5.そうして、現実は桜色に

「別れよう」

 その一言は、あまりにも突然だった。現実逃避にでも走ったのか、その時、彼の後ろのほうで馬酔木が咲いていたことを鮮明に覚えている。

「なんで?」

舌が凍ったようにうまく動かない。教科書を持つ手が震えた。

「美音は、頼ってくれないから」

頼ってくれない。自立した人間が好きといった彼の言葉が、脳裏によみがえる。

「私、頑張って自立しようと思って、迷惑かけちゃいけないと思って―」

「自立することと、頼ることは全く別だろ。そんなに俺、頼りなかったか?」

「違う。でも、迷惑かけちゃいけないと思って」

「その心遣いが迷惑なんだよ!」

道行く人々が振り返り、私たちを好奇の目で見ながら通り過ぎていく。

「とにかく、もうお前といるのがつらいんだ。別れてくれ」

彼が声のトーンを下げて言い、ため息をついた。頭を下げる彼に、私はただ、頷くしかなかった。

「で、それでおとなしく別れたの?」

私の話を一通り聞いた汐莉が口を開く。学校から近い喫茶店の本日のおすすめ、抹茶オレを飲みながら頷くと、彼女は深い深いため息をついた。

「美音、あんたね、バカじゃないの?」

バカという言葉が垂直に胸に突き刺さる。

「だってあそこまで言われたら別れるしかないと思うの」

「甘い!美音は物わかりがよすぎるんだよ、もう少しダダこねてもよかったと私は思うよ。だいたい美音は今就職で忙しい時期なんだし、そこに追い打ちをかけるように別れようだなんて、ひどいと思う」

 昔から汐莉とは付き合いがあるが、このはっきりとした物言いはすがすがしい気分になることもあるが、もっぱら私の心をえぐっていくことが多い。そして今回も迷うことなく後者である。

確かに、就職はうまくいっていないし、今はいちばん厳しい時期だ。だからと言って迷惑をかけていい理由にはならない。

「ダダこねたらそれだけ迷惑かけるじゃないかなって思って」

「いや、絶対彼は逆にダダこねてほしかったんだと思うね。別れないで―態度を改善するからなんていう言葉を期待してた方に私は五百円かけるね」

 いや、かけたところでどうしようもないのでは?と思うが、あえて口には出さない。

「まあ、終わった話だし、グダグダ考えてもしょうがないと思うから、美音、頑張りなよ」

「―うん」

抹茶オレを一気に飲み干して、トレーを片付けて喫茶店を出る。まだ少し、風が冷たかった。

「この後、私買いものをして帰るけど美音はどうするの?」

「私は―ちょっと遊んでから帰ろうかな」

「じゃあ、私も付き合う。ここからだと、西通りのゲーセンかな」

二人で西通りに向かって歩き始める。

汐莉とゲーセンに行ってやることといえば、専らリズムゲームである。ドラム式洗濯機に似ていると公式が宣伝しているリズムゲームをただひたすらに続ける。手袋をはめていないとタッチパネル操作をするときに摩擦で手が焼けそうになるため、このゲームには手袋が必須だ。熱中するあまり筋肉痛になることもしばしばある。

ひたすらにやる、所謂作業系ゲームは私の得意分野で、ゲームプレイ中は何も考えずに済むというところがとても好きだ。リズムゲームが作業系ゲームかと言われたら違うような気がするが、大量の集中力を要することには間違いない。何も考えたくない、その現実逃避の結果がゲームである。

だけど、彼に振られたという事実は案外私の心に傷を残していったようだった。

―お前といるのがつらいんだ―

不意に、彼の言葉が頭の中で再生される。流れてくるノーツを叩き逃し、コンボが崩れる。リザルト画面を見ると、五つほどミスマークがついていた。どの楽曲を叩いていても、今日は九十五パーセントは越えなかった。

