第三章 ヘクトール、邂逅する
EP12.ヘクトールという人
紅茶を一口、口に含めて飲み込む。ゆっくりとフィネはティーカップをテーブルに置いた。
「まさか、次に龍剣を手に入れたのがルーになるとはね」
その言葉に、静かにアルがうなずく。
「予定外とはなったが、これで残る龍剣はあと4つ。サシャルも後々寄る予定だったんだ。手間が省けたといってもいいだろう」
「龍剣もそうだけど、とりあえずルーが無事でよかった。さすがに魔力を使いすぎてるから、ほぼ丸一日寝ちゃったみたいだけど、もう目が覚めたんなら大丈夫だろうし」
ヘクトがコーヒーを飲みながら口を挟む。隣でヴィンもテーブルに置かれた菓子をつまんだ。
「アル、この後は予定通りアルザイルに進みますか?」
「いや、どうせならここから陸続きのラクレイアに行こう。そうすれば、アルザイルにも行きやすくなる」
小さな世界地図を片手に、アルがぬるくなったコーヒーを飲みほした。
「おはよう」
三回のノックののち、蝶番のきしんだ音ともにルーとヤンが顔を出す。
「昨日はご迷惑おかけしました」
ぺこりとお辞儀したルーの頭を軽くヤンがはたいた。
「礼を言う相手が違うんじゃないのか」
「違わないわよ、一番働いたのはサシャルの海軍と交渉してくれたアルじゃない!」
「オレらの活躍はどこにいったんだよ」
「それはもうさんざんお礼を言ったでしょう」
「そうじゃなくて、もう一人礼を言うべき相手がいるだろ!」
その言葉に、ルーがぐっと食い下がる。本で顔を隠したまま無言のハイネに、微妙な顔を浮かべながら近づいた。
「あ、あの…ハイネ」
「なに」
ぶっきらぼうにハイネが返事を返す。
「あの時は助けてくれて、ありがとう…ございました」
照れ隠しに下を向いてルーが言う。
「も、もしかして怒ってる?」
同じように本で顔を隠したままのハイネに近づく。突然、ハイネが肩を震わせはじめ、そのまま笑った。
「そんなに怖がらなくていいのに。それに、そんなに畏まってお礼を言わなくてもいい」
さわやかな笑顔にあっけを取られる。固まったルーに、ハイネはすっと手を差し出した。
「いまなら、ボクを仲間と認めてくれるかい?」
「―もちろん!」
握手をしたハイネたちを見ながら、ヘクトールが安心したように微笑んだ。
ぱんぱん、とアルが手をたたいた音が部屋に響いた。
「盛り上がっているところ申し訳ないが、次の行き先はラクレイアとなった。ルーツィエ、ハイネ、ヤン。三人とも異論はないな?」
「はい」
三人がそろって返事をする。
「それじゃあ、これから下の食堂で昼食をとった後、荷物整理をして出発しよう」
「じゃあ、オレ先に席とってきます」
ご飯のこととなるとさすが素早い。ヤンが光のごとく部屋からドアへと駆け抜けていき、その姿は一瞬で見えなくなった。
「私たちも行きましょうか」
柔らかな雰囲気をまとわせたままヘクトが言う。食器のある程度の片づけをして、みんなで食堂へと降りて行った。
「本日の日替わりランチ、だってさ」
フィネが興味深そうに店頭に置いてあるメニューをのぞき込む。白身魚の香草焼きに、こんがり焼けたガーリックトースト、ボリュームたっぷりのシーザーサラダ、食欲をそそる香りの卵入りのコンソメスープ。おいしそうとキラキラした目で見つめるルーの隣で、ヴィンが、白身魚の香草焼きなんてお酒がほしくなるメニューですね、とつぶやいてアルに小突かれる。
「日替わりランチ以外にもメニューはたくさんあるんだ、とりあえずヤンを待たせていることだし急ごう」
アルの言葉でぞろぞろと全員が動き出す。入口から一番遠く、七人分の席を確保したヤンが、ソファ側で待機していた。
「遅くなって済まない」
「もう、ほんと団長さんたち遅いっす」
さあ、食べましょ、食べましょ、と言いながらヤンが改めてメニューを開く。アル、ヴィン、フィネの順に席に着き、続いて年少組が席に座って注文をする。十数分後には、テーブルの上に様々な料理が並んでいた。
「主よ、今日も同じ食卓を囲めることに感謝いたします」
アルが短く食事前のお祈りの言葉を口にし、全員が手を合わせる。三秒ほど静かな時間が流れた。
「さあ、食べようか」
その言葉が発された瞬間に、待ってましたとヤンがご飯をほおばる。それに続いて黙々と全員が食べ始め、再び静かな時間が訪れた。
