4.愛おしさは現実へ

 冷たい風が吹く中、幸文社の自動ドアが開き、僕は中に入った。相変わらず広いビルで、上を見上げれば吹き抜けが三階まで続いているのが見える。

 僕は受付嬢にアポイントメントをとった旨を話し、エレベータに乗って担当者のいる階まで上がった。

 エレベータの扉が開き、その階で降りる。どうしようもなく不親切なホワイトボードに書いてある矢印に沿って進み、担当のデスクへとたどり着いた。

「おや、時間通りですね。お久しぶりです、二宮先生」

 椅子から立ち上がり、こちらをしっかり見て僕の担当者である薬袋達樹は笑った。

「お久しぶりです。書きあがった原稿を持ってきました」

原稿の入ったUSBと印刷した原稿を手渡す。

「毎回ご丁寧にありがとうございます。それでは拝見しますね」

そう言いながら薬袋さんに椅子をすすめられ、僕はその椅子におとなしく座った。

 気の利いた社員がお茶を持ってきてくれ、暖かいお茶を飲み干す。この季節、特に十一月に入ってからはさらに気温も低くなり、寒さが身に染みる。外を見れば既に山は紅葉しており、赤やオレンジに染まっていた。

 二杯目のお茶をありがたくいただき、熱心に原稿を読み進める薬袋さんを眺める。既に薬袋さんの手元に置かれているお茶は日向水と化していた。

「はい、今回も大丈夫そうです。それにしても、連載小説で二宮先生が近代SF、そして読みきりでバッドエンド寄りの話とは珍しい。確かに今までの文芸誌とは違って、若い人向けの文芸誌ではありますが―…何かあったんですか?」

「いえ、別に。ただ、これからどんどん機械化が進むにつれ、いつかこうなってしまうのではないかと僕は不安なんです。その不安から生まれた話と言いますか、夢で見た話を膨らませたと言いますか。それに、僕は案外バッドエンド好きなんです。まあ、今回はバッドエンドにメリーが付きますけど」

「なるほど。確かに、《群青は遠く、愛おしく》での最後のシーン、二人が一緒にいることは、皮肉なことに最初に二人が望んでいたことですしね。」

ふむ、と薬袋が考え込む。人当たりの良い物腰の柔らかい彼は、正直、前担当の似鳥さんより好きである。もちろん、人当たりが良いからと言ってプライベートで関わるつもりはないが。

「分かりました。あ、それと似鳥が探していましたよ」

 その一言で一気に脳にあった血液が足元まで下がる。

「あっ見つけましたよ!」

後ろから聞こえてきた声は、以前聞いた声と全く変わりがなかった。いうまでもなく、この声の持ち主は似鳥さんである。

「二宮先生、お久しぶりです。今回はどんな話を書かれたんですか?へ?近代SF?なるほど、この前奥さんの書かれた《夕景に染まって》がヒットしたから書かれたとか?」

「違います」

「でもあの作品も近代物でしたよね。最近夫婦内で近代物でもはやっているんです?」

「違います」

「でもそうはいっても、やっぱり夫婦だから似ているところもあるんじゃないですかぁ?それにバッドエンドな話なんて、実は奥さんとうまくいっていないとか?」

「違うって言っているでしょう。貴女はよっぽど僕に怒らせたいんですか」

「やだなー、違いますよ。あ、それと奥様―赤坂先生に早く原稿を書いてくださいと頼んでくださいよ。締め切りもうすぐなんですから」

「分かりましたから少し貴女は黙っていてください!」

その口げんかの様子を見て、薬袋さんが笑う。

「あなた方は本当に仲が良いのですね」

「違います、僕を見かけるたびに彼女がこうやって声をかけているだけです」

 僕の返答に似鳥さんが噛みつく。

「だって作家の先生とは仲良くしていたいじゃないですか!」

「僕には逆効果だと言っているんです」

両者にらみ合い、一歩も引けなくなる。

「まあ、似鳥さんもそこらで仕事に戻りなさい」

「でも―」

「戻りなさい」

にっこりと笑っている薬袋さんを見て似鳥さんが震えあがり、さっと仕事に戻る。やさしい人ほど、怒ると怖いものだ。

「うちの部下がご迷惑おかけしました」

薬袋が頭を下げ、こちらこそと僕も頭を下げる¥た。

「じゃあ、ここらで僕も失礼します」

立ち上がって一礼する。

「ああ、そうだ、二宮先生」

薬袋も立ち上がって、僕を呼び止めた。

「次の原稿の方向性が決まったら連絡してください」

「わかりました。それでは」

 ビルの外に一歩出ると、お茶と暖房によって暖められた体は一瞬にして冷えてしまった。

車に乗って軽くキーを回す。助手席を見れば、すやすやと寝息を立てて美音が寝ていた。

「美音、おはよう。用事終わったよ」

うっすらと美音が目を開け、倒していた座席を起こす。

「おはよう。やっぱり仕事で徹夜はしんどいね」

小説ならもっと楽に徹夜できるのに、とつぶやくが、僕の身からすれば徹夜なんてやめてほしいと思う。もっとも、しょっちゅう徹夜寸前まで起きて小説を書いている僕の言えることではないが。

「似鳥さんが原稿早くしろって言ってた」

「そういえば締め切り近かったかも。明日からまた作業かな」

うーん、と背伸びをして美音が言う。

 ある程度車が温まったことを確認して、僕は車を動かした。

「今日晩御飯何にしようか」

 美音の一言で思い出す。そういえば、買いだめしていた食料も昨日ですべてなくなり、冷蔵庫の中身は空っぽである。後でスーパーによらなければならない。

「今日は冷えるし、さわに鍋でもしようか」

 ショウガやねぎを加えた鶏がらスープにセロリや大根、ゴボウに人参、鶏肉とうどんと最後に餅を入れるさわに鍋は、野菜はすべて千切りにするため手間がかかる。しかし、体が温まるため、時間があるときの冬の定番料理といえばこれである。

「じゃあ、帰りに野菜とうどんと餅、買って帰ろう」

「うん」

 自転車などの巻き込み確認をしていると、丸裸になってしまった街路樹が目に入った。

「桜も、もう、葉が落ちちゃったね」

さみしそうに美音が言う。

「そうだね。まあ、春になればまた桜は咲くよ。そしたら、また花見に行こう」

「うん」

窓の外を、美音がぼーっと見つめる。いつしか話題は、桜の咲いていた夜、僕らが出会ったあの日に移っていった。


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