「いつの間にミスをしたんだろう」

三回ほどプレイし終わり、店を出ながらつぶやく私に、汐莉が苦笑した。

「まあ、美音がプレイするのはいつも難易度高い譜面だし、そういうことくらいあるよ」

 少し不満感を残しつつ時計を見る。時刻はすでに十七時を上回っており、遠くのほうで空が赤くなってきているのが見える。

「汐莉は買い物の時間大丈夫?」

「むしろもうすぐセールだからちょうどいい時間。今日はありがとね、楽しかった」

 汐莉が遠くで手を振るのを眺め、その姿が見えなくなった頃、私は家の近くにある公園に向かって歩き始めた。

 少し肌寒くなり、カバンから上着を取り出して着る。春になったからと言って、油断していると夜は案外冷えるものだからすぐに風邪をひいてしまう。

 寂しさと虚しさで涙がこぼれ落ちそうになるのを我慢しながら私は歩いた。

 階段を上っていくと、いつもの桜の樹が見えてくる。つぼみがだいぶ膨らんでいて、今の自分とは反対のようだと思った。

 ブランコの方向を見ると、ひとり男性が座っているのが見えた。誰もいなければ思い切り泣けたのに、と思いながらも私はブランコのそばに行って、男性に声をかけた。

「隣に座っても、いいですか?」

 男性が驚いたように振り返る。私より、二つ三つ年齢が上だろうか。メガネをかけたその人は、少し震えた声でどうぞといった。

 そっとブランコに座る。きぃ、と鎖が音を立てた。

何が、悪かったのだろうか。今考えても仕方のないことだということは分かっている。でも、これほどまでに何もかもうまくいかないと、不安になってくるものだ。

周りの人たちはもう、内定がほぼ決まっている中で私一人だけこんな状態で、ずっと一緒にいてくれた彼氏からも別れを告げられ、もう、どうしたらいいのかわからなかった。

空を見上げて、また泣きそうになるのを我慢する。涙が流れそうもないことを確認して、また私はうつむいた。

「あの―、何かあったんですか?」

 突然男性から声をかけられて思わず背筋が伸びる。横を見れば、男性が少し困ったような顔をしていた。

「いえ…その…」

 私はまた、ここで他人に甘えるのか。自分の言葉が、ゆっくりとお腹の中に沈殿していく。溶けない今日の記憶の数々を、飲み込むこともできずに私は一つだけ、甘えを吐いた。

「お話、してもいいですか?」

「なんでも聞きますから、どうぞ」

 そう言って笑った男性の顔は、優しかった。

「最近ついてなくて…もう専門学校も最終学年なのに就職先なかなか見つからないし…彼氏とは別れちゃうし…」

 一つ一つ、自分の中で咀嚼しながら吐き出す。本当に私は、正しい行動をしてきただろうか。正しかったのならこんなことになんてなってなかったはずなのに、どうして私はここにいるのか。そもそも正しい行動など存在するのか。

 涙がこぼれないように、あふれてくる嗚咽を押し殺しながら、私は上を向いた。

「就職先はともかくとして、彼氏にはつらい思いさせてばっかりで…私は自分勝手なことばかりして…」

 努力もむなしく、涙が頬を伝う。袖で軽くぬぐって、ぼやけた視界を戻そうとするもうまくいかない。

「私、バカですよね。初めて会った人に、こんなこといって…。ごめんなさい」

話す声が、嗚咽で震えた。もう、限界だ。下を向いて、口元を抑える。泣いているところなんて、見られたくなかった。もし男性が自分なら、引かれていても仕方のない行動をしている。それをわかっていても、涙は止まらない。せめて、と嗚咽を抑えるが、それすらももう、意味のないように感じた。

 どうか、もういっそ何も言わないで。聞かなかったふりをして、その場を立ち去ってくれたらどんなに楽だろうかと、そう思った瞬間だった。

「…僕、なんて言っていいか分からないんですけど…きっと大丈夫ですよ」

 男性がそっとハンカチを差し出す。私は黙って頭を下げながらそのハンカチを受け取って涙を拭いた。

「あの、ほら、恋人とかって相手を支えないといる意味ないじゃないですか。そんな支えにならないような人、別れて正解だと僕は思います」

 頼ってはくれないのかという、彼の言葉がよみがえった。彼は、私が頼るまで支える気はなかったのかもしれない。頼る、頼らないではなく、自然と支えになる関係。その関係が築けない人とは確かにうまくいかないのかもしれない。

