第22話 ゴッドウィルス
カルフォルニア海洋生物研究所
ヘレンのオフィスには、ここ半年の間、様々な情報が送られてきていた。パソコンを見つめ、データーを処理している。
キーボードの横に置いてある、インスタントコーヒーを入れたマグカップを時折口にもっていく。縁なしの眼鏡の奥の目の回りは、徹夜続きで少し黒くなっている。
ふぅーとため息をつく。
「マリー。なんか食べない。もうすぐお昼よ」
奥の机で同じ様なパソコンでの作業していた助手のマリーが顔を上げた。
「そうね。ビザでもとりましょうか」
「私はアンチョビが良いわ」
それにしても、集まってくるデーターがどれもこれも、突拍子もないものばかりだった。古生代の種の復活という「カンブリアシンドローム」と呼ばれる現象の本格的調査が大詰めにきている。
古生物アカデミーへの報告の期日が迫っているのだ。カルフォルニアの死体で捕獲されたアノマロカリスの幼体に未発見のウィルスが発見された。だがアノマロカリス自体が謎だらけである。詳しい比較など出来るはずもない。しかしこのウィルスが原因だろうということは間違いない。
全て変身した生物達は、このウィスルに感染しているに違いないのだ。まるで風邪を引いたようにあらゆる生物がウィルスに感染した結果、こんなでたらめな変態を起こしているのだ。
ダーウィンの進化論など頭から無視している。
原始帰り現象かともおもわれたが、5億年前の閉ざされた進化の実験場ともいえる形態に戻るということは、考え自体に無理がある。
これは、新種のウィルスによる感染症と考えた方がよかった。しかし、感染症といっても、生物が別の種に短時間に変形するなどというのは、今まで見たことがなかった。
進化そのものの学説が、根底からひっくり返されることになる。原因不明のウィルス性熱病で死んだ20体の猿の調査の結果、これらの猿の染色体の数はすべて46だった。
もしこれらの猿達が、生き残れば人間になってしまったのかもしれない。エイズのように人間に広まるおそれがある。まさにバイオハザードと呼べる緊急事態となる。
今回の事態をヘレンは深く考えてみた。
太古のいろんな時代の命がでたらめといえるほど、唐突に出現している。まさに地球の生命史の見本のような現れ方だった。
45億から5億4200万年前の先カンブリア時代の多細胞生物から三畳紀、白亜紀、石炭紀、ペルム紀といった時代の不思議な命たちの出現。
それは地球のアルバムをめくるような感じさえする。そしてそれらは一度繁栄して、滅んでいった。ビッグファイブと呼ばれている5回もあった大量絶滅を暗示している。
神は6度目の大量絶滅をセットしたのではないだろうか。人は、死ぬ瞬間に、今までの事を走馬灯のように思い出すという。ホーキンズ博士の言う利己的遺伝子論によれば遺伝子自体に意思があるように思える。
もし遺伝子に生き延びていくことへの妄執があれば、大量絶滅を知り、自分たちが滅びることへの抵抗のため、これまで生まれてきた種をよみがえらせ、神にアピールしているかのようだ。今回の騒ぎも、現存している遺伝子たちが死んでゆく前に見ている走馬灯の夢なのかもしれない。
もう夕方の五時過ぎだ。マリーは先ほど退社した。ヘレンは一人残り、コーヒーを飲みながらぼんやりと考え続けている。
なぜ、一度に生物は発生し、進化と呼ばれる変態を繰り返していったのだろう。そして滅んでいく。同じような事を5回も繰り返したのはなぜだろう。
科学の世界はなぜということがわからない。なぜ命が存在するのか。なぜ宇宙が存在するのか、誰も答えは出せない。
出せるのは宗教だけだ。宗教では神という存在が全ての何故に答えを出してくれる。
ただヘレンは科学者であるので、その神の答えにすんなりと納得できなかった。
命が生まれ死ぬ。
それは2進数の0と1。
命は2進数の1なのかもしれない。
地球の命の理由は、その0と1を表現しているだけかもしれない。
生まれる事と死ぬ事だけに意味があり、子孫を残す為だけに人生がある。しかし考えてみれば他の動物はそのように思える。人間だけ特別というのは只の思い上がりだったのかもしれない。
地球上の生き物は、生きて死ぬことでどこかの誰かに0と1の信号を送り続けている。そして、大量絶滅はその信号に何らかのトラブルが発生した時の大規模なリセットなのか。
いや大量絶滅が0でそれ以外は1。
時間も相対的だし、もっと大きなものさしがあるのかもしれない。
だれかがこの地球の信号を受け取っているのかも。
それはやはり神としかいえないのだろう。
あまりに突拍子もない思いつきに、ヘレンはため息をついた。
所詮、わからないことなのだ。
「大量絶滅」を引き起こす「ゴッドウィルス」進化と呼ばれる変態を促進させるウィルス。
彼女はそう命名した。
彼女は、自分の考えを誰かに話したくてメールを出した。ヘレンが只一度だけ本気で愛した男。日本にいる真のところだった。
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