第一章 その竜人、危険につき
1
目の前を駆ける二つの影があった。
影はぶつかり合いながら移動を続けていた。道端に腰を抜かしたまま、
今、目の前で行われているそれは、紛れもなく死闘だったからだ。
「くっ」
少なくとも、緑色の髪の毛をした全身の皮膚に鱗のようなものがついている男は相手を殺そうとしていた。
その気で行かないと、自分が殺されてしまうのではないかと怖かったのだろう。男は鱗の付いた右手で、額から流れ出る汗を拭う。そのぐらい、強さは圧倒的だったのだ。
女は光沢のある白髪の長い髪の毛を風に靡かせていた。
花でも近くに咲いているのか、風と共に花弁が舞う。そして女が呼吸をするたび、吐く息に翻弄されるように花弁がちらちらと舞い踊る。その光景は実に不可思議で、神秘的な美しさがあった。
「あの、一般人を巻き込みたくないのです。場所を移しませんか」
女の言葉に、男が雲雀のことを一瞥してくる。鋭い眼光が突き刺してくる。その眼は人間ではない何かだった。
「ああ、いいぜ」
男はそう言って突然森のある方向に走り出した。女から逃げるようだった。
後を追いかける女。男の走りはやはり人間離れしていた。
あっという間に見えなくなる。女も懸命に走っていたがなかなか視界からは消えなかった。
雲雀は深呼吸をして心拍数を落ち着かせると、ゆっくりと立ち上がった。まだ足が震えていたが、何とか歩けそうだった。それにしても先ほどのは何だったのだろうと、冷静になって考える。
見た所、男は人外の生物であるようだった。あの鱗からして恐らく竜人の類だろう。別段竜人を見るのはこの街ではそんなに珍しいことではない。
都市の半分が大きな森に侵略されているのは、大昔この都市の偉い人と竜人族の偉い人が共存協定というものを結んだためだとか。学校で習った。
竜人族は普段は森で暮らしていて、街に働きに来る竜人もいるものだから、街で竜人が暴れているのもそんなに珍しい光景ではないのだ。
だが、雲雀が気になるのは女の方だ。一見可憐で清楚なお姫様のようだったが、竜人の押されようを見ていると、ただ者ではない気がする。
そして何より、落ち付いて周りを見渡すと、この辺りには草木の一本も生えていない。つまりあの花弁が彼女の周りを舞っていたのは可笑しなことなのだ。
雲雀は面白いものを見つけた子どものような生き生きとした顔で、女の後を追って走り出した。雲雀の心は先ほどの可笑しな女への好奇心で溢れ出そうだった。それにあの竜人族の男も、竜騎士を目指している雲雀にとっては、十分に興味をそそる材料に成り得た。両方への好奇心が、雲雀の足の原動力になっていた。
もっと見たい。もっと知りたい。
森へ入ると、手入れされていない草木が雲雀の行く手を阻む。
しばらくすると、先ほどの竜人族の男のものと思われる馬鹿でかい咆哮が聞こえてきて、雲雀は鼓膜と身体を震えさせた。その音に震えたのはどうやら雲雀だけではないらしく、木々にとまって体を休めていた鳥たちが一斉に空へと逃げるように飛んでいった。
雲雀は急いでその咆哮が聞こえてきた場所を探す。探すと言っても道に迷うのもお構いなしに前へ進むだけなのだが。
「いい加減に、観念してください」
そんな声が聞こえてきて、雲雀は立ち止まった。
それは先ほどの女の声だった。雲雀は彼女の姿を捉えると、足音を立てない様に移動して、樹の陰に隠れた。
「意味がわからん」
そこには女以外に人影はなく、代わりに大型の竜が女の目の前で翼を広げて鎮座していた。おそらく先ほどの竜人が人型ではなく完全体と呼ばれる巨大な蜥蜴のようにも見える姿に変身したからだろう。竜の大きさを見るに、竜騎士志望としては血が騒ぐ。こういう大きな竜に乗るのが雲雀の夢なのだ。
人型の見た目に反して、この竜は結構な年数を生きているのではないだろうか。雲雀は興奮した。森は、竜にとっては実家の庭みたいなものだろう。女は敢えて自分が不利になるように竜を移動させたのだろうか。
そう考えて雲雀は不安を覚えた。もし、女が竜にやられて死んでしまったら自分にも危険が及ぶ可能性がある。
そんなのは嫌だ。俺はまだ人生の中盤にも差し掛かっていない十七歳の若人なんだ。夢もあるし、もっと面白いことや楽しいことをしたい。だがどうする?
