初恋の終わらせ方

 結婚って言うのは一つの恋愛の決着として分かりやすい形だと思う。

 綺麗な教会に、純白のウェディングドレス、黒のタキシード、誰もが一度は夢見るモノだとも思う。

 そして、それはかつて私が愛した人もそうだった。

 そんなことを思い出したのは一枚の手紙が原因だった。

 私が初めて好きになった彼女の名前が書かれた結婚式への招待状。

 当たり前のように私の下に贈られたソレは少しだけ桜色に色づいていてそれがすごく彼女らしいなって思えた。


「遊びだったってことにしよ?」


 別れ際に彼女に告げた言葉を思い出す。私が親の都合で地元を離れる日に彼女にそう言った。その日は先輩の―――つまり彼女の卒業式でもあってお互いにとって丁度いいタイミングだと思った。

 私は親についていってそこから離れなくちゃいけなかったし、彼女は中学生から高校生になるタイミングだった。


「ウェディングドレスを着たいな」

 夢を見るように恋に焦がれるような瞳で彼女がそう言っていたのも大きかった。今になっては女性同士で結婚と言うのも現実味を帯びてきていたけれどその当時はそんなのは有り得ないことだった。

 だったら物理的にも、肩書的にも離れることになるでお互いに別れて新しい恋を見つけるのが正しい道だと思えた。身勝手にも。

 私と居たなら彼女の願いは叶わないから。

 勿論、その時は辛かったけれど私は泣いたりはしなかった。いくら彼女の為を想っていたとしてもあくまで私は降った側の人間で加害者でしかなかった。涙はきっと被害者だけが流すべきものだ。


 それからと言うモノ私自身は別に結婚なんてものに憧れは無くてだから気紛れにも色々な人に出会って、魅かれて、気紛れに手を出していった。

 私を快楽で溶かし尽す様に我武者羅に、ひたすらに。

 そうして次々に人と肌を重ねるような日々の中で誰かに惚れこむようなことも有った気もするけれど、だからと言って誰かのモノになることは無かった。可愛いな、綺麗だなって思った人に声をかけて一緒に呑んで気紛れのように本気になって一夜の夢を重ねた。その度に気持ち良さは覚えたけれど、私の何かが壊れるような感覚だけが有った。

 けれどその快楽から逃れることすら出来なくなっていた。

 名前を知らない人も友達も区別なく抱いて体を重ねて気持ち良さに溺れる日々だった。我ながら爛れたような学生だったと思う。好奇心旺盛な子も、それに依存していた子も、遊び感覚の子も、純粋に愛していた子も沢山の人が居たけれどどれも全て私を快楽で埋めてくれるナニカでしかなかった。

 一時の夢でしか無い快楽じゃ、手に入るのは錯覚だけなのに。

 本当に私ってクズだなって思う。

 けれどそれを辞めるには引き返せない所まで堕ちていた。きっと私の「誰かを好きになる機能」は彼女を手放した時にぶっ壊れたのだろうと他人事のように思う。

 

過去から今へと考えを戻す。なぜ彼女は私を呼ぶのだろう?

 私はもう彼女が好きだった私とは違う。けれど最後に彼女に会いたいと思うのは身勝手なのだろうか?そもそも何で彼女は私を呼ぶのだろう?そう思う。私の居場所とかは同じ部活だった子とかに聞いたのだろうけれど。

 私を断罪したいのだろうか。あの時、彼女を振った私にウェディングドレスを見せてどうだ私は綺麗だろ!って後悔しろよバーカって。だったら良いなって思う。私に傷つけられてもそれでも彼女が幸せになれているなら良かったと思う。彼女に嫌われているのは辛いけれど、それでも彼女が夢にまで見たようなウェディングドレスを着た姿を見れるのは私にとっては幸せだ。

 こっぴどく彼女を捨てた私にはそれを見ることは二度とないと思っていたから。例え、どんな形であれ彼女が夢に見た一つの結末を見届けられるって言うのは私にとって幸せだ。我ながら身勝手に思うけれどだからと言ってその甘い誘惑を断ち切ることは私には出来なかった。