「―ところで、大体の龍剣のある場所はわかってるの?」
一番真っ先に沈黙を破ったのは、ほとんど皿を空にして手を拭いているフィネだった。
「実をいうとラクレイア陸軍とすでに連絡を取ってあってな。ちょうどサシャルとの国境近くに、古アリシア国の城の地下、スピネルで埋まった空間があるそうだ」
古アリシア国。龍剣が誕生するよりも前、およそ五百年前に滅んだという皇国だ。かつては現在のサシャル国含む広大な土地と島を保有していたと聞く。
「宝石で空間が埋め尽くされているとなれば、これまでのパターンも考えておそらくビンゴだろうね」
ヘクトの言葉に、ハイネがうなずいた。
「ボクもそう思うよ。古アリシア国は呪いの国とまで言われたまでに黒魔法が盛んだった国だ。人々もあまり寄り付きはしない。となれば、龍剣の隠し場所にはもってこいだろう」
「ヘクト、そこでうずうずしてても古アリシア国がなくなったのは四百年前の話だ。ほとんど文献は残ってないと思うぞ」
アルが浮かれているヘクトに言うが、ヘクトの顔色は一切変わらなかった。
「いいや、黒魔法は文献だけではないんだ。学ぼうと思えば空間魔法を使って壁や床、土地の記憶から当時の魔法の全貌を知ることができるんだ。これほどまでに楽しみなことはない」
そういえば、古アリシア国には二年前の侵略戦争のときはいかなかったし、そもそもヘクト自体、当時はこんな風に明るい性質ではなかった。こんな風に、旅を、勉強を楽しめるようになったことは、喜ばしいことだ。
ヴィンがアルのほうをちらりと見て、苦笑する。同じくアルも苦笑した。喜ばしいことには喜ばしいが、興奮しすぎて暴走するのではないかと、少し心配になったからだ。
「とりあえず、このご飯食べ終わったら、荷物を持って出発しよう。古アリシアまでは三時間ほど砂漠の土地を歩くようになる。サシャルから出る前に水と食料の調達をしておこう」
アルが二杯目のコーヒーを飲みながら言った。
***
出発まで三十分。荷物はもうまとめ終わり、ヘクトは椅子に座った。背もたれに体重を預け、ため息をつく。
ヘクトール・エレットの体は呪われている。膨大な魔力と引き換えに。それも、とてつもなく強い呪いに。
あの日のことはよく覚えている。瀕死の姉を助けるために、目の前でボロボロになっていく仲間たちを守るために。自分の腹から流れ出た血を使って、最低限の魔方陣を描いて、残り少ない魔力を振り絞って。召喚したものは、異形の者だった。
「最期の時まで、力を望むか」
異形の者は、口とも言いづらい体の一部を開いて、古代語でそう告げた。
「ああ、望むとも。みんなを守り切れるのなら、この命、惜しくない」
命、なんて重いものを口に出してしまったのが、失敗だったと今なら思える。しかし、間違いなくその命にかかった呪いと引き換えに、通常人間の体には宿ることのないだろう量の魔力を手に入れられたのだ。
この呪いは、ヘクトに魔力を与え続ける代わりに身体を蝕み続ける。事実、もとは姉と同じ琥珀色だった目の色は濁りはじめ、指先の皮膚は既に黒く変色してきている。体のすべてが黒く染まったとき、ヘクトール・エレットの魂はあの異形の者に喰われる運命にあるのだ。
「ヘクト、入るよ」
ノックとともに、フィネが部屋に入ってくる。珍しく手袋を外していたヘクト手を見て、フィネがしゃがんで手を取り、悲しそうな顔をした。
「また、呪いが進んだんだね」
仲間を、姉を助けるために異形の者との契約を交わし、呪いを受けたことをフィネは烈火のごとく怒り、自分の無力さを泣いて悔やんだ。十九年の短い人生の中でも、姉がこれほどまでに怒り、笑い以外の感情を露わにしているところを、ヘクトは見たことがなかった。
「自分が、望んだことだから」
二年前のあの日と、同じ言葉を口にする。フィネは下を向いたままの弟のほほを軽くつねった。
「痛い、痛いよ姉さん。なにするの」
顔を上にあげながら抗議すると、そこにはフィネの困ったような笑顔があった。
「ごめんね」
こんな顔を見たいがために、この呪いを受けたわけじゃなかったのにと、心が痛んだ。
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