雲雀は自問自答を繰り返す。好奇心をとるか、自分の命をとるか。究極の選択だった。
不意に、女が溜息を吐いた。
「ついてきてしまったんですね。そこに居るのはわかっています。出てきてください」
女の言葉に、雲雀の心臓が跳ねた。バレていたらしい。
雲雀は顔をしかめながら女と竜に姿を晒した。学校帰りだったので制服と学生帽を被っていた。学生帽の唾を少し動かして顔が隠れる位置に持ってくる。
「ども」
雲雀は帽子の唾を持ったまま少しだけ頭を下げた。
「せっかくあなたに迷惑が掛からないように移動したのに、無駄足になりましたね」
そう言って、女は少しだけ微笑んだ。
「せめてそこを動かないようにしてくれると、お仕事の邪魔にならなくて助かります」
「あ、はい。すみません」
雲雀は女の言葉に頷き、苦笑いした。迷惑がられているようだった。
それから彼女は目の前の竜に向き直った。
「私は別にあなたを殺そうとしているのではありません。生かしたまま捕獲しようとしているのです」
女が凛とした表情で言った。
竜が見下ろしながらその眼で女を睨みつけていた。
「捕獲して、その後は?」
「あなたを警察に引き渡すつもりです」
この竜は一体何をしたのだろうか。そして女は何者なんだ。
雲雀は様々な疑問を二人に投げつけたかったが、話に割って入れる雰囲気ではなかった。
女が身に纏っていた薄での上着のポケットから、何やら紙を取り出した。それを竜の目の前にちらつかせる。女は真剣な表情で竜を見上げていた。
「何だこれは」
竜が低く唸り声を上げる。
「字が読めませんか?」
女が問う。
「ああ、俺は字が読めん。生まれも育ちも竜人族の村だからな」
自慢するように竜が言ったが、そんなことには気にも留めずに女は説明した。
「そうですか。では単刀直入に言いますね。あなたは指名手配されてます。これはその手配書です」
「指名手配?」
竜が女の言葉にその大きな首を傾げる。
「あなたは街で人間を殺しましたね。それは規則違反です。警察や、賞金稼ぎがあなたを狙っています」
「俺が、人を殺しただと?」
「はい」
竜の唸るような声に、女は冷静に頷いた。
雲雀はその場に立ち尽くしていた。
女の話では竜が指名手配されていて、それを狙っている警察と賞金稼ぎがいて。ということは、警察官には見えない風貌をしているこの女がその賞金稼ぎの一人ってことだろう。
「馬鹿な事を言うな。俺は人なんか殺した覚えはないぜ」
「殺人犯は皆、一度目はそう言いますね」
「俺は二度目も言うぜ」
「三度目は?」
「三度目もだ。何度聞いたって同じだ。俺は、殺人を犯していない。何かの間違いだ」
「本当に?」
「ああ」
「なら何故逃げるの?」
女の質問は最もだった。
本当に何もしていないのなら、竜は女から逃げる必要はないはずだ。ましてや反撃する必要もない。
「それはだな。お前が怖い顔で追ってくるからだろう」
「怖い顔?」
「すごい怖かったんだ。逃げずにはいられなかった」
女は竜の言葉に首を横に傾げていた。
それに関しては雲雀も竜に同情せざるを得ない。傍から見ていても怖かった。得体のしれない力を持つものに追い掛け回されたら誰だって怖い。
女が手配書をポケットに戻す。
「とりあえず、逃げないように拘束しておきますね」
女が微笑みながら言う。
「まず、その笑顔が怖いんだよ」
竜が突っ込むのも待たずに、女が両手を胸の前で組み合わせて、「捕縛して」と呟いた。すると竜の短い足元の地面から、植物の茎のようなものが突然生えてきて、竜の身体を這うように伸び、茎同士が複雑に絡み合い、それを拘束した。茎は竜の首元まで伸び、そしてその茎から何個も花の蕾が生えてきたと思うと、次の瞬間にはそこから薄いピンクの花を、鮮やかに咲かせていた。それは俄かには信じられない光景だった。
雲雀は目を丸くするしかなかった。それは竜も同じだったようだ。
「あんた、何なんだよ」
体を拘束されて、全く動けなくなってしまった竜が女に問い掛ける。
それは雲雀も知りたかった。
「私はただの、しがない古本屋の店員です」
女がそう言って微笑んだ。
「はぁ?」
そう声を上げたのは、竜ではなく雲雀のほうだった。人の好奇心を弄んどいて、終いにはそんなふうに誤魔化されたのだ。それは声も荒げる。
