第33話 パンデミック
長い話だった。阿修羅は静かにブランディグラスをテーブルにおいた。稲川は、黙ったまま目を閉じていた。阿修羅は出ていこうと立ち上がった時、稲川は尋ねた。
「赤城はどうなるのか」阿修羅は振り向きもせず答えた。
「赤城は、神々の元へ行くでしょう。そして神々を殺そうとするでしょう。昔から、神と悪魔は戦うものと決まっているのです」
「そうか。それが神と悪魔の本当の関係だったのか。哀れだのう」
「まさか、神の肉を喰えば元に戻れるなんて言うジョークを信じてはいないと思いますが」
阿修羅はニヤリと笑った。そしてクックックッと声を出して笑った。だんだん笑い声が大きくなる。美しい声で大きく笑いながら阿修羅は部屋から出ていった。
世界中はパニックに陥った。醜い悪魔たちが地上に現われたのだ。今まで宗教の中にいた悪魔達がどんどん現れてきた。アジア、ヨーロッパ、アメリカ、中東、南米、オーストラリア、アフリカ。すべての地域に、神のウィルスと阿修羅のウィルスが広まった証拠である。
グローバルパンデミック(世界流行)だ。
14世紀にヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)、19世紀から20世紀にかけて大流行を起こしたコレラ、1918年から1919年にかけて全世界で2500万人が死亡したスペインかぜをはるかにしのぐ大流行だった。
世界中でほぼ同時に起こった神々の出現と、神のウィルスの伝播はすさまじい勢いで広がっていった。しかし、そのおかげで人々は健康になり、戦争もストップしたままになっている。まるで蝋燭の火が、消える前に一瞬、大きく輝く様に似ていた。
しかし阿修羅の誕生は、日本だけだった。阿修羅はまさに特殊な存在だったのだ。しかも性行為でしか感染しない伝播性の低いウィルスしか持っていない。なぜ、極東のアジアに神のウィルスに対抗できる、抗体ウィルスを持つ生命がいるかという疑問の答えはない。
ただ、日本の神の集団がはるか古代より、天皇家と同じ、男系で子孫を存続させてきた事によるのかもしれない。天皇家は古代の神の集団の秘密を知っていたに違いない。それゆえ万世一系という方法を取ったと思われる。純血の流れは濃く遺伝子を伝えていく事になる。それ故に阿修羅が誕生したともいえる。
それは、人という生き物にある集団的な生存本能の成せる現象だったのだろう。他人を食い殺しても自分だけは生き延びたいという、執着心の具現だったとも言える。それは人の遺伝子の欲が生み出した、たった一本の蜘蛛の糸だった。その蜘蛛の糸を頼りに人は登り始めたのだ。
そして世界唯一の阿修羅ウィルスは、見事に鼠算式で増えていった。最初は7人ほどだった阿修羅ウィルスキャリアは、6ヵ月後には約500万人なる計算だ。
人類は、爬虫類が苦手だ。虫もそんなに好かれてはいない。それは、人類が生まれたての頃の恐怖が、原生意識として脳に刷り込まれているからだ。悪魔などの姿形がそれらの形態をベースにしていることが顕著に表している。
阿修羅のウィルスに感染したものたちは、個人差はあれ、2~3日は、淫行作用が働いて活力がアップする。その期間が終わると急激に変身する。規則性はないんだが、どうも自分の一番苦手な生き物がベースになっているようだ。何も知らずに、阿修羅ウィルス感染者と性交した人は、ある朝突然、自分の嫌いな生き物に変身するのだ。
実はこれにはちゃんとした理由があった。異様な姿に変身するのだが、これは擬態である。擬態とは昆虫などが敵におそわれないように姿を変えていることである。人間というのははっきりとした天敵がいない。しかし、本能的に人間が恐怖に思っているもの、それが爬虫類であり、昆虫だ。
更に哺乳類でも、狼、熊、など、更に鳥類など、阿修羅ウィルスは人間が、怖がるものを関知して擬態という反応を起こす。これが変身の理由である。これにより、人間の攻撃をかわそうという本来の意味があるのだが、変身した人間は、自分の異様な姿に仰天してたえられずに錯乱状態になってしまっている。
しかし、中身は人間である。食事も生理機能も人間のままだ。化け物のような姿の者達に、冷静に対応できる人などはいなかった。日本では銃は持てないので、警察が見回りしたり、自営団などが結成されて、戒厳令などが敷かれたりしていた。
外国はもっと直接的だ。悪魔のような化け物に容赦なく銃をぶっ放した。その結果、悪魔達は次第に組織化していき、食料調達など夜、何人かで略奪したりした。闇に紛れて、集団で行動する異形の集団はまさに悪魔そのものだった。
また、変身後は生命力など強力になり、多少の悪条件でもしぶとく生き延びる。銃で撃ってもなかなか死なない悪魔達を見て人間達は完全にパニックに陥った。
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