 だって結局、私は今でも彼女が好きだから。




 それから気が付くとその日はすぐそこまで来ていた。式の前日に地元に戻った。着いたのは昼間だった。けれど駅前のホテルに彼女が用意してくれた部屋が有ってそこに止まる手配になっていた。

 ホテルについて荷物を置くと、久し振りに街を歩いてみたくなって部屋から外に出た。駅の近くは大分開発も進んでいたけれど、少し離れるとあまり変わらない景色が広がっていた。勿論、見える店自体は変わっていたけれど建物自体は流用しているのか景観自体は余り変化が無かった。

 それを悲しいと思うか喜ばしいと思っているのかは分からないけれど少し想う所は有った。

 そうしていると服屋が見えた。ショーケースに飾っていたのはウェディングドレスだった。純白のドレスは相変わらず綺麗だなって思う。そっと手を伸ばすけれどガラスが張ってあってそれ以上に近づくことは出来なかった。

 穢れたお前が触れるわけがないだろ?砂埃に汚れた世界からこちらを覗く泣き笑いの少女が嗤ったような気がした。

 そうかもね。心の中でそっと頷いて私は店の前から離れた。

 すると店の扉が開いて客と店員さんが出てきた。あの時に彼女とドレスを見ていた時に「着れると良いね」と微笑みかけてきた人だった。まだ働いていたんだ、少しだけ苦い気持ちになる。

 すると彼女は私の方を見た。

「そっか来たんだ」

 そう言うと一瞬だけ苦々しく顔を歪めたけれど気づいたら表情は元のモノに戻っていた。

「来たって言うのは変か。お帰り」

 そう言って笑った。それは明らかに作り物だって分かる笑顔だったけれどなぜかそれを詰る気にはなれなかった。

「私、ちょっと行くところがあるから」

 彼女にそれだけ言うと私は足早に店を去った。店員さんにそんな顔をさせるのも嫌だったしその顔を見たくも無かった。

 街を歩く。


 公園が有った。遊具だけがごっそり消えていた。


 道が整えられていた。あの時躓いた溝は慣らされていた。


 壁が綺麗になっていた。あの時に書いた落書きは消えていた。


 駄菓子屋が有った。シャッターが下りていた。


 家が有った。空き地は無くなっていた。


 ……桜が咲いていた。皮肉なほどに綺麗だった。


 変わること、変わらないことそれぞれ有って「ココ」が確かに「此処」であること、それにたくさんの時間が流れていたことを実感させられる。

 スマホの中に有る曲を流す。あの頃によく聞いていた曲でこれを聞くのも久しぶりだなって思う。単純に意識して聞くことがなかっただけで普段からも流れているけれど、やはりこの町で聞くとどうしても懐かしさを抱いてしまう。

 街を歩いていると私達が通っていた小学校が見えた。久々に見る学校は懐かしさを覚えたけれどその中に私の知っている人がどれくらい居るのかと思うとおかしくなって笑いが零れる。

 この校舎だけが時間が取り残されているような気がする。テセウスの船と言うかまあ、そんな感じだ。

 くだらないことを考えてしまうくらいには心が落ち着いているのだと思う。或いは押し殺している、か。どちらにしろ結果としては同じことでしかないしと思って校舎から離れる。

 かつて、自分の家が有った所に着くとそこには色からがらりと変わった一軒家が有った。周りに有った空き地もすっかり家が出来ていて本当にそこであっているのかすら分からないほどだった。

 けれど残っていた近所の家は変わりが無くて確かに私の家が有った場所だと理解できる。そりゃそうだよな、と少しの諦念を抱えつつもその家から漏れ聞こえる子供たちの笑い声に頬が緩む。

 彼女がきっと近い未来に手に入れる情景なのだと思うと自然に瞳に熱が宿る。

 ぎゅっと瞳を閉じて溢れる熱を抑える。

 その家から目を逸らしてホテルへと戻っていく。何がしたかったのかと言えば結局の所は自傷行為をようなモノだ。あの時に私が手放したモノをもう一度自分で確認して、今度こそ彼女とのことにケリをつける準備をしただけだ。

