第18話 天使
3日目の朝、一族は眠りから目覚めなかった。70人ほどの子供、女、男達、すべてが静かに眠り続けていた。
見張りの守衛が異変に気づいたのは、朝8時過ぎてからであった。異変は研究室に報告されたが、真の取り調べで、責任者がほとんどいなかった。連絡が赤城に入ったのは、結局、昼過ぎであった。
「馬鹿野郎。なぜすぐ知らせなかったのだ」
赤城は、いやな予感を感じ取っているのだ。2人の部下を連れて、地下収容所直通エレベーターに飛び乗った。一族が、眠りから覚めないのは、種に集団進化が訪れたかもしれないのだ。
真の進化が引き金となって、抑制された、不活性遺伝子が目覚めた可能性がある。
「あんな化けものがいっせいに誕生したら、えらいことだ」
エレベーターが開くと、赤城は走った。一つ一つのドアの監視窓から、確認して回った。確かに眠っている。いや死んだようにも見える。
「子供達の部屋をあけてみろ」
部下は急いでドアを開け、10名ほどの子供達を調べた。
「所長、すべて死んでいます」
赤城は、真っ青になった。
「よし、一人だけ手術室へ運び込め。残りはそのままにして、すべてのドアに見張りを3人ずつ付けろ。それから、立木と会長にこの事を報告しろ。早くしろ」
素早く指令を下すと、いちばん小さな子供を抱き上げた。
「いよいよ、進化の瞬間を調べることが出来るぞ」
事の重大さとともに、研究者としての興奮がわき上がってくる。
「急げ、急げ、急げ」
赤城の声は、収容所に響きわたった。
10分後手術の準備が完了した。
「よし、解剖するぞ」
助手が、メスを赤城に渡したその時である。
スピーカーから、声が聞こえてきた。
「オン、バザラド、バン」
「オン、バザラド、バン」
「オン、バザラド、バン」
不気味な声である。赤城は叫んだ。
「あれは、真だ」
「オン、バザラド、バン」
「オン、バザラド、バン」
低く、強く流れているのは、真言である。それも、金剛界の大日如来の真言だ。しかし誰もその事はわからない。低く、つよく流れている。その呪文に答える反応がついに現れた。
死んだはずの子供の体に赤みがさし始めたのだ。
「所長。子供が生き返りました」
助手が驚いて、叫んだ。確かに、心拍が戻っているのがモニターで確認されている。さらに子供の体の表面が、ぼこぼことうねり始めている。
「よし、睡眠薬を打て」
助手が手際よく、注射器を取り出して、子供の腕に注射針を差し込もうとした。しかし、針は子供の腕に刺さらなかった。皮膚が極端に硬くなっている。
見た目は柔らかいのに針を通さないのだ。助手は焦った。何度も場所を変えて差し込もうとした。結果は一緒である。ついに針を折ってしまった。為すすべもなく、赤城は子供の変化を見守った。
ぼこっ
子供の背中が大きく盛り上がった。
ボコッボコッ
あまりのことに、みんな口を開けたままになった。
「羽が、羽が生えてきた」
子供の背中には、真っ白な大きな羽が生えてきたのだ。それは、まさしく天使の誕生だった。
都内青山の豪華なマンションビルの10階に住んでいる立木は、真をとらえた後から、体調が急に悪くなった。
こんなに体調の悪さを感じるのは初めての経験だった。真を研究所へ連れて帰った後、急に吐き気に襲われた。胃の中のものをすべてぶちまけても、気持ち悪さは収まらなかった。寒気がして、熱が出た。それも、40度近い熱だ。脂汗がしたたり落ちる。
医者に連絡して来てもらったが原因不明とのことで、鎮静剤と、吐き気止め、胃薬、ビタミン剤、ありったけの薬をおいて帰っていった。
入院を勧められたが、立木は大声で怒鳴りつけたのだった。入院など会長にしれたら身の毛がよだつ。体力には絶対の自信があった。傭兵時代も自衛隊時代もその自信は崩れることはなかった。不撓不屈とは、自分自身のためにある言葉だったのだ。
これまで精密検査も、3ヶ月おきに起きている。酒も飲まないし、煙草も吸わない。体力の落ちることなど、まったく興味がなかった。
ところが今夜は違った。まるで、死に行く子羊のように、苦痛にのたうちまわっていた。苦痛に疲れ果てて、いつの間にか眠ってしまった。
夢を見た。深い夢だった。
黄金の蛇が、自分の体の中を食い尽くしていく夢だった。白い蛇がいた。小さなかわいらしい蛇だった。その白い蛇に、黄金の蛇がからみついてきた。そして、黄金の蛇が白い蛇を頭から飲み込んでいく。
ごく、ごくっ。音まで聞こえてくる夢だった。
夢の中で、気を失ってしまったのだ。まるで死んだ気分だった。長い時間が経ったような気がした。
そして目が覚めた。枕元の携帯電話が鳴っていた。完全に蘇っていた。普通の音が鮮明に聞こえる。今まで聞いたことのない感覚だ。回りの音がモノラルから、スーパーファイファイ音になったような感覚だ。
携帯電話は研究所からだった。進化種一族が、仮死状態に入ったとの事だった。
ぴんときた。ぞくぞくっと来た。
さあ、出番だ。立木は、ベットを飛び起きた。
青山から広尾まで10分もかからない。徐福研究所へたどり着いた立木は、入り口の扉を開けて立ち止まってた。
立木は、クンと臭いをかぐ。今朝から、こうであった。今まではこんな事はなかったが、無意識のうちにやっているのだ。においの微粒子の中に、真とその仲間達の臭いがむせかえっている。
血のにおいもした。汗のにおいもした。そのにおいの濃さで、ある程度の状況が判断できる。突然微かな声がきこえてきた。
「隊長」
軍曹の坂本だった。受付の机の下でうづくまっている。
「不動明王が・・・所長室に・・・」
虫の息で答える。
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