第14話 手ががりは日蔭に

「く、詳しく聞かせてくださいっ!」


 静に詰め寄り、栞は彼女の肩を掴んだ。落ち着いて、と静に声をかけられるが、栞の心臓はばくばくと音を立てる。なおの安否が気になる。もしや、片桐七緒に攫われたのじゃないのかと、不安で押しつぶされそうだ。静が促すように舞を見やると、舞はおずおずと口を開く。


「放課後にね、静さんと一緒にアイスクリームショップへ行きましょうって話になったんです。ほら、私たち、同学年なのにお互いをよく知らないでしょう? 折角だし、お友達になりたくて。それで、外履きに履き替えようと思って玄関ホールに居たら、なおさんみたいな女の子が誰かに担がれて校舎裏の方へ行ってしまったのを見かけたんです。他の家には干渉しないのがルールだと解ってはいるんです。けど、あなたにはお世話になったから伝えなきゃと思って」


 みたいな、という点が気になりつつも、栞は舞に尋ねる。


「なおらしき女の子を担いでいたのが一体誰かはわかりますか?」

「それが誰なのか私もよくわからないんです」

「……上履きの色が、一年生の色だった。髪も、茶色くてふわふわ」


 静の話を聞いて、栞はほっと胸をなでおろした。片桐七緒は茶髪ではない。少なくともあの危なげな少年の魔手に落ちたわけではないことがわかっただけでも、栞にとっては大きな収穫だった。


「なおさんかもしれないし、違うかもしれないですよね。でも、どうしても気になってしまって……」

「いえ、ありがとうございます。なにも知らないままよりずっといいです」


 なおからのメッセージが無いかどうか携帯電話を確認しても、特にそれらしきものはなかった。静や舞を疑うわけでは無いが、本当にその女生徒がなおだったかという確証は、二人には無いようだった。栞は簡単なメッセージをなおに送り、反応を待つことにした。


「もしかしたら、別の生徒だったかもしれねーですけど……とりあえず、明日学校になおが来るかどうか確かめてからにしてみます」


 結局その日、なおから返信が来ることはなかった。丁寧に舞と静に礼を述べて二人をエントランスまで送り届け、譲にさっきの話の続きを促そうと家に戻ると、すでに譲の姿は消えていた。机にメモが置いてあり、“急患が入ったから出かけて来る”とあったので、恐らく今日は戻ってこないだろう。大事な話の途中ではあったが、人命の無事には変えられない。栞はモヤモヤとした思いを抱えながらも、眠る兄の毛布を掛け直し、夕飯の支度に取り掛かった。






 翌日、四限になっても現れないなおを心配して、栞は校舎を抜け出した。なおを見かけたという場所を教えてもらった栞は単身その場所へとやって来た。後者裏へ続く道は薄暗く、鬱蒼と生い茂る森の中へと続いている。勇気を出して足を踏み入れ、傾き行く太陽をちらりちらりと横目で見ながら深い森を進んで行く。

 不意に視界がひらけた。枯れ朽ちた花々が石畳を囲んでいる。突如として現れた道の先には、廃墟になっている建物があった。外壁は蔦が絡みあい、ぼろぼろになったコンクリートと相まってある種の美しさを感じさせる。ぼう、と魅入られるようにその景色を眺めていると、背後からがさ、と物音がした。栞は勢い良く振り返る。


「誰ですッ!?」


 振り返りざまに、ポケットに入っていた蟹ばさみを音のした方向へと投げつける。ビュッ、と風を切って飛んで行ったそれが、茂みをかき分けざくりと土に刺さる。近くの低木の影から人影が転がり出て、


「わ、わ、わ。危ねえな! 何するんだよ!」


 避難がましく栞に叫んだ。ふわふわとした茶髪の髪の少年だった。静と舞の目撃した少年だろうか、栞は疑わしげな眼差しを向ける。


「そこのあなた、ポニーテールで胸の大きい女生徒をこの辺で見ませんでしたか」

「『見てないけど』」


 男子生徒は栞から目線をそらしながらそう言った。何故目をそらされたのかわからず、栞は男子生徒の目を覗き込んだ。


「じゃあ、片桐七緒という名前に聞き覚えは」

「『無いな』」


 今度はぎゅうと目を瞑りながら彼は言う。怪しさ満天だった。演技をするような仰々しい物言いの少年は、栞に自分の目を見られたく無いようだった。ふむ、と考え込み、栞は質問を繰り返す。


「あなたの名前は?」

「……言えない」


 少年はふわふわとした茶髪を揺らして、首を振る。ばつの悪そうな表情に、栞は引っかかるものがあった。ふと、カチリと頭の奥で歯車が噛み合う音がして、一人の名前が浮かび上がる。


