第4話 天地寺の一族
天地寺に関係している一族は、日本国内で総数100名もいないだろう。ただ一族の特殊さにより、婚礼も一族内にならざるを得ない。近親交配の危険性もあるのだが、劣性遺伝子による先天性異常は1件も報告されていない。一族のみが持つ遺伝子の特殊性にあると検証されている。
しかし、婚姻は感情という側面が強いため、自然と血脈の遠い人間を選ぶようになっている。弘子は、真の従弟の又従妹にあたる。お互い科学者ということもあるが、弘子の寛容さと献身は秀でており、愛情と尊敬が入り混じった妻であった。
生活の中でも梨は好きだけど林檎は嫌いだとか、テレビドラマを見て号泣するなど人間味の多さも愛らしいと感じている。現在、行っている秘法も、弘子なしでは達成できないと真は考えている。科学者でもあり宗教家でもある真は、遺伝子を覚醒させる方法を弘子と行っているのである。
遺伝子の活性化は、現在でも研究されている。長寿を促進するサーチュイン遺伝子は有名で、その遺伝子が活性化するのは、カロリー制限を行うことだといわれている。つまり、生物が飢餓状態になると、活性化するのだ。
遺伝子と脳は強く結びついていて意思の力で本来以上の遺伝子を目覚めさせる事ができるという事である。この事は本能的に知れ渡っており、僧侶の修行による断食など、宗教界では昔から行っている方法である。真が活性化させたい遺伝子とは、一族だけが持っているという「神の遺伝子」である。
天地寺一族の歴史は神代の時代から続いているといわれている。天地寺の本来の教義は国生みのイザナギとイザナミが始祖とされている。故に天皇家とは縁が深いのだが、それは表の世界に出ることは一切ない。
一族の特殊な遺伝子とは、ある一定の条件下で神を生み出すということである。それは一族さえ何時なのかわからない。一族は外見上も能力的にも人類とほとんど変わらないが、おおきく違う点は寿命が短い事である。故に短命種とも呼ばれている。
遺伝子構造にも現存のヒトと違う点が見られるのだが、それらがすべて不活性の為内容は不明である。また一族同士は精神感応の能力が潜在的にあり、それは一族の種を認知するだけにあるらしい。一般的に言う他人の心を読むなどのことは出来ない。
一族の発生の過程は定かではないが、太古の進化の過程で、人類と枝分かれしたもう一つのネオホモサピエンスであると推測されている。全世界に総数千人なほどといわれているのだが、正確な数は不明である。
「宮崎自然科学研究所」のただ一人の職員であり、妻でもある弘子は彼のために、濃いめのモカを入れた。彼女も又、科学者である。
「瞑想による、多重人格の発生法はわかった。ただやはりうまくコントロールできない部分があるんだ」
「セイレーンね」
「そうだ。それ以外にもいろいろ出てきたぞ。ゴルゴン、キュクロプス、ヤクシャ、カバンダ、天狗、河童、やまたのおろち、阿修羅、ケンタウロス。まるで世界中の化け物の見本市みたいに、必ず出てくる」
「つまり、真が高潔と思っている人格を作り上げたときに、必ずおまけとして付いて来るみたいね。グリコのおまけみたいなものかしら」
「ふむ。瞑想の中で起こることだ。すべては僕自身の中にあるものだろうが、これも無意識の中にある一つの防御策だろうか。
つまり、釈迦やキリストといった人格を作り上げる際に、僕自身にためらいがあるのかもしれない。もしかしたら恐れかもしれないな。神様と話すわけだからな。それが無意識の中の恐怖と結びついて、自動的に化け物を作り出してしまう。
すべての原因は僕自身にあるのかもしれない。神に対する畏敬の念が本能的にある以上、グリコのおまけは必ず現れるだろう」
「ちょっと待って。真の論文の中に遺伝子の夢の話があったわね」
「遺伝子は眠っている。そして夢を見ている」
「そう、遺伝子の夢の話。遺伝子だってただの物質よ。
その情報は普段は眠っているんだけど、その隠れ遺伝子の存在を示す何かの成分が遺伝子から定期的にごく微量出ている。そんな内容だったわね」
「そうだ。最近のドーキンズ博士の利己的遺伝子の考えの基になっているものだ。極端にいえば遺伝子は意志を持っている。よりよき方向に行きたいと願っているのだ。これは批判が多いけどね」