沈殿した記憶が、一気に溶けた気がした。

「なんか失礼なこと言っちゃってほんとすみません。今の、忘れてください…」

 男性が下を向いてギュッと目をつぶる。ああ、この人は私にちゃんと向き合ってくれているんだ。そう思った瞬間、男性がかわいらしく思えて笑いが込み上げてきた。

「ありがとうございます。良い人なんですね」

少し顔を上げた彼の顔に、うれしそうな笑顔が浮かぶ。やっぱりこの人は笑顔が一番きれいだ。

「あ…えと、こちらこそ…」

 その返事がまた、かわいらしい。私は軽く笑い、男性もつられて笑う。顔を見合わせて、ひとしきり笑った後、私はまた空を見た。星が、きれいだ。

「私…小説家になろうと思ってるんです」

その一言に、男性が驚きの声を上げた。

「そんなに驚くことですか?」

思わず口に出す。確かに初めて会った女の子からそんな話を聞かされては驚くかもしれないが、男性の声はそういう驚きとはまた違った声色だった。

「いや、すみません」

苦笑しながら男性が謝る。

「別に、謝る事じゃないと思いますよ」

少し引っ掛かりを覚えながら、私はそう言った。

「二宮誠司っていう小説家さん、知ってますか?私、その人のファンなんです」

 ブランコから離れて、見晴らしの良い坂の近くまで行く。男性も何も言わずに私の隣に立った。

「すごいですよね。わずか二十二歳でデビューだなんて。そのデビュー作で既にベストセラー作家に仲間入り決定。私と三つしか変わらないのに。デビュー作なんて、とてもきれいな文章で、透明感のある物語。素敵で、吸い込まれるような小説でした」

 ―それに比べて、私は…。

また下を向く私に、男性は景色を眺めながら、少し震えた声で言った。

「あ、あの、落ちこんじゃダメですよ。デビューしたから小説家なんじゃなくて、毎日小説を書き続けてる人が小説家なんだって…僕は思います。あ、いや、これはある本の受け売りなんですけど…」

 わたわたと身振り手ぶりを加えながら、しゃべる男性の姿を見ていると、さらに緊張したのか顔を赤くした。

「ほんと、優しいんですね」

笑う私を見て、男性がまた、安心したように笑みを浮かべる。空を見上げれば、すでに月は高い位置にあった。

「えと…また会いたいんですけど、名前と電話番号、いいですか?」

「あ…ああ、八幡誠司です」

ささっと携帯を出す私に、戸惑ったように八幡さんがメモ用紙を取り出して名前を漢字で書いて、番号を口頭で言う。

「八幡さんって、名前の漢字、二宮先生と一緒なんですね」

私が微笑みながらそう言うと、八幡さんはまた苦笑した。何か思うところがあるのだろうが、今はそれを聞くべきではないだろう。

「私、ミネって言います。赤坂美音」

 ボールペンを貸してもらい、メモ用紙に同じように名前を書く。

「八幡さんは何か仕事してるんですか?」

「いや、僕も小説家目指してるんです。とりあえず、幸文社あたり目指して」

「じゃあ、私も幸文社に応募しようかな…」

少し私は背伸びをして深呼吸をした。

「まあ、好きなところ受けたらいいんじゃないですか?」

 また、八幡さんが微笑む。少し考えてから、私は首を横に振った。

「私も八幡さんと同じところに応募します。そのほうがなんか安心だから」

 それじゃあ、と階段を降りようとしたところで、八幡さんが心配そうに声をかけてきた。

「あの、一人で大丈夫ですか?」

「うち、近所なんです。大丈夫ですよー」

 明るくそう答えて、階段を降りる。悲しい別れと、素敵な出会い。

家に帰って一日を思い出すと、小説を書きたくなった。いつものようにパソコンの前に座り、携帯とスピーカーをつないで音楽を流し、ワープロソフトを立ち上げる。

その日は、驚くほど筆が進んだ。


 ***


ある日、メールアドレスに一通のメールが届いた。内容は、つい先日書いた小説が新人賞とまではいかないものの、才能を感じたので担当をつけて頑張ってみないかというメールだった。