「ひょっとして、あなたが――『五位鷺千蔭』?」


 パキン、と何かが壊れるような音がする。見れば、少年の首にかかっていたペンダントトップの翡翠色をした宝石にヒビが入っている。

 突然、少年は親指をがり、と噛んだ。血のついた指で宙空に簡単な陣を描く。術式から察するに、沈黙の陣--外部に言葉を漏らさないための簡易的な結界だ。若緑色に輝く陣をくぐり抜けると、彼は栞のことを手招く。どうやらくぐれと言いたいらしい。罠かもしれないが、悩んでも始まらない。栞は陣を一息にくぐり抜ける。ぶよん、と柔らかい手応えを越えると、ゼリー状の空間が広がっている。数歩先に立っている少年が栞の方へと向き直って大きくため息をついた。


「助かった……! ああ、そうだ、俺が五位鷺千蔭だ。お前が気づいてくれてよかったよ!」


 心の底からホッとしたような表情で、少年は栞の手を取る。微かに汗ばんだ手のひらは栞よりも大きい。千蔭と名乗った少年は、廃墟となった建物とは別の方へ栞を導こうと歩みを進める。


「いきなり手を掴まないでくださいっ」

「悪いっ! でも急いでくれ《本の栞ブックマーク》。早くしないと、なおちゃんが危ないんだ」

「なおのこと知ってるんじゃないですか!」


 早足で進む少年は、栞に追及されて顔をしかめる。


「言えなかったんだよ!」

「あなたが攫ったからでしょう!」

「俺じゃない! ……信じてくれ、本当になにも言えないんだ」


 懇願するように吐き捨てる少年の瞳はけれど、どこまでもまっすぐな色をしていた。栞は虚を突かれて、ぱちくりと瞬きをする。


「言えない?」

「……ちょっとついて来てくれ、歩きながら話すから」


 木立を抜けて、光さす方へと向かえば元の校舎が見えてくる。


「何か、あるんですか」


 イエスともノーとも言わず、千蔭は昇降口をくぐり抜けて廊下の奥へと進んで行く。


「えっと、《本の栞》はA組だよな?」

「その呼び方やめてください、白鳥でいいです。あってますよ」


 千蔭に摑まれた手を振りほどいて、栞はスカートの裾で汗を拭う。うへー、という顔をした栞を見て千蔭は申し訳なさそうな顔をしたが、軽く咳払いをして少年は話を続けた。


「じゃあ、白鳥。数学の補習かかったことあるだろ。テキスト、まだ取ってあるか?」

「ええ、まあ。来週までに提出なので、まだ机の中に」

「取って来てくれ」


 栞はあからさまに嫌そうな顔をしたが、捨てられた子犬のような瞳で見つめられると、なんだかかわいそうな気持ちになってくる。テキストを見るだけならいいか、と呆れながらも自分の机を漁る。整理整頓された机の中からいくつか教科書を取り出すと、一番下にそれはあった。


「これですよね? 特になんの変哲も無い普通のテキストじゃないですか。書いてあることなんてわたしの名前と、先生の名前が……」


 表紙を見て、栞は息を呑んだ。


 “高等部第一学年担当、数学科:五位鷺陽一”。


 ぞわり、肌が粟立つ。


「五位鷺って……鳥の名前……! ってことは、あの性格の悪い数学教師も言詠なんですか!?」


 瞬間。千蔭のペンダントトップの宝石が、栞の言葉に反応するように砕け散った。からん、ころん、と音を立てて、欠片となった翡翠が教室のフローリングへと落ちていった。夕陽を浴びて光る宝石を忌々しげに眺めて、千蔭は頭をぽりぽりと掻く。


「はあ、やっと話せる。そうだよ、俺の魔術師としての名前は五位鷺なばり。お前に自分でこの事実に気がついて欲しくてさ、まどろっこしい真似して悪いな。兄貴——五位鷺陽一にちょっとばかし呪いをかけられてね。白鳥家に味方する人間に対して、本当のことが言えなかったんだが、これで話せるよ」


 栞の隣の席に腰をかけて、千蔭は少しばかりニヒルな微笑みを浮かべる。栞は慎重に、千蔭に問いかける。


「なおが、あなたのことムカつくイケメンだと言っていましたが、何したんです?」

「ちょっとばかし妨害を。兄貴の、って言うか烏丸家の命令に俺たち――五位鷺家は逆らえないんだ。で、なおちゃんがちょこまか動くから邪魔してこいって言われてさ」


 意気地なしって言われたよ、と少年は自嘲した。


「どうして、私じゃなくてなおを邪魔してたんですか」

「どうしてって……お前を妨害するのには、他に適役がいたからさ」


 適役、という言葉が引っかかる。瞬間、前日のことが思い出されて、びくりと体が小さく震えた。黒髪、赤い瞳。ぞっとするほど美しいかんばせと、己の心を縛り付ける言葉の数々。