 その為に足りないモノが有ったとしても。

 街を回る中で下らない感傷と彼女との過去に想いをはせた。曖昧なままで彼女と出会うのはきっと不誠実だと思ったから。

 

 ホテルに戻るとスマホに通知が入ってきた。彼女からのディナーのお誘いだ。結婚前夜に私と食事なんて正気かと思ったけれどどうやら本気らしい。

 私は軽くメイクをしてレストランに向かう。

 無駄に洒落た店で私には不似合いだなって皮肉気に笑った。窓から覗く夜景は都会のよりも光が少なくて、だからと言って星が見やすいほどに暗いわけでもない。その中途半端さが可笑しい。

 レストランに向かうと彼女が座っていた。長い間見ていなかったけれど一目で彼女と分かるくらいには面影が残っていた。

 茶髪に染めた私のとは違って、彼女のはただただ純粋な黒かった。その綺麗な髪は肩ぐらいまで伸びていた。それなのにほつれの一つも無く真っすぐで、濡れているかのように艶やかだった。服装自体は白いYシャツに黒のパンツという色気も何もなラフな格好だった。けれどその質素さが彼女の壊れそうなほどに細く美しいスタイルを見せていて思わず唾を呑む。

 そしてその横に一人の男が居た。一瞬だけ誰だろう?と思ったけれど冷静に考えて答えを見つける。結婚式前に花嫁の傍に居る同年代の男性。答えは単純に旦那だろう。

 爽やかそうな男性で素直にイケメンだと思えた。こういう人が好きなんだと少しムカッとしたけれどその想いに内心嗤う。私にソレを想う資格も無いし、思った所で意味も無い。


「初めまして。僕の名前は貝島かいじま大翔はると。見ての通りあm」

「初めまして。大翔さん。この度は先輩との結婚、おめでとうございます」

 彼から彼女の名前を聞くのは嫌だったから私はそう言って言葉を塞いだ。いや、多分言っては居たけれど私には聞こえていなかった。

 そんな風に喋った私を見て彼は驚いたように目を開いて言葉を詰まらせた。彼は私をどんな風に聞いているのだろうか?ただの友達?それとも元カノ?私の知ったことでは無いけれどどれにしたって少し違和感の残る表情だった。

 礼儀正しい彼女の知り合いには思えない無遠慮さだったのかと思うけれどそれにしてもだ。

「あー、ごめんな?」

 何かを察したように謝ってきた。その態度が少し偉そうでムカついた。けれどそんなものは八つ当たりでしかないと心を押し殺して笑顔を浮かべる。

「いえいえ。こちらこそつい割り込んでしまって申し訳なかったです」

 そう言って頭を下げる。

 彼は無言で首を横に振った。それでこの件はお仕舞い。

 パンっと大きな音が響いた。彼女が手を叩いたのだ。それで空気が軽くなる。こういう所は本当に上手だなって思う。

「ま、それはそれとしてキミと会うのは久しぶりだね」

 彼女はにこにこと笑顔を浮かべて言ってくる。私の名前を言わないのは私が彼女を先輩と呼んだことへの当てつけだと思う。綺麗な顔してるくせに意外とねちっこい。そんな所も私は好きだった。

「元気にしてた?」

「まあ、それなりには」

 私がそう答える。

「先輩は、先輩も元気そうですね。素敵な人を見つけたみたいで良かったです」

 そう言った。不思議とそれは本心だった。彼女が他の人と結婚するのに嫉妬する気持ちは有るのだけれど、だからと言って彼女が結婚するのが嫌だって気持ちは無かった。

 それはきっと彼女が私に囚われていたなら本当に救いが無くなるから。彼女が私を過去のモノにして彼女が焦がれた花嫁になれるのなら私が彼女を捨てたことにも意味が生まれる。

 正当化して自分を許せる。


 先輩、幸せになれて良かったね。


 不意に彼の顔が視界入る。その顔はまるで何かをかみ殺すような表情だった。すると彼は私の視線に気づいたのか表情をさっきの薄い微笑に戻した。それは余裕とか穏やかさからはかけ離れた仮面にしか見えなくなっていた。