「真の瞑想法は、阿字観から始まるのよね。それから広観、れん観へ移るのよね」
「そう、教科書通りにね。それからがオリジナルだ。当家秘伝の立川流のやり方を付け加える。つまり瞑想の中でセックスをするのだ。強烈なセックスから得られる極限の射精をイメージし、気をやったと同時に一気にワープするのだ。これで自分が一個の精子になり、子宮の中の卵巣を目指していくのだ。そして目的の卵に出会う」
「そこが、カオスの海にあるたった一個の卵の安息の地」
「そうだ。受精のイメージとともに、カオスの海の中へ放り出される感じかな」
「そこで、竜に出会うのね」
「竜というより、螺旋の化け物だな。これが僕がイメージする遺伝子なのだ。その中に大日如来が現れる」
「そこよ。そのイメージが現れる時の経過は覚えている?」
「そのあたりはまだ不鮮明なのだ」
「私の分析で説明すると、その時点で遺伝子の夢物質があなたの瞑想に影響を与えるのよ」
「あり得ないことではないが、僕は自覚していないのだ。化け物はお呼びじゃないからな」
「あなたは、瞑想というマインドコントロールで別人格と対話していると信じているけど、れっきとした科学変化があなたを支配しているのよ。つまり神の遺伝子に引き金を引くことを望まれているのよ」
「僕のやっていることは、隠れ遺伝子の引き金を引くことだ」
「そこよ。神と対話し、遺伝子まで導いてもらおうと考えているでしょう」
「今のところ、これしか方法がないと思っている」
長い話に、弘子のコーヒーは冷めてしまっている。
「昨日、パソコンで仕事をしていたの。友人が送ってくれた、統計の簡単なソフトをインストールしたの」
「それがどうしたんだ。いつもやってることじゃないか」
真は、場違いの話で少しいらだっている。
「まあ聞いて。インストールの後に再起動をしたのよ。いつものようにね。そこでひらめいたの。再起動よ。つまり、リセット」
「リセット?」
「遺伝子の変化は、次の世代に現れるわね。つまり一度死なないと駄目なのよね」
真の目がすーっと細くなった。
「そうか、リセットか。つまり僕は一度死ななければならない」
「多分そうだと思う。
神と対話しているのだからすでに遺伝子の引き金にふれていたの」
「後はリセットをすればいいのか」
「そう、化け物はおまけじゃなかったのよ。神がしくんだリセットボタンだったのよ」
「僕は化け物に食われて死ねばいいのか」
「復活を遂げるのよ。キリストの伝説がそれを物語っているのよ」
「死んでから神になる。そうだ、なぜこんな簡単なことにきずかなかったのだろう」
真は机の上のパソコンのスイッチを入れる。
「即身成仏の本当の意味は、リセットだったのか。しかし再起動しない場合もある」
真はキーボードでパソコンをリセットした。派手な音とともにパソコンは立ち上がった。
「ほとんどの高僧は、瞑想の中で仏と会ったんだろう。そして現世で悟りを開くためリセットにすべてをかけた。成功した時に一番良い方法である断食を選んだのもそうだ。これが一番身体を痛めない」
弘子はいきなりパソコンの電源を切った。
「ほとんどの高僧がリセットできなかったのよ。エジプトのミイラ、即身成仏。成功したのはキリストだけだわ」
「いや、釈迦も成功例だ。彼の復活は予言されている」
「そうね。彼の場合、輪廻という進化の旅のことを理解していたのかもしれないわ」
真は電源が切れたモニターをにらみつける。
「僕はリセットできるのか。瞑想といっても、すべて意識の出来事だ。意識で死を感じれば、本当に意識は生き返らない。一族の言い伝えでも、色んな条件がそろわないと遺伝子は覚醒されないといわれている。
僕のやっていることが、思いつきだけの愚考か、歴史的に必然かによって僕の生死は決まるのだろう」
すでに冷めている飲みかけのモカを一口すする。弘子は自分の言ったことの重大さに今更のように驚き、硬直している真の顔を見つめている。
窓の外はいつの間にか、雪が降り出していた。
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