枕役をしてあげてた人に向かってその言い草は無くない?」
「完全に下心丸出しだったじゃん……」
「まあね」
なんて風に気軽に話を続ける。
でも終電過ぎてるんだよなーと思う。
「終電過ぎてるけれどどうするの?」
電光掲示板に向けた視線から何を考えているか悟ったのだろう。御影はそう聞いて来た。
「どうするって言われてもなあ、終電過ぎてるしタクシーで帰ろうかなって。結構、金がかかっちゃうからあんまりやりたくないんだけどね」
「だったらさ。今日、私の家に泊まっていかない?私一人暮らしだから別に迷惑かからないし、明日は日曜だからさ。休みでしょ?」
「え、いや、でも」
「あ、もしかして明日朝早かったりする?それか、誰か家で待ってる人居たりする?」
「別に居ないけどさ」
「だったら良くない?」
グイグイと御影は迫ってきて思わずうん、と頷いてしまう。
じゃ、それでと言って彼女は私を車へと案内した。
彼女の運転に揺らされて私は彼女が過ごす家へと向かった。
車内は彼女と同じ柑橘系の爽やかな香りがして本当に彼女の家に向かうんだなって実感が沸いてきた。
家にたどり着いた私は彼女に先導されて部屋に向かった。
オートロックが着いているマンションですごく豪華だった。物珍しそうに見渡していると恥ずかしそうに頬を染めてそんな風に見ないでよ、と言った。
「お父さんがうるさくってさ」
そう言ってはにかんだ。
彼女が自分の父をお父さんと呼ぶ、そんなことすら私は知らなかったのだ、ということを思い知った。
そんな感傷に浸っていると「何ぼさっとしてんの」と御影に手を引かれる。
そして部屋の前に着いて御影がドアにカードをかざした。するとカチャリと音がして扉が開いた。
まあ、適当に座って、といって彼女はタンスから適当に服を出して風呂場へ向かった。
シャーと水が流れる音がした。勝手にテレビをつけるわけにもいかず、無音のリビングにシャワーの水音だけが流れる。やけに生々しくて気まずさと照れが私を襲ってくる。
スマホを弄って私は意識を逸らそうとする。って無理。
流石に他人の部屋ってのは意識せざるを得ないと言うモノだ。
それにこのいっそ空っぽと言っていいほどに物が少ないこの部屋は嫌でも彼女を想起させる。私が勝手に想起してるだけなのだけれど。
「使う?」
軽いTシャツ姿のラフな格好をした彼女が出てきてそう言った。
記憶に有るそれよりも強く、良い匂いがしてきて少しだけ頭がくらっとする。
「入ってきたら?着替えなら貸すよ」
と言われて少しだけ悩んだけれど今更か、と思い受け入れた。
風呂場に入るとシャワーの湿気とシャンプーの香りがいやと言うほどしてウワァ……となる。
シャワーから上がると御影はベッドの上にゴロゴロと寝っ転がりながらテレビを見てた。
灰色のTシャツを着た私を見て似合ってる似合ってる~なんて言って手招きした。
なんと言うかベッドに上がって良いのかな?と思いながらも乗り込む。
「別に女同士なんだしそこまで緊張しなくても良いのに」
とガチガチに固まってる私を見て笑いながら言った。
「んで、何か有ったの?」
唐突に御影が言ってきた。
「何かって?」
私は誤魔化す。
「何か、だよ」
彼女はそれを許さない
「何でそう思うの?」
「なんとなく」
彼女は耳許でそっと囁くように言った。
六年前に自習室で寝かけたときにも似たようなことはされてるけれど、あの時に比べるとやけに色っぽい。
それは彼女から伝わる熱だったり、香りだったりそう言うもの全てがあの時より近いから、なのだろうと思う。
手を伸ばせば触れられるのではなく、すでに触れている。
そんな距離で、湯気が出るほどの熱量で、彼女を感じるのは少しだけ怖い。
なにかがダメになる感じがするから。
「今日さ、仕事でちょっと失敗したんだよ。それだけ」
「へー、ご愁傷様」
「……それだけ?」
「他に何て言えと?て言うかそう言うの嫌いでしょ」
知った風に言ってのける彼女の声がいっそのことそっけないように聞こえて、そう言うのが堪らなく好きで安心感すら覚えてしまう。
「だから隣に居てあげるだけだよ」
そう言って私の手を握る。
久々の再会だっていうのにすごく気安くてなんだかすごく変な気持ちだ。
けれど、そんなに嫌な感じじゃない。
それはきっとコレはあの頃に夢見ていたことだから。だからコレはあの頃に叶えられなかった何かの続き。
今更になって叶うなんて馬鹿みたいだけれど。
私たちはあの頃より大人になっていて、姿を変わっているけれど、あの頃に夢見ていた熱に包まれる。私はそれだけで満足なのだ。
一時だけの、昔見た夢、きっと何より幸せでだからこそ手放さなくちゃいけない時間。
だけど、せめて、今だけはその優しさに縋っていたかった。
目を覚ますと部屋に明るい光が刺していて朝になっていたことが分かった。
いつの間にか寝ていたことに気づいて、ここまでぐっすり眠れたのは本当に久々だったことに気づく。
何と言うか、まあそう言う事なんだろうなあ、と我ながら現金すぎて少し笑いそうになる。
彼女が作っていた朝飯を二人で食べて少しだけ話をした。
働いてる会社の事、普段の日常の事、大学の事、そう言う下らないことを。
今までしなかった分を取り戻すかのように、かつてのように。
昼になってどちらからともなく解散しよっかみたいな雰囲気になる。
私は荷物を纏めて、と言うかパジャマを脱いでシャワーを浴びて着ていたスーツに着替えるだけだけど。
「ねえ、LINE交換しない……?」
「ああ、持ってなかったっけ」
なんて風にとぼけてみる。とぼけることに意味なんて無いけれど、それでもする辺り私はまあ、ひねくれているのだと思う。
「ま、良いよ。交換しよう」
そう言って私はスマホを取り出した。
普通にLINEを交換して私達は分かれた。
あの頃、私達はどうしてあんなにLINEを交換するのを恐がっていたのだろう?
不思議に思えるぐらいあっさりと交換できた。
何と言うか二度と会えないと思っていた人に再会したと言うには酷く平凡で、だけど嬉しい事には間違い無くて。
そんな複雑な気持ちを抱えていた。
空を見上げる。
彼女のアイコンに映っている道場の上の空と同じどこまでも吸い込まれそうな深く、純粋な青空だった。
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