「片桐、七緒のことですか」

「そう。俺とあいつでお前を邪魔するのが、俺たちの仕事だった」


 幼馴染なんだよ、あいつと。そう呟いて、千蔭はおもむろに席を立ち上がる。閉じていたカーテンを開けると、夕陽がゆっくりと傾いていくのがよく見える。


「烏丸側の人、だからですか」

「ああ。五位鷺家は随分前から烏丸家の言いなりでね。白鳥家の後継者が最高位にならないようにしてくれって頼まれちゃ、やるしかなくってな」

「じゃあ、どうしてわたしにそんなことを教えてくれるんですか」


 斜陽を見つめていた千蔭が、振り返る。長い影が伸びて、栞を照らす夕陽を遮った。


「お前に兄貴を倒して欲しいんだ」

「五位鷺先生を?」


 名前と容姿が結びついていなかったが、今の栞にははっきりとその教師を思い出すことができた。五位鷺陽一は数学科の教師だ。それなりに見目が整っていて、言われてみれば眼前の少年の面影がある。少しちゃらちゃらした話し方なのが同世代の女子に受けるのか、栞の近くの席の女の子たちはこぞって彼の噂をしていた。かっこいい、顔がいい、彼女はいるのか、もっと話をたくさんしていたい、付き合ってみたいなどの言葉をたくさん聞いたような気がする。もっとも栞としては、スーツ姿で教壇に立ち、問答無用でめちゃくちゃな量の課題を出された悪い想い出しかないのだが。


「俺の家の――つまり、五位鷺家の承認判を持ってるのは兄貴なんだ。だから、兄貴を倒してなおちゃんを助けてほしい。あの子を攫ったのは兄貴だから」


 千蔭の言葉に引っかかる。舞も静も、なおを担いでいたのは学生だったと述べていた。けれど、先ほどもそうだったが、眼前の少年は自分ではなく教師が行ったと主張する。妙な食い違いが気になりつつも、栞はそれより気になることを訪ねていた。


「どうして、なおのことを心配してるんですか? あなたは関係ない人なのに」


 首を傾げながら問うた栞の言葉に、千蔭はかあ、と夕陽よりも顔を赤く染めた。色恋沙汰に鈍い栞でも流石にわかる反応だった。


「それは、その」

「……なおのことが好きなんですね」


 突然しどろもどろに慌て始める少年に向かって、栞は容赦無く事実を突きつける。そうだよ、と答える声は力無く、千蔭はがくりとうなだれた。


「けど、俺じゃダメなんだ。立場的にも、能力的にも、兄貴に勝てない。なおちゃんを助けてあげられない」


 瞳が翳る。


「だから頼むよ、白鳥。お前だけが頼りなんだ」


 栞の口からは、知らずため息が出ていた。呆れた、と言葉が漏れる。そんなになおが好きなら、自分の手でどうにかしようという発想には至らないのか。文句の一つや二つ述べてやりたい気持ちに駆られるのをグッとこらえ、不満を一言に押し込める。


「随分と身勝手な野郎ですね」

「どうとでも言ってくれ、事実だからな。でも、なおちゃん助けたいだろ?」

「当たり前です。あなたに言われなくともそのつもりです」


 栞は唇を尖らせた。


「わかった。じゃあ、戻ろう」


 教室の扉を開け、二人は早足で廊下を進んでいく。ずんずんと歩調を早めていく栞に、千蔭は後ろから声をかけた。


「なあ、白鳥。お前烏って好きか?」


 突然投げかけられた疑問に、靴を履き替えながら答える。


「鳥のですか? ええと……嫌いじゃないと思いますけど」


 烏丸家とは確執があるものの、烏自体はそんなに嫌いではない。むしろ好きな方だ。ぴょんぴょんと跳ねながら移動するのも、意外に人懐こいところも、愛嬌がある。そこまで考えて、頭がちり、と痛む。はずなのだが、と栞は眉根を潜めた。


「そっか。なら、いいんだ」


 安堵するような千蔭の声色が、妙に耳に残る。上履きを下駄箱にしまってローファーを踵で打ち鳴らし、二人は森の奥へと飲み込まれて行った。






 朽ち果てた旧校舎のある教室で、雨燕なおは拘束されていた。後ろ手を縄で縛られ、能力が発動できないように魔力封じのペンダントを首から下げられている。翡翠の色が、ぼう、と淡く光っていた。


「今に栞ちゃんが助けにきてくれるもん」

「あははは、威勢のいいお姫様だなぁ」


 軽薄な調子で、男はけらけらと笑う。大きな声で笑っているが、その目は油断なくぎらついていた。


「生徒が教師に勝てると思う?」


 嘲るような言葉の響きに、なおは男を――五位鷺陽一を睨みつける。

「勝てるよ。栞ちゃんは、あなたみたいな人に負けない」


 その言葉の真っ直ぐな響きが気に食わないのか、陽一はすっと表情を消す。感情のない瞳でなおを見つめ、


「さぁて、どうやってその希望をへし折ってやるか、今から楽しみだなぁ」


 楽しみとは程遠い不穏な響きが、使われなくなった校舎に響く。

 なおはぎゅっと目を瞑って、栞の無事を祈ることしか、できなかった。

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