幸文社にもさっそく行き、メールを送ってくださった薬袋さんとも話した。企業に就職も決まって、担当者さんも決まって、これからという時期。私の筆は、突然動くことをやめた。

毎日、学校と家との往復。相変わらず、小説は進まない。止まったままの物語、焦る自分。何もかもを放り出して、逃げたい気分になった。期待を裏切ることが怖い。

不意に、笑った八幡さんの顔がまぶたに浮かんだ。会いたい、声を聴きたいと、強く思った。

土曜日の夕暮れ時、布団の中で、小さく丸まりながら、私はメールを打った。あの日から、一か月が経っていた。

『八幡さん。夜八時に、あの公園で待っています。時間が空けばでいいので、会ってくださいませんでしょうか。』

三分もしないうちに、メールは返ってきた。

『わかりました。寒くないようにきちんと上着を着てきてくださいね』

 律儀に返事を考える八幡さんの姿が目に浮かぶ。早く会いたくなって、布団から起き上がって着替える。晩御飯の仕込みをして、私は家を出た。

 家から歩いて十分。あの公園までの道のりは長いようで短い。桜の花びらが道路をデコレーションしていく。もう、今年の桜も終わりが近づいていることに悲しみを覚えながら私は商店街を歩いた。

 階段を上がって、あの日と同じブランコに座る。遠くの空には星が出ていて、強く吹く風に桜の花びらが舞いあがった。

 足音がして振り向くと、八幡さんが歩いてくるところだった。

「待ち……った?」

 以前、もう一度会ったときに敬語は使わないでといったのを覚えているのだろう。少し咳払いをして、八幡さんは敬語からいつも通りの口調に戻した。

「ううん。全然」

 少しずつ目に涙がたまって、視界がゆがむ。泣くことを我慢しながら、私は微笑んだ。

「何かあったの?」

少しだけ首を縦に振った私に、八幡さんが少し早足で歩いてきて隣に座った。

「うん…嬉しくて、悲しいお知らせかな」

 あの日と同じように、空を仰ぐ。なかなかゆがんだ視界は元に戻らなかった。

「デビュー、させてもらえることになったんだ。担当さんがちゃんとついて、もう少しですから頑張りましょうって言ってもらえたの。けど、スランプにはまっちゃったみたいで…」

 力なく間抜けな笑い声を出して、下を向く。

「やっぱり向いてなかったんだと思うの。ただ二宮先生と同じ景色が見たかった。それだけで小説家目指しちゃダメだったんだよ。きっと」

会うんじゃなかった。こんなところ見られたくなかった。後悔し始める。八幡さんは?と、情けない声を出す。何か変わったことはあったのかと、何か話題をそらしてくれることを期待しながら涙を拭いて隣を見ると、少し硬い表情をした八幡さんが、独り言のように小さく言った。

「僕も…お知らせというか、隠してたことがあるんだ」

首をかしげながら、八幡さんを見る。八幡さんはしばらくの間考え込んだ後、覚悟を決めたかのように再び口を開いた。

「小説家の…二宮誠治は、僕なんだ」

 一瞬何を言っているのか、よくわからなかった。あの日の会話を思い出す。

――八幡さんって、名前の漢字、二宮先生と一緒なんですね。

 そういったとき、あの時八幡さんは苦笑いしていた。その表情の意味が、やっと分かった。漢字が一緒なんですね、なんて本人からしてみれば当たり前のことだ。だから、あの時八幡さんは苦笑したのだ。

