恐る恐るではあるが、彼女も仕方がなしにThe Mannequinの扉を開く。


館の中は、沈鬱な暗闇に包まれていた。触ったら煤が付くのではないかと勘違いするくらいに、深い漆黒である。


「ねえ和子、どこいったの?」


不安げに辺り見回す。


かび臭い淀んだ空気が、フロア一帯に充満している。店舗が営業している様子が全くない。


和子は一歩一歩を踏みしめながらThe Mannequinの内部に侵入していく。


ぎし ぎし ぎし と、床の軋む音が嫌に響いた。


「もう帰ろうよ・・・・」


不安の混じった和子の嘆願は、闇の中へと消えていく。


「泉?」


和子の目の前に、泉らしきぼんやりとしたシルエットが現れる。


店内は、窓から照らし出される月光だけが光源だった。


微かな幽玄たる漏光が、彼女を艶めかしく映えさせる。


「さあ、もう帰ろう。また今度、他のエステサロンを探そうよ」


和子は泉の手を取った。



「・・・・・・・!」



彼女の手を握ったとたん。掌から電流が疾走し、背筋を伝わり全身が震え慄く。


泉の手が、無機質で陶器のような肌触りを宿しているのだ。



「い ひ あああ」」



和子は喉の奥から奇妙な声音を発し、血の気の通わない彼女の掌を投げ出した。



ごろん がた



泉のようなシルエットを持つ物体が、不自然な姿勢で床に倒れる。


人間の関節の動きを無視した、軟体生物のような不自然な形状の物体は、ショーウインドウなどに展示されているマネキン人形だった。


「・・・なにこれ、気持ち悪い」


和子は眉をひそめ、その物体を睨めつける。


女性の形をしたプラスチックの物体は、月夜に照らされて*玲瓏の光沢を放つ。


生物に非ざるマネキンの身体は、生命なき石鉱の不気味さと、ある種の妖艶さを漂わせていた。


和子が唖然としてその人形を見下していると。舞台の照明が台本通りに照射されるが如くに、部屋の中が明るくなる。


和子は突如として、鮮やかになった光景に瞼を細めた。


「お客様、お待たせいたしました」


か細い女の声が、どこからともなく聞こえてくる。


いつ、この部屋には入ってきたのだろうか?


部屋の一隅に、幽艶とも言うべき淑女が頭を垂れてお辞儀していた。


マネキンのような白い肌に、清流のような黒髪が、陰と陽とでも言うべき対極美をなしている。


齢は全く見当もつかない。若くもあり、それでいて成熟した大人の艶気を醸し出している、*傾城傾国の美女だ。


「これから、泉様の*転生をご覧いただきたいと思います。どうぞ、こちらへお進みくださいませ」


美女は、恭しく一つの扉を指名する。


それは血のような深紅色で「転生室」と書かれていた。



*玲瓏 玉などが透き通るように美しいさま


*傾城傾国 絶世の美女の例え


*転生 生あるものが死後に生まれ変わること。転じて、美しく生まれ変わるという意味で使わせていただきました。


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