 

 そこからは普通の世間話をするようになっていた。私達が分かれた後にどのように生きていたのか。本当のことは言えなくて、だけど嘘をつくのも申し訳なくて、本質からかけ離れたことだけを話した。

 彼女からも彼女が今まで歩いてきた人生だとか彼との出会いだとか、共通の知り合いの話だとか色々なことを聞いた。

 高校で彼と会ったらしく共通の知り合いの話を彼からも聞くことが出来た。同級生の男子の話だとか、他の先輩や友達がどれだけモテていただとかそういうのをユーモアたっぷりに話す彼の姿はとても良い人そうで本当に先輩、おめでとうって思えた。


「初めて会った時、彼女は余りにも弱弱しくてね。僕が支えてあげようって思ったんだ」


「最初はメチャクチャ冷たくてさ。それでもめげないで手を差し出し続けたんだよ」


「それにしても本当に君たちは仲が良かったんだな。こんな楽しそうな彼女、高校でも余り見なかったよ」

 

「ああ、確かにそんなことも有ったな。彼女の親友でもある赤間さんのこともよく知っているんだな」


「ははあ。いやでも中学生で一緒に風呂に入るって君ら仲良すぎでしょ」


 けれど会話の中で時々敵意みたいなのを感じた。穿ちすぎかもしれないけれど。

 それにさえ目を閉じれば本当に楽しい時間でしか無くていつの間にか運ばれていた料理すらいつの間にか食べてしまった。

 折角の料理が少しだけ勿体ないなって思ったけれどそれ以上に楽しくてすぐにどうでも良くなった。

 やっぱり私は彼女といる時間が大好きなんだって思う。彼女が結婚するその直前でそれを思い知らされて少し、いやかなりきついなって正直思った。

 彼女は私を詰ることはしなかったけれど―――だから赦されたってことではあるのだろうけれどそれがこんなに辛いなら余りにも酷すぎた。

 どうせだったら詰ってくれたら良かったのに。そう思わずにはいられなかった。下らない所では我がままで意地っ張りなのに、本当に大切な所だけ優しいなんてそんなのズル過ぎる。そう心の中で愚痴ってしまいそうになる。

 そこで、不意に、気づく。

 だからこそ彼がここに居たのかもしれない。私を赦した彼女の代わりに私を断罪する役目として。

 確かにこの二人はお似合いなのかも、とそう思った。


 時間も良い感じだしと解散することにした。

 私は二人と別れてホテルへと戻る。

 耳の中で反響する彼女の声に足が軽くなる。売店で売っているお酒を多めに買って部屋に戻る。二日酔いするかどうかは賭けだ。呑まないとやってられない。

 部屋に戻ってカーテンを開いた。窓から見える夜景は比較的田舎の方で明かりが少なくて月が良く見えた。

 窓も少しだけ開けて部屋の照明を落とす。さっきまで居た所とはにならないくらいに静かで暗い。けれどそんな場所の方が居心地が良かった。

 浴びるように飲むけれど生憎なことに酒に強い私は酔うことが無かった。本当に酔いたい時には全く酔えない。

「つっかえな」

 そう言って空き缶を足に落としてガシガシと踏みつぶす。スリッパ越しだから少し痛くて欠片ほどに回っていた気もする酔いがさらに消えていく。悪循環過ぎて溜息が零れる。床に転がった缶や瓶をゴミ箱に突っ込んでシャワーを浴びる。ただただ体に悪いだけで無意味なヤケ酒の痕跡が流れていく。

 シャワーで火照った体を夜風で冷ます。春と言っても夜になっていれば普通に涼しくて気持ち良くもなる。お酒の代わりに水を飲みながら月を見あげている。

 あの月が沈んで、次に上がる時はもう彼女は結婚している。それを想うと早く沈まないかなって気持ちといつまでも昇っていてくれないかなって想いが混ざり合う。

 どうせ世界は、時は止まらない。だったらさっさと終われば良いのに。そう思って早く沈めと願う。

 寝れば良いのだろうけれどどうしようもなく寝ることが出来なかった。たった数時間彼女と話をしただけで目をつぶれば彼女の声が顔が視界に滲んでしまってどうしようもなかったから。