「一ヶ月前のあの日、僕もデビューしてから間も無くてさ。ずっと小説が書けなかった」

まあ、今だって駆け出し作家だけどさ、と八幡さんは笑う。

「自分が何を書きたいか、何のために小説を書いてるか、わからなくなって…考えれば考えるほど沼に沈むみたいに答えが見えなくなって…」

 私と、同じだ。同じように、あの日八幡さんも悩んでこの公園に来ていたのだ。今の私と同じように。

「ずっと悩んでる自分にイライラして、当たり散らして。あの日、僕は気分転換にここに来た。そこで、君に出会った」

 すこしずつ、八幡さんの声が震え始める。

「君の無垢な感じとか、僕もそうだったなって思わせるところがあって…初心忘るべからずってこう言うことなんだなって思った。それに、こんなにも近くに僕の本を読んでいてくれる人がいるなんて思わなかったんだ。増版決定なんて言われても、ピンと来なかったし、どこかで読んでくれている人なんていないんじゃないかって思ってた」

 震える声を隠すように、八幡さんが空を見上げる。

「あの日、スランプって何が理由でなるか、分かった気がするんだ。もちろん、成長過程でのスランプというものもあるけど、僕の場合は、きっと、自信が足りなかったんだ。読んでくれるかもわからないような小説を書いたって意味がないと思って、面白くなければ意味がないと思って。でも、そんなことを気にする必要はなかったんだ」

どんどん、八幡さんの口調が早口になる。涙が、こぼれる。

「自分の書きたいものを書けばいいんだ。それで文句を言われたって、それが僕の文章だって、自信をもって言える作品は、きっといい作品になる。それに、君の読者はここにいるんだ。自信をもって。赤坂さんも大丈夫だって僕は信じてる。あの日の僕みたいに書ける日がくるよ。だから…」

 八幡さんが、最後まで語る前に私の嗚咽に気付いて私のほうを見る。

「ご…めんな…さい…」

嗚咽を抑えながら言おうとするも、うまく言葉が出ない。ぼろぼろとこぼれる涙を、止めることができなかった。

「あ、謝ることないよ。ほら、僕だってデビューしてそんな立ってないんだし、こんなこと言える立場じゃないしさ」

 あわてて八幡さんがまた口を開く。その姿を見て、両手で涙をぬぐって、私は少しだけ、笑顔を作った。

「うん。あ…りがと…」

切れ切れにでる言葉に、八幡さんがうなずく。

「僕も、赤坂さんに出会えなかったらスランプ抜け出せてなかったから…。その、ありがとう」

 突然だった。八幡さんが立ち上がって、私を抱きしめる。暖かかった。私の中で氷のように解けることのなかった不安が、一気に溶けてあふれ出した。

声をあげて泣く私を、八幡さんは優しく抱きしめてくれた。泣き止むまで、私は、八幡さんの腕の中にいた。八幡さんはただ、何も言わずに抱きしめ、頭をなでるだけだった。


 ***


誠司さんと交際を始めて二年。私は就職し、企業に勤めながら小説家としても働いている。誠司さんが小説家も続けながら他の仕事も増やすと言い始めた時は驚いたが、そんな心配も吹き飛ばされるほどに、あっさりと雑誌などのコラムの連載が決まって、小説家以外の肩書も増えつつある。

つい先日、私は誠司さんから指輪をもらい、互いの両親にもすでにあいさつを済ませた。結婚式はお互いの親しい友人と親戚だけでしようという話になっており、今は結婚式の準備と同時に新居探しも行っている。

さて、そんなあわただしい毎日の中、《桜の咲く夜に》というタイトルであの日の出来事をフィクション化した小説がついに販売され始めた。

私は恥ずかしくてたまらないと誠司さんに抗議したが、誠司さんは笑って美味しいネタをありがとうございました、といった。

「あの物語の主人公が僕らだったことは、誰も知らないんだよ?これでまた、僕らの秘密が増えたと思えば楽しいことじゃないか」

 誠司さんが私の頭をなでて、そっと額にキスを落とす。顔が赤くなるのを感じ、きっとこの人には一生勝てないのだろうと思って、私は少しうなずいた。

 外は、きれいな桜が咲いている。

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