第2話


   *


 わたしは何度も朱妃あけひに言ってきた。れんに彼女はいるの? いないの? それだけは、はっきりさせなるべきなんじゃないの? と。


 朱妃は取り合わなかった。それを確かめることで、自分の気持ちがバレるのが怖いのだと言う。いやいや、それはそうだけどさ、でもいつかは蓮に気持ちを伝えなきゃいけないわけでしょう。そのために恋愛してるんでしょう、あなたは――と、喉まで出かかったのを寸前で我慢した。喧嘩してもしかたがない。わたしが理性を失ってどうする。


 わたしが聞いてきてあげようか?

 そう朱妃に提案した。そういうときこそ、友人わたしを使うべきなのだ。しかし、朱妃はこれを拒んだ。なんかズルい気がするから、というだけの理由で。

 まったく、朱妃の潔癖さというか強情さには、いつもイライラさせられる。

 結局怖いだけなのに、奇麗な言葉で飾ろうとするのが余計、イラつく。


 そうこうしているうちに、蓮に彼女がいることが発覚した。

 その現場にはわたしもいた。秋の日の学校帰りだった。いつものように朱妃に連れられてゲラニオールの前まで行くと、ショーウインドウ越しに、蓮と親しげに話す知らない女が見えたのだ。

 わたしたちは直感的に店先で足を止め、そのままショーウインドウごしに店内を観察した。

 女は二言三言、蓮と言葉を交わした。

 それから少し蓮から距離を取り、小さく手を振った。

 立ち去ろうとする女を蓮が引き止め、そして――、

 一瞬だった。

 一瞬のあいだに、二人はキスをし、そしてまた離れた。

 ガラス一枚を隔てて、わたしと朱妃の時間は止まった。

 女が店の外へ出ようとした。

 わたしたちはハッとなってショーウインドウから身を離し、物陰へと隠れた。


 その女は、わたしたちより一回りは年上であろうと思われた。長身で、薄手のトレンチコートを古風に着こなしていて、歩き方が完璧だった。そして、足元――足元までもが完璧だった。チェックパンツの裾をロールアップさせて、白くて細い足首を覗かせていた。真っ赤に染色された革のフラットシューズは丁寧に履き込まれていた――彼女はきっと、足が痛くて街中で立ち止まることなんかないんだろう――。


 隣を見ると、朱妃は涙目になって震えていた。

 なんだか、朱妃の格好がみすぼらしく見えて仕方がなかった。似合っていない髪型と、野暮ったい高校のブレザー。パステルカラーのパーカーを羽織ってポップに見せようとしているのはわかるけれど、安すっぽすぎてむしろスタイルを悪く際立たせてしまっていた。特に最悪なのは靴。飴色あめいろのミリタリーブーツは、朱妃には似合わない。


 ああ、そうか――。

 そのとき、急激に理解していた。

 わたしは、朱妃の、と。


 ずっとわからなかったのだ。自分はいったい、どうしてこんなめんどくさい女と友達なのだろう、と。その答えが出たのだ。途端に、どうしようもなく朱妃を抱きしめたいと思った。沢山の言葉が頭の中で溢れ出てしょうがなかった。


 朱妃……惨めだね。でもよかったね。これであなたの、でたらめな恋も終わるね。あの女の人、奇麗だよね。悔しいね、朱妃はぜんぜん。でもいいよ。わたしたちには時間があるから。時間をかけようよ。朱妃、あなたはもう靴を買っちゃだめだ。そんな中学生が着るみたいなパーカーを着ていちゃだめだ。わたしが一緒に考えてあげよう。メイクの技術とか、服のセンスとか、面白い新しい遊びとかを、もっと知ろう。そうしたらあなたも――いいえ、いつか、惨めじゃなくなるかもしれない。


 それらの言葉は、頭の中で浮かんでは消え、浮かんでは消えしていった。どれもこれも剥き出しすぎて、声にはならなかった。

 わたしはしばし思い悩み、最終的に、次のようなことを言った。


「オーケー。終わった。朱妃、あんたは失恋した。最悪だけど、良かったこともある。あのさっきの女――恋人、ガールフレンド、友達以上恋人未満――なんでもいいけど、とにかくあんたより特別な存在が蓮にいるんだってことは、はっきりしたよね? はっきりしたってことは、中途半端にモヤモヤするよりは好い事だよ。さて、どうする? あんたが大量に買い込んだ靴を燃やすって言うんなら手伝うし、自分探しの旅に出たいって言うんなら付き合うよ」


 朱妃は震えながら、充血した目でわたしを睨んだ。

 しまった、とわたしは思った。

 うまく言葉を選べていなかったことに、全部言ってしまってから気が付いた。

 おそらく、このとき気が動転していたのは、朱妃だけじゃなく、わたしもだったのだ。

 しかし後悔しても遅かった。

 朱妃は明らかに、怒りの矛先をわたしに向けていた。

 

 終わってない。

 と、朱妃は言った。

「まだ、終わってなんかいないんだから」

 そう繰り返し言って、朱妃はわたしに背を向け、去った。

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