 コップに注いだ水を飲みながら夜空を眺める。

 そうしていると視界の端でチラチラと赤い光が見えた。それは私達が子供だった時に遊びでやっていた儀式。私達の秘密基地であった廃墟で赤い灯を照らして気づいたらそこに行って遊ぶって約束。元々、遊ぶ約束はしていてその時間を示すみたいな感じのお話で。


 けれど、その廃墟は一週間前に殺人事件が起きて封鎖されたはずの場所だ。


 そこまで考えて体に寒気が走った。このやり方を知っているのは彼女だけだ。だったらそこに居るのは彼女のはずだ。

 つい最近、殺人事件が有ったその場所に。

 私はすぐにそこへ向かった。

 古びた門の前にまでたどり着いた。ギギギって音を立てながら奥に入る。

 そのまま廃屋に入って中庭に向かう。するとそこに居たのはウェディングドレスをきた彼女だった。彼女のウェディングドレス姿はとても綺麗だったけれど廃墟との噛み合わなさが美しさだけでなく恐怖も生み出していた。そして吹いた風がドレスと彼女の黒髪を揺らし、桜の吹雪を生み出す。

 桜吹雪の中に佇む彼女のウェディングドレス姿は余りにも現実感が無かった。


「何をしているんですか?先輩。こんな場所で、こんな時間に、そんな恰好で」

 私がそう言ってもそう言っても彼女はただ黙って首を横に振るだけだった。

 それだけで彼女が何を望んでいるのか分かってしまう。

天音あまね美桜みお。貴女はどういうつもりなの?」

 天音美桜。それが彼女の名前だ。後、一日もすれば消えるけれど。

「やっと呼んでくれた」

 質問には答えずにただ幸せそうに笑った。夜に溶けてしまいそうな黒髪が、月よりも真っ白なドレスが風で揺れる。

 毒のように鮮やかな赤に染められた唇が目を引く。

 ソレから無理矢理に視線を剥がして私は言った。

「二人きりだし、最後だからね。美桜」

「最後って?別にこれからも美桜って言ってくれれば良いのに」

「それは無理でしょ。元カノが結婚した人を下の名前で呼び捨てなんて出来ないよ。だって貴女は先輩でそして恋人でしかなかったから。友達だったことすら無かったじゃん」

 そう言って私も笑った。これから友達に?無茶を言わないでよ。これはそう言う意味でも有った。貴女が叶えた未来に私が居ることは出来ないって言う宣言だ。そこまで通じているのかは知らないけれども。通じていたからなんだってわけでもない。

「ふーん。やっぱりそうなんだ。まあ、どうでもいいけれど」

 あっさりとそう言った。どうやら伝わったみたいだ。けれどどうでも良い?それが不可解で思わず眉を潜めた。

「そんな怖い顔をしないでよ」

 私を見ておかしそうにクスクスと笑いながら言う。

 意味の分からなさがどんどん募っていって私は一歩だけ後ろに下がった。

 こんな会話は少なくとも殺人事件が有った廃墟で深夜に交わすものではなかった。

「取り敢えず早くこんな所から出ましょう?」

 だから私はそう言ってけれどそれを聞いて彼女は不思議そうに首を傾げた後にああ、と頷いた。

「大丈夫だよ。もう殺人事件は起きないから」

 そして彼女は普通にそう言った。

「何ですかソレ。そんなの分からないじゃないですか。それにドレスが汚れますよ」

「別にそうでもないけれどね。それにドレスの汚れについては気にしなくて良いよ。これは私が買ったやつだから」

 そう言うと彼女はぐるりと一周した。ドレスがブワッと回った。綺麗な背中がむき出しになっていて、ふんだんにあしらわれたフリルがとても綺麗で、そんな場合じゃないのに何も言えなくなって固まるしかなかった。

