EP10.第二の番人
水面が遠くなる。きらきらと西日が反射して水中に映る。息を止めているのももう限界で、どれだけもがいても、水面は遠くなるばかりで…。ああ、死ぬのかもしれないなって、本気でそう思って。その記憶を最後に、ルーの意識は遠のいていった。
遠くで波の音が聞こえた。誰かの自分を呼ぶ声に答えようと、体と動かそうとするが、どうにも寒さで強張って動かない。かすかに開けた目に映ったのは、知らない少年だった。
「だれ…?」
かすかに開いた口から、ほとんど空気に近い声を出す。目が覚めたことをに気が付いた少年が、すっと何かの呪文を唱えた。ふわふわと体が温かくなって、強張っていた体がほぐれていく。
「気にせんでええから、はよう寝り。まだゆっくり眠っていても、誰も逃げはせんよ、ルーツィエ」
少年が、ゆっくりと語りかけるように言う。その穏やかな声は、どこかアルに似ているようで…。緊張が解けたのか、ルーの意識は、また遠くへと旅立っていった。
次に目が覚めたのは、明け方だった。だんだんと自分の視界が明るくなっていく。目が覚めて数秒もたたないうちに、意識がはっきりとしてきて、自分が洞窟の入り口に寝かせられているのだと気が付いた。
「おはようさん」
眠る前に聞いた、あの落ち着いた声が、脳内に響く。この声の響き方は、どこかで…。
「やっと起きたんやな。びっくりしたで?砂浜で倒れとるんやから」
笑いながら銀髪の少年が言う。方言が入っているせいだろうか、ルーには少年が胡散臭く見えていた。
「なんや、俺の顔になんかついとるんか?」
少年がルーのいかにも疑っている顔を見て聞く。
「あの…話が見えないんだけど。そもそもここどこ?あなた誰?」
そのルーの質問を聞くなり、少年は盛大に笑い出した。
「そんなピリピリせんでもええ。しっかり休んどき、ルーツィエ」
「私、貴方に名前教えた覚えないんだけど、どこで聞いたの?もしかしてストーカーでもしてたの?気持ち悪い。それに、さっきも聞いたけど、ここはどこ?」
容赦ない質問攻めに笑っている少年の顔が少し凍り付く。
「最後に一つ。後ろにあるそれは龍剣で、あなたは番人じゃないの?」
その瞬間に、少年の顔色が一気に変わった。
「―いつから気づいとったん?」
「別に、普通、人の声は脳には響かない。それに、後ろに無造作に放り投げてある剣から、明らかに魔力が発せられているんじゃ、疑いしか持たないもの」
「なるほど。君がここまで選択を誤る人とは思っとらんかったよ」
ルーが眉をひそめる。
「私が選択を誤った?どこを聞いてそんな風に言ってるのか聞きたいところね」
「だって、そういうことを口にして命が危うくなるかもしれないなーとか考えないっぽい発言やん。命は大切にするもんやで?」
ケラケラと笑いながら並びたてられた言葉をルーが鼻で笑って一蹴した。
「私は一度死んだようなものだし、生きている間は団長に忠誠を誓うと決めてるの。団長のためなら、世界を救うためなら命なんてどうでもいい。みんなが笑っていられれば、私はもう、それでいいの。だから…貴方が守るその剣いただいていくわ」
一瞬少年がきょとんとする。それから数秒もしないうちに、少年は大きく笑った。
「そうか…そうか!せいぜいその頑張りを無駄にせんように頑張るんやな。まあ、結果は俺の圧勝に決まっとるけどな」
少年が龍剣を掴んで地面に突き刺す。
「冥土の土産に俺の名でも教えよか。俺の名はジル・カルティエ。属性は風、体術使いや。まあ、お手柔らかにな」
「あら、私を殺しにかかる気満々なひとにお手柔らかになんて言われても説得力ないわよ。こちらこそお手柔らかに、ね」
にっこりとルーがほほ笑む。
刹那、洞窟内の真っ黒い壁や地面が薄いピンク色に発光して蝶となり、一斉に羽ばたいた。蝶がいた壁からはクンツァイトがむき出しになって表れ、洞窟内の地表は薄ピンク色の輝く床となる。気が付けば洞窟の中はクンツァイトでいっぱいになっており、蝶はどこにも見当たらなくなっていた。
「かかってこんの?」
蝶に見とれていたルーにジルが笑いかける。その笑顔にはもはや優しさなど一ミリも含まれていなかった。
「そっちこそかかってこないの?」
「さすがにこんなかよわい女の子に先制攻撃しかけるのも気が引けてなぁ」
底なしに明るそうに笑うが、不気味にしか思えず、思わず後ずさりする。いや、後ずさりしていてもしょうがない。
「それじゃあ、こっちから行くわよ」
覚悟を決めたルーが皮手袋に魔力を込め、頭の中で呪文を唱えながら殴り込む。普段きちんと強化魔法を使って戦っているのかというと実際はそうではない。ルーの魔力自体が少ないため、連戦があると魔力切れで倒れてしまうからだ。しかし今回は強化魔法を最初から使っている。それは、アルの試練を見ていたからだった。
前回は番人が手加減していてくれたからよかった。だが、今回は相手からみじんも手加減する気など感じられない。
ルーのその予感は的中した。頭に向けて殴り掛かったこぶしが片手で止められる。あまりの驚きに数歩下がって顎に向かって蹴り上げるが、結果は変わらなかった。
「―このっ!」
ある程度間合いを維持しながら様々な攻撃を仕掛けるが、ジルは表情一つ変えずにかわし、受け流し、直接的な攻撃を避けていく。
どうして当たらないんだろう、とルーの頭に焦りが生じる。今まで幾度も強敵と戦ってきたが、これほどまでに受け流すのが上手い人を、ルーは見たことがなかった。受け流すのが上手いということは、自分の攻撃はすべて読み切られているということだからだ。
もう、魔力も残り少ない。最後の力を振り絞って、蹴りを繰り出した瞬間だった。
「正直見損なったわぁ」
その声と同時に足首をつかまれる。
「あんだけの大口たたいておきながら、そんな力しかないなんてな」
ジルの厳しい目がルーに向けられる。つかまれた足は、どう力を込めても動かなかった。
そのまま足を軸にして、ルーが床に向かって叩きつけられる。あまりの力に、一瞬息ができなかった。せき込みながら起き上がった時にはもう遅かった。首元に冷たいものがあてられる。
「最期くらいは、剣で一思いに楽にさせてあげるからな。それが、俺にできる唯一の手向けや」
ああ、死ぬんだなあ、私。こうやって見ると、とてもあっさりとした最期だ。なんて思いながら、目を閉じる。なんでだろうなあ、こんな時に浮かぶのが
あのあっけらかんとしたさわやかな笑顔が、瞼の裏に浮かんで消えていった。
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