女が少し驚いた顔をして雲雀の方を見る。
「あなたも知りたいんですか?」
女の質問に、雲雀は大きく頷いた。
「そのために追いかけてきたんですよ」
「仕方がないですね」
そう言ってから、女は右手に握り拳を作って「咲いて」と呟いた。
それから女は右手の拳をゆっくりと開いた。するとそこには、一輪の真っ赤な薔薇が現れていた。雲雀と竜はその光景にもう一度目を丸くする。
「これは、あなたにプレゼントです」
そう言って女が雲雀の方に近づいてきて、その薔薇を手渡してきた。棘に刺されないように気を付けながらおそるおそる受け取る。
「あなたは……」
「私は、華士です」
「はなし?」
雲雀は女の言葉を鸚鵡返しする。
「聞いたことありませんか」
「ないです」
雲雀は首を横に振った。
拘束されて動けないが、竜も首を傾げたいようだった。
「そうですか。華士と言うのは、今みたいに体から花などの植物を生み出せる能力を持ち、なおかつその力を使う者のことなんです。これは魔法士さんたちみたいに外部から力を得るものではなく、血筋から来るものなんです。生まれつき植物に愛され、その力を与えられているのです」
華士のざっくりとした説明に、つまり自家発電か。と、雲雀は変な解釈をした。
そんな力のある一族の話など聞いたことはなかったし、彼女の行動から察するに、元々裏社会で重宝されてきた職業らしい。
ちなみに魔法士というのは、簡単に言ってしまえば竜人族と共に森に住んでいる妖精の持つ力を借りて魔法を使う職業だ。火、水、風、土。その四種類の不思議な力は様々な現象を起こす。例えば何もないところから火が出たりする。
魔法士の中には治癒士と呼ばれる治癒魔法専門の魔法士がいて、その人たちは主に病院に勤めている。魔法士の大多数が治癒士として病院で働いているのが現状だが、その他の魔法士は闇世界で悪事を働いているという噂だ。政府はその存在を黙認している傾向にある。ただ、この魔法というのは誰にでも使えるものではない。才能のあるなしで、魔法が使えるか使えないかが分かれる。幼少のころに知能テストと共に魔法テストが実施され、その資質が試されるのだ。
だから華士という存在はとても異質だ。
何せ魔法を使うのに必要不可欠な妖精の力を借りずとも、その力が使えると言うのだから。
「そうか」
不意に、竜が口を開く。
「華士と呼ぶのは知らなかったが、植物に愛された人間の話を長に聞いたことがあった。植物に愛された故に力を使い過ぎると植物と一体化して死ぬらしいな。いいのか? こんな仕事をしていて」
「そうですか。私はいいのです。私は人のために力を尽くして、それで死ねたら本望ですから」
華士のその一言は、とても重く感じた。それが彼女の決意みたいだった。生まれたときから自分の運命を悟ってしまったような、そんな寂しさが込められているのだろう。死を覚悟しながら仕事をやっているのかと思うと、雲雀は胸が痛んだ。
「ところで」
「はい?」
竜に向かって華士が首を傾げる。
「この拘束を解いてくれないか」
「それは、あなたがもう逃げないと誓うのなら」
華士の言葉に、竜はため息を吐いた。
「わかった」
答えるのを待つように、竜の体を包むように咲いていた花がしぼみ、茎が地面に戻っていった。まるで巻き戻し映像を見ているようだった。身体を解放された竜は、自ら人型に戻った。竜の姿から人型になるその光景は、何度見ても慣れないものだと思う。
「さっきの話なんだが。俺は本当に心当たりがないんだ。殺されたのはどんな奴だ?」
改めて無実を主張する竜に、華士は再び上着のポケットに手を突っ込んで、今度は手配書ではなく小さな写真を取り出して、竜人に見せた。
竜人はまじまじとそれを見つめる。
「この男……どこかで見たな」
「ではやはりあなたが……」
「だから違うって」
華士は困った顔をしていた。
雲雀も華士の持っている写真を覗いてみる。
そこに映っていたのは、白衣を着た細身の男性だった。白衣を着る職業が頭の中で色々と思い浮かぶ。
竜人は首を傾げながらその男のことを思い出そうとしているようだった。
「あ」
必死に思い出そうとしていた竜人が突然声を上げる。
「思いだしましたか」
「こいつ、二日ぐらい前に見たな。確か、もう一人誰かと一緒に居たような気がする」
