クズ教師と優等生

 私の物理教師のたちばなはるかは端的に言ってクズだ。

 少なくとも私にとっては。


 彼女の担当科目の物理はいつもミニテストをしている。それ自体は簡単なモノであるけれどそれが解けなかった人には放課後に補習をさせる。テスト自体は簡単なモノであるし追試が有るのはしょうがないとは思うけれどだからと言って毎回有るのは大変だ。

 それに何よりもタチが悪いのは彼女の授業はクオリティが高いことだ。だから基本的に文句を言えないと言うか言う気にならない。シンプルながらも要点を抑えた解説、飽きさせないトーク力、ノートやプリントの分かりやすさ、その全てが群を抜いていた。

 新卒の若く綺麗だと言う事に加えてその手腕。まさに彼女は理想的な先生、そう思っていた。きっと誰もが思っている。

 以前の私のように。


「あら、何考え事しているの」

 放課後の準備室。後ろから声をかけられた。

 ミニテストで合格点に満たなかった私は放課後に準備室で補習を受けていた。

「いえ、別に」

「そう?じゃあ、ちゃんと集中しなくちゃ駄目じゃない」

 耳元で囁かれる。彼女の息が耳にかかってくすぐったい。余りの距離の近さにドキドキする。いつまでもこの感触には慣れない。

「あの、近いんですけど」

「そう?まだ慣れないのね。初心なんだから」

 そう言って笑って私の髪の首を撫でた。その感触にぴくっと震える。体が熱くなる。彼女に触れられると彼女と溶け合ったことの事を思い出してしまって胸が暴れてしまう。

 ご褒美とお仕置き。

 飴と鞭。

 お仕置きははこうして彼女に煽られながら課題に向き合ってひたすらドリルを解き続けること。

 ご褒美は……


 終わりました。そう言ってテキストを先生に押し付ける。

 彼女はパラパラと捲り丸を付ける。全問正解おめでとう、なんて言ってテキストを捨てる。そのあっさりさに少し笑う。別にあんな問題は見るまでもなく覚えているし覚えていなくても解ける問題だ。ミニテストよりは歯ごたえが有ったけれど。

 私は彼女の方を向くと顔を近づけられた。

 気づいたら柔らかく湿った感触がした。彼女の唇だ。

 舌で唇をつつかれると私の口は勝手に開いて彼女の舌をあっさりと受け入れる。私の口を中を蹂躙し尽して彼女の唾液で私の口は染まるし私の唾が呑まれるのも感じる。お互いをグチャグチャに溶かして混ぜ合う感じ、気持ち良さと息苦しさに生理的な涙が零れて口が開きっぱなしになる。

 酸欠気味な頭でボーっと彼女を眺めていると彼女は笑って私を押し倒した。

 既にゆるゆるになっていたリボンタイを外して彼女が私に触れる。

「あーあ。すっかり変態さんになっちゃって」

 彼女の呆れたような声だけが聞こえた。


 さようなら。そう言って彼女——三日月みかづきしおりはこの準備室から出ていった。最後に一回抱きついてから。

 始まりはなんてことのないミス。と言うか単純に彼女がテスト中に眠ってしまって白紙で出した答案だ。冗談のつもりで言っていた補習をすることになって私が一番困った気がする。

 見逃しても良かったけれど私自身、彼女のことが少し気になっていたから補習をすることにしてみた。それに普段は彼女は真面目だし、なぜその時だけ居眠りしたかが気になったって言うのもある。

 そして補習のプリントをしつつ話を聞いていた。その話自体はありふれたモノのように思えたけれど彼女にとってはそうじゃなかったみたいで酷く落ち込んでいた。

 だから、冗談のように言ってみたのだ。

「気持ちいいことして忘れようよ」

 うん。勿論、言って貰って良い。アホか私は。

 気になっていた生徒が落ち込んでいるからセックスして慰めてあげる、とか最低すぎるだろマジで。だからこそこれこそ本当に冗談だ。

 けれど、彼女は頷いた。まじかぁ。その一言だ。

 え、いや、冗談だよ?冗談。

 でも、それを言うのをためらう程に彼女の眼は真剣だった。間違えた。

 二重の意味でそれを理解した。彼女が余りにも追い詰められていて、そんな冗談にすら救いを見出してしまったこと、そしてそんな彼女の危うさが余りにも綺麗すぎたこと。

 引き返せなくなった私は勢いのままに抱いてしまった。

 後悔も有ったけれど、それ以上に彼女が余りにも愛おしすぎて私は彼女に堕ちてしまった。だけどこれは一時だけの夢だと決めて忘れようとした。

 私は教師で、彼女は生徒だ。

 仮に違ったとしても、壊れそうな彼女は消えなければいけないのだから。

 そんな覚悟とは裏腹に彼女との関係は続いた。それからなぜか彼女は白紙で提出し続けたから。

 止めようと思っても彼女が好きすぎて辞めることが出来なかった。

 白紙の解答を見るたいに彼女に求められているような気がしてその手を掴んで体を抱きしめてしまっていた。

 これは恋愛なんかじゃなくて依存だと知っていたけれどそれでも私は彼女を抱いてしまう。

 「依存」で教師を求める生徒を抱く。愛を以って。

 こんなに穢れたモノを愛なんて呼んでいいのかなんて分からないけれど。

 窓を開ける。涼し気な秋の風が部屋に入ってきて部屋から熱を奪う。

 外が暗くなって窓を閉めて職員室に戻る。

 荷物だけ持って出ようとすると栞の担任に声をかけられた。

「橘先生。三日月の様子はどうですか?」

「どう、とは?」

「いやね。彼女は基本的にはどの教科も出来るのに物理だけが伸びが悪いのが少し心配で」

「私の指導力不足のせいです。申し訳ございません」

「いえ、そう言いたいわけじゃないんですよ。実際、他の子は成績が伸びていますからね」

「えーっと……。結局が何を仰りたいんですか?」

「いやね、彼女は強い子なので。もうちょっと厳しくしてもらっても構わないってことを言いたかったんですよ。実際、追試受けてるのも三日月だけですし」

「はあ。分かりました。気を付けてみますね」


 そう返した。

 別にそんな問題じゃないのに。

 何も知らないんだなあのおっさん。

 少しだけイラっとした。


 三日月型のヘアピンを胸ポケットから取り出してこっそり刺した。

 愛が重いな。

 そう思ったけれど、その重さに心地よさを感じてしまってる私が言える義理じゃないと笑って帰り道を歩いた。

 

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