第3話

   *


 それからはなんとなく、クラスでも朱妃あけひとは離れがちになった。

 クラスメイトだから教室に行けば顔を合わせるわけだけど、以前のようには一緒に行動しなくなった。

 それでもわたしの頭の片隅にはいつも朱妃がいた。

 朱妃は相変わらずゲラニオールに通っているらしかった。見ていればわかる。靴が、新しい靴が増え続けていたのだから。

 それでとうとう、わたしはいたたまれなくなって、教室で思い切って話しかけた。


「朱妃、大丈夫?」

 朱妃はへらへら笑っていた。大丈夫だという意思表示らしかったが、ぜんぜん大丈夫には見えなかった。バイトのシフトを増やしたのだと朱妃は言った。学校が無い日は早朝もコンビニのレジに立っているのだ、と。

 靴を買うために?

 わかりきっていることだと思いながら、わたしは聞いた。

 しかし朱妃は首を振った。「先生に見てもらうためよ」と答えた。

 先生?

 ニュアンスから、どうも学校の先生ではなさそうだということは分かった。じゃあ、いったいなんの?


 占ってもらうのよ。

 ――と、朱妃はぼそぼそした声で続けて言った。

「あのね、わたしね、あのあと、占いの先生に見てもらったのね。そしたら先生、わたしの顔をじっと見て、あなたはよく言葉の意味を取り違えるわね? って言ったの。それ聞いて最初はムッとしたけど……よく考えればそうかもしれない、わたしはよく意味を取り違えるかもしれないと思って、先生の話をよく聞くことにしたの。そしたらすごいのよ、先生は、わたしのこと、どんどん当てちゃったんだから! 先生は言ったわ『あなたは孤独で、誰とも分かち合えない世界に住んでいる。なんとかそこから抜け出そうともがいているけど、それでもあなたは孤独なのね。なぜだかわかる? 人の人生には、三つの要素が関わっている。だけど、いまあなたはそれがバラバラになってしまっているの』って。三つの要素っていうのはね、ひとつは身体、もうひとつは心、そして最後は運命のことなの。占いっていうのは、この三つをもう一度結びつける作業のことを言うのよ。だって、この世の全ての事象には関係性があるんだから――」


 ……朱妃は、そこまでまくしたてて言ってから、手帳を開いてわたしの方へと差し出した。

 不穏なものを感じながらも、わたしは手帳に視線を落とした。

 一ヶ月のスケジュールのページには、丁寧に色分けされた文字でびっしりと予定が書き込まれていた。ラッキーデー、満月、新月、吉数、などといった見知った占いの言葉もあれば、北の方角に行き、水に関係するものにパワーをもらう、などというまったく意味のわからないものまで書いてあった。


 目眩がした。

 なぜなのだろうと思った。朱妃はどうして止まらないのだろう。どうして、どんどん悪くなるのが止まらないんだろう。どうして――。


 わたしはすうと息を吸って、次の瞬間には朱妃にたくさんの言葉をあびせかけていた。

「あのね、あんた恋をしていたんじゃないの? このスケジュール帳のどこが恋なの? 心、身体、運命だって? ハッ、馬鹿言わないで。相手が居て、自分があるのが恋愛でしょう。あんたが好きなのはれんなんでしょう? 顔が良くて愛想がいいだけの、あのムカつく男――。ねえ、占いと恋愛やってどうすんの? このスケジュール帳のどこに蓮がいるの?」


 でも、でもね……。と、朱妃はぼそぼそ反論した。

「でもね、先生によれば、やっぱりあの日は運の流れが悪い日だったんだって。あの日っていうのはあの日だよ。わたしたちが、ゲラニオールに行って、あの女を見た日……」


 そんなの関係ない! わたしは怒鳴った。

「あの日わたしたちが店に行こうが行くまいが、あの女は店に来ていたに決まってるよ! あんたの運勢が悪かろうが良かろうが、あの女は蓮とキスしていたよ! 今だってそうだよ! あんたが先生とやらに金を払っている間にも、蓮とあの女は会っているの! どうしてかわかる? あんたと蓮と――占いと恋愛には――関係性が無いからだよ!」


 たちまち教室内はしんとした。

 ありったけの怒りを放出し、わたしの心は妙に静かだった。

 朱妃は震えていた。涙目だった。唇を噛み締めていた。わかるもんか、と朱妃は言った。

「わかるもんか、あなたなんかにわかるもんか、わたしの気持ちがわかるもんか。ずっとわたしのことを見下していたくせに、失敗すればいいと思っていたくせに、ずっとずっと、わたしの隣で――笑っていたくせに!」


 ……笑っていた?

 意味がすぐには呑み込めなかった。わたしがいつ朱妃のことを笑っただろうか。なんだか、足先の感覚が無くなってゆくようだった。朱妃、あんた、いつもそんなふうに思いながらわたしと接していたわけ? わたしがあんたを笑っているって?

 朱妃がふいとそっぽを向いた。

 それからチャイムが鳴り、わたしは朱妃に言葉をかけるきっかけを失った。


 けど、そのままチャイムが鳴らなかったところで、いったいなにを言えただろう。そして事実、わたしはその日、朱妃に再び声をかけることはなかった。

 完全に心が塞いでしまっていた。

 家に帰るとベッドに直行した。


 そしてその夜、朱妃からの着信があった。

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