「それはどんな人物でしたか」
華士は期待の眼差しを竜人に向けていた。
「確か、小太りの男だったような」
「なるほど。それにしても、何故あなたは街に出ていたんですか。先ほど、あなたは生まれも育ちも竜人族の村だと言っていましたよね。つまりそれ以前は村から出たことがなかったことになります。死体が発見されたのは、街中なんですよ」
華士が疑問を口にする。確かにそうだ。
「俺が街に出ていたのは、仕事を探していたんだ」
「そうですか」
言い難そうに竜が言うのに対し、華士はすんなり受け入れた。それから華士は少しだけ考える仕草をしてから言った。
「仕事を探しているのなら、私の古本屋で働きませんか。丁度、人出が足りなくて困っていたんです」
華士が竜人に向かって微笑んだ。
「遠慮しとく」
竜人はその笑顔を見て即答した。
いや、これは雲雀でも遠慮したくなるかもしれない。何か裏があるのが見え見えだからだ。
「何故ですか? 時給は弾みますよ」
「金の問題じゃない。あんたの企みの問題だ」
「何も企んでいませんよ。ただ、本当に人手が足りないんです。それに……あなただって困るんじゃないですか。仕事がないと。いいんですよ? あなたが仕事を断るのなら、私はあなたを警察に連れていってお金にしますから」
「それ、脅しじゃないですかっ」
雲雀は我慢できずに華士に突っ込みをいれる。
華士の怖いぐらいの笑顔に、竜人は渋い顔をしていた。
「これは、あなたの身の潔白を証明するためのチャンスなのですよ。あなたが古本屋で働くことによって、あなたは私の手伝いをすることになるのです。つまり、裏の仕事にも協力してもらうことができる。どうです? 私に協力して、一緒に真犯人を捜しませんか」
それは竜人にとって思ってもみない申し出だったのだろう。竜人は口角を上げて言った。
「犯人を捜せば俺の無実が証明できるなら、いくらでもあんたに協力するよ」
そうして、二人は手を組むことになった。
その瞬間を、雲雀は間近で見ることになった。これはチャンスだと思った。雲雀は気持ちが抑えられなくなる。
「お、俺も何か手伝います!」
雲雀はその一言をついに発する。
「俺、実は竜騎士になりたいんです。だから何かお役に立てるかもしれないし」
雲雀の発言に華士も竜人も驚いている様子だった。雲雀は興奮しながら竜人に向かって言葉を続ける。
「だから、あの。俺の竜になってくれませんか」
雲雀は以前から、竜騎士というものに憧れを抱いていた。
だから騎士になれる学校でマイナーとも言われている竜騎士科に入った。けれどそこでの勉強は厳しいものだった。何よりも実技で相方に宛がわれる竜は中型の竜なのだ。先ほども言ったが、雲雀は大型の竜に乗って大空をかっこよく舞うのが夢なのだ。
しばらく沈黙が流れた。それから竜人は口を開いて雲雀に向かって言った。
「お前に俺は乗りこなせないよ」
雲雀はその言葉に、嘆息を漏らしたくなった。だが諦めきれなかった。これは雲雀の悪い癖である。だが時にはいい癖になるはずだった。
「そんなことわからないじゃないですか。俺、頑張ります。こう見えて、実技は得意なんです」
「だから、どんなに頑張っても俺はお前を乗せる気はないし、お前が俺を乗りこなせるとは思えない」
切り捨てるように竜人が言う。
雲雀は竜人の態度に一筋縄ではいかないような気がしたが、決して諦めるものかと思う。こんな時は自分の欲望を満たさないと気が済まない性格で良かったとさえ思う。
華士がまた何かを考える仕草をみせている。
「人手は何人あっても助かるので、私は手伝ってくれるという人は大歓迎ですよ」
「本当に?」
雲雀は華士の言葉に顔を綻ばせる。
「ガキなんか足手纏いになるだけだぞ」
竜人がきつい口調で華士に向かって言う。雲雀はその言葉に少し頬を膨らませる。
「足手纏いにならないように頑張りますから、手伝わせて下さい」
そう言って、雲雀は華士に向かって頭を下げた。華士を味方に付ければ、竜人にだって勝てると思った。
「よし、じゃあ二人ともついてきてください」
華士がそう言って、偉そうに腰の右と左に両手を乗せていた。
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