「買ったって。大分派手なお金の使い方をしたんですね。しかもそれをここに着て来るなんて。彼は許しているんですか?」

「うん。まあね。と言うかそれが彼と付き合う条件だったし」

「は?」

 余りにも意味不明なその言葉に私の頭は混乱した。今、ここで私と話しているのが彼女が彼を選んだ条件?流石に意味が不明すぎる。

「最後の時は貴女と一緒に過ごすこと」

 そう言って笑みを浮かべた

 その笑みは今までに見たどんな笑顔よりも狂気に満ちていて、毒のように禍々しくて、それなのに魅力的で、余りにも美しかった。

 もう、全部がどうでも良いと思えるくらいには。

 ゴクリ、と唾を呑む音が響く。すると彼女はペンダントから先についていた二つの小瓶を取り出した。

 その中には少しだけ液体が入っていた。月明かりに反射してキラリと光る。その内の一つだけ開けて中に入っていた液体を床に垂らした。

 ピチャっと音を立てて床が濡れる。丁度、そこに走りかけて来たネズミがその液体を舐めると体を震わして、動かなくなって倒れた。

「すっご」

 感心したように彼女が呟いた。

 その瞬間、彼女が何を持っていたのかを察した。そして彼女が何を考えているのかも。

「毒で私を殺すつもりなの?」

 私がそう聞くと彼女はまた首を振る。

「違うよ。君を殺すつもりは無い。ただ私が死ぬだけ」

「は?何を言ってるの?」

 言われた言葉は私が想像していたモノとはかけ離れていて私は想わず聞き返してしまった。

「要はね。これから私はウェディングドレスを着て貴女の目の前で死ぬって言ってるの」

 笑みを消して美桜はそう言った。

 当たり前のように普通に。

 訳が分からなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになってきて、それでも間違えない様に、踏み外さないように私は心を落ち着かせようとする。

「何の為に?」

 私が聞くと彼女は俯いて体を震わせていた。

「何のため?何のためだって?決まってるでしょ。私のためだよ。私を貴女を刻み付ける為に。あの時に貴女と夢見た花嫁姿で、貴女が私を捨てたこの場所で、目の前で私が死ねば貴女は私を忘れなくなるでしょ?一生ひきずるでしょう?それだけが私の望みなの」

 叫ぶように彼女が言った。

 もうその声には涙が混じっていて気圧されてしまうぐらいに力強い。こわこわこわい叫び声。

 痛切で、切実で、純粋な言葉だった。

「でも結婚するって」

「だってこうでもすれば流石に貴女も来てくれるでしょ?」

「……は?……本気なの?」

 その言葉に私は掠れた声で尋ね返すしか出来なかった。

 だってその言葉が正しいのならと言う事になる。

 そんなバカな話が有るのかというお話だ。

「うん、本気だよ。ずっと考えてたの。どうしたら貴女が私の所に戻って来るのか。心なんてどうでも良いけれど貴女と言う存在が私に縛られるかを」

「私は美桜を捨てたんだよ。嫌われてたって思わなかったの?」

「いや、正直思っていたよ。だからこそ色々考えていたの。貴女の友達とかにも連絡したりするつもりだったしね。けれど思ったより素直に乗ってくれたから使わなくて済んだけれど」

 答え合わせのように彼女から言葉が紡がれていく。

 それはただひたすらに狂気のようなモノでそれを支えたのは私への執着だ。それはさっき彼女から聞いた美桜の高校生活の様子はかけ離れていて、本当のことを隠していたのはお互いだったのだと知る。

 知ったところでもうどうしようもない所まで来ていたけれど。

 後はもう終わるだけだった。

「ねえ、最後に見る顔はどっちが良い?」

 彼女は無邪気に首を傾げながら言った。


「ねえ、彼はどうなるの?」

「彼?ああ、大翔さんか。彼は全部知っていてこの茶番に載ってくれたよ。私のこと、本当に好きだったんだね」


 彼女の質問から逃げてそんな一般論を振りかざす。そうして時間を先延ばしにしようとする私は自分でも分かるくらいに最低だったけれど帰ってきた答えはもっと最悪だった。


「親とか友達は?」

「君に比べたら等しくゴミだよ」


「じゃあ、私が願った貴女の花嫁になるって夢は」

「そんなの知らないよ」



「でもこうして叶ったじゃない。私はドレスを着れた。あなたのお陰だよ」

「こんな、こんな事を願っていたんじゃ、ない。私は貴女に幸せに」

「私は幸せだよ?こうして貴女に私の花嫁姿を魅せられてる。欲を言えば君のドレス姿も見たかったけれどそれは欲張りすぎだから」

 本当に幸せそうに穏やかに微笑んでいる彼女を見ると私は何も言えなくて言葉に詰まる。


「だったら私と一緒に生きようよ。もう離れないから。ずっと一緒に居るからさ。だから生きよう?私はもう逃げないから」

 涙交じりに告げた言葉に我ながら酷すぎるって思う。一度は逃げ出したくせにそれでも信じてってなんて無責任なんだろう。こんな茶番を成立させている時点で最早止まることは許されない。

「無理だよ。信じられない。一度は捨てた癖に」

 そう言って笑う。そうやって詰るならせめてもっと顔を歪ませてほしい。そんな笑顔で、微笑みで私を責めるのだけは辞めて欲しかった。

 一度砕けたモノはもう二度と戻らない。誰かが言ってた言葉が頭を過ぎる。折れたモノは繋げなおせるけれど、砕けたモノはいくら欠片を集めて繋げなおしてもボロボロの穴だらけでしかなくて、結局はそれっぽいモノにしかならないのだと。

 私があの時に彼女にやったことはそう言う事だったのだ。

 心を折ったのではなくて砕いた。

 立ち直ることができてもそれは見せかけで壊れたままのレプリカでしかなかった。

 罪を自覚してつもりだったけれどそれじゃあ本当は全然足りていなくて――

 失敗しない様に?余りに滑稽すぎて私は笑ってしまう。あの頃に私はとっくに間違えていて今更私に選択する資格なんて無かったのだ。

「……ゴメン。ずっと大好きだったよ美桜」

 だから私はそう言った。

 もう止める気力が無かった。

 壊れてしまった彼女をこのまま生かし続けるのが私には耐えられなかった。最低な私はまたこうやって間違える。 

 クズはどこまで行ってもクズのまま。壊してしまった償いとしてずっと傍で生きていく覚悟すら決められなかった。

 拳を握りしめて溢れる涙をぬぐってせめて彼女を最後まで見続けていた。

「ありがとう」

 そう笑って彼女は毒を飲んだ。

 何でありがとうなんだよ。馬鹿

 それは言葉になったのだろうか。分からないけれどその想いだけが駆け抜けた。

 美桜の口から血が零れた。それは純白の衣装を穢した。けれど鮮やかなあかで汚いなんて思えなかった。桜の木にもたれかかるように彼女は倒れた。

 ゴメンね。約束、守れそうにないや。

 私はそう言って彼女の下に歩く。彼女の前でしゃがむとピクリと彼女の指が動いた。

「………」

 文字にすらなっていない吐息交じりの空気音。けれど彼女は確かに私の名前を呼んだと分かった。

「ゴメンね。一緒に生きて貴女の罪を一緒に雪ぐことは出来なかったし、貴女を背負って生きていく覚悟も無かった。だからせめて一緒に死んであげる。何回でも言ってあげる」


「大好きだよ」

 

 それは遅すぎる告白だったけれども。

 毒の入った血にまみれた彼女を抱きしめてキスをした。

 血の味がする。私と彼女は血液型も違うしそもそも彼女の血には毒が混ざっている。

 意識が遠くなる。焼けるような痛みが体を走る。

 最後の最後で私達は同じものを背負えた。


 その事実に嬉しさを覚えながら闇へと堕ちていく。

 大好きだよ。


 最後に聞こえたのは貴女の声。

 それを標に進むのなら、たとえ辿り着くその先が地獄でも構わない。

 そう思えた。

 地獄でなら、私の遅すぎた告白も届くと信じてる。

 今度はずっと一緒に居るって、その手を二度と離さないって。

 私は誓うよ。

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