第26話 ミロク


「真さん。はっきり言いましょう。一族の変身は、確かにゴッドウィルスが関与しています。

 私も一族ですが、現在その兆候がないのは、やはり血の純血性と個体差に時間差があるのでしょう。

 変身した一族の血液検査をしてみましたが、間違いありません。真さんの研究テーマである「隠れ遺伝子」の論文は私も読みましたが、今回のウィルスは、このゴッドウィルスが隠れ遺伝子の引き金を引いたと言っていいでしょう」


真は尋ねた。


「私は、瞑想によるリセットの方法で、隠れ遺伝子の引き金を引いたはずだった。立川流の秘技である性交を弘子と行った。その結果の変身じゃないのか」


真は、弘子のことを思いだした。彼女の柔らかな笑顔と、その愛情を思い出せば、今でも涙が出てくるようだった。そして彼女の献身的な行為で蘇ったのは事実だったからだ。


もしウィルスの感染だけで、進化できるのだったら、今まで修行してきたことと、弘子との努力が何の意味もなかったことになるのだ。


藤堂は顔の曇った真をチラリと見て、話を続ける。


「真さんは、やはりなるべくして進化を成し遂げたというとでしょう。

 たしかにある時がくれば進化できるのかもしれませんが、真さんたちの努力は歴史の必然だったと思います。

 真さんの変身は、ウィルスのせいではないんです。真さんの検査結果を見ても、ウィルスに感染した兆候は見つけられませんでした。

 しかし、ウィルスは存在しています。ということは真さんは自力で進化を遂げ、ウィルスを生み出したと思われます。

 これがどんな意味を持っているのか、はっきり言って私にはわかりません。今回の出来事は私が学んできた、医学の常識を遙かに越した、異常事態なのです。残念ですが、お役に立てそうもありません」


実直な藤堂医師は、実にすまなそうに真にいった。


「そうですか」


長い沈黙の後、真は、ふと我に返った。


「先生。もう一つ聞きたいのですが。ミロクのことです。ミロクの無性はどんな意味があるのでしょう」


藤堂医師はまたまた困った顔をした。


「ミロク様ですね。精密検査をしましたが、真様と同じようにウィルス感染の兆候は全くありません。しかし、真さんと同じように、驚くべき事実がわかりました。ミロク様はたぶん人ではありません」


「人ではない・・」真は絶句した。


「そうなんです。ミロク様は人がそばにいる時は、生きているのですが、みんなが寝静まると呼吸を止めてしまいます。

 つまり眠るのではなく死んでいるのです。しかし、一族の誰かが目を覚ますと、呼吸を始めます」


「そんな馬鹿な」あまりにも突拍子もない報告だ。


「わたしも、何度も調べましたが間違いありません。その事と無性というのは何か重要な意味があるのでしょう。私の知識の中でこんな生態を持つ生物がひとつだけあります。それはウィルスです」


ウィルスの不思議さは真も知っている。ウィルスは生き物のように言われているが、いろんな点で生物とは違う。ウィルスは単独では増殖できない。


特定の細胞に寄生して増えていくのだ。さらに自分ではエネルギーを生むことが出来ない。宿主のエネルギーを使うのだ。ウィルスの結晶化の成功によって、今でもウィルスが生物か物質かいう議論が行われている。生き物でもなく物質でもないものそれがウィルスである。


「しかし、ミロク様がもし弥勒菩薩様の生まれ変わりなら、どんなことがあっても不思議はありません。この事実が本当なら、言い伝えの弥勒菩薩はウィルスということになります。

 我ら一族の変身とミロク様の誕生。まさに予言どおりではありませんか。人類救済の時が今訪れたのです」


藤堂医師は一族の中でも、きわめて冷静な男だった。しかし、この異常事態に今までの知識が追いつかないことを理解していた。


「そうだな。我々は大きな神の意志に動かされているのだ」


真は大きく深呼吸した。


ついに来るべき時が来たのだ。



一族の長である真が何の行動も起こさないので、皆はいらだちや不安で重苦しい雰囲気だった。


そんな中で、不思議な赤子のミロクの成長が一族に期待を抱かせているのだ。


ミロクは保育器の中で驚くべき成長を遂げている。乳児というのは猿のような顔をしているものなのだが、ミロクの場合は生後3日目で、何とも愛くるしい顔立ちをしていた。


さらに保育器から出して、美春は母乳を与えようとしても、ミロクは母乳をほしがらなかった。藤堂医師は、ミロクを何度も検査したが、きれいな内臓があるだけだった。ミロクが何故食事をしないのか。栄養源はどうなっているのかは、さっぱり解らなかった。


最初、美春はお乳をほしがらないミロクに狼狽したが、藤堂医師らの医療班の綿密な診察と助言で、もう慣れてしまったようだ。


さらに一族の生理に反応して、生きたり死んだりしていることや性器がないことも知れ渡っていたが、考えてみれば仏様は男でもなく女でもないのだ。それにミロクは生き死にを超越している。誰ともなく「弥勒菩薩」の誕生を確信していたのだ。


弥勒菩薩は、梵名マイトレーヤという。


「ミロク」は弥勒菩薩様だ。


一族みんなは、口に出さないけれど、そう思いこんでいた。


ミロクは誕生して1ヶ月ほどでなんと立ち上がっていた。体つきも5才ほどの子供の身長になっている。


そして、生まれてから56日7時間後に言葉を発したのだ。赤ちゃんの声ではない。それは、言葉と心に同時に届く声だった。


ミロクはつぶやくように言葉というか、音のようなものだったのだが、なんども繰り返す内に、はっきりとしたメッセージとなった。


分厚いドアのある医療室からそのメッセージはまるでテレパシーのように、どんどん広がっていったのだ。


「人に会え、そしてふれよ。我らが、彼ら民の道をしめすのだ」


荘厳なる空気が一族の頭の中に直